日中友好新聞福島支部版 (電子版)
2012年2月5日 通算2247号
春節休暇の中国人旅行者 日本の百貨店に
1月23日は中国の新年、春節だった。春節休暇を利用して日本観光をする中国人旅行者が激増している。日本の観光地やショッピングエリアでは、どこでも中国人旅行者であふれていた。東日本大震災からしばらく、日本を訪れる中国人観光客は減少を続けていた
が、最近になって大幅に増加に転じたのだ。日本の各百貨店では、春節期間に訪れる中国人旅行者を取り込むための商戦が白熱化している。
高島屋日本橋店では、漆器や紡績品など20項目の日本製品を一階の最も目立つ場所に配置。これらの製品は「生活の中で幅広く使えるもの」となっている。東京表参道の大型ショッピングモールでは、日本製の高品質な衣料品と化粧品を並べた。中国人旅行者の評
判は上々だ。
電気製品も中国人旅行者に人気がある。中国最大の家電量販店「蘇寧電器」が銀座に支店をオープンさせたが、旅行者を引き付けるために7割の電気製品を特価で販売している。 春節期間、池袋エリアのホテルの稼働率は昨年の春節時期より2.5五倍増加した。お台場の各大型ショッピングモールでは、中国人旅行者に対するサービスを向上させるため、中国語を話せるスタッフを増員させた。

大阪商工会議所が主催する中国人観光客対応講座
春節▼ 中華人民共和国では、新暦の1月1日を元旦、旧暦の正月初一を春節とすることが決定され現在に至っている。中華人民共和国では春節は国定祝日とされ、2008年1月に施行された新しい『労働契約法(労動合同法)』では春節から3日間を祝日と定めている。一般に企業は春節の前後を長期休暇としており、その前後は都市部から地方に帰省する人々で中国の公共機関は大混雑となる。中国大陸・台灣・韓国・ベトナム・モンゴルでは、最も重要な祝祭日の一つであり、グレゴリオ暦(新暦)の正月よりずっと盛大に祝われる。ほかに、中華圏の影響の強い華人(中国系住民)の多い東南アジア諸国、世界各地の中華街などで祝われる。春節元旦は新暦とはズレが生じ、1月後半から2月前半となる。2012年の春節は1月23日である。
福島の小鳥の森
冬鳥の飛来激減
立春を目前にしての日本列島は、日本海側を中心に、記録的な積雪と厳しい寒さが続いていまる。
「ラニーニャ現象」により日本周辺で偏西風が南に蛇行して寒気が南下し易くなり、大雪となる。一年のうちで最も寒いこの時期、福島市の「小鳥の森」では餌場に訪れる小鳥たちの姿を見ることができるが、冬鳥の数が例年に比べて極端に少ないそうである。小鳥
の森のレンジャー高橋清さんによると、雪で地表が覆われると、小鳥たちは餌を取ること難しくなるため、ネイチャーセンター周辺に設置した餌場は多くの野鳥でにぎわう。しかし、今年は留鳥(りゅうちょう)ばかりで、越冬のために日本より北の国から飛来する冬
鳥はほとんど見られないという。「いつもは餌場に50羽ほど来るシメは3羽程度、ツグミは全然姿を見ない」と高橋さん。日本野鳥の会の報告によると、この冬、冬鳥が少ないのは全国的な傾向で県内だけではないという。
「昔からうるう年は自然界が狂うと言われているが、それにしても極端」と首をひねる高橋さん。
原発事故の影響で来場者が極端に減ったネイチャーセンター。来鳥激減も同様の理由かな?

餌付けに来たかわらひわ
2012年1月25日 通算2246号
福島支部
第3回理事会ひらく
福島支部は1月21日午後2時から支部事務所で第三回理事会を開き、理事5人が出席しました。
はじめに長尾理事長が情勢について報告しました。昨年の第一回全国理事会での情勢分析・日中両国民の相互感情は良くないが、交流は深まっていること等に加え、ヨーロッパ経済危機が全世界に影響を及ぼそうとしていること、金正日死去のアジア、日本との関連、
台湾総統選挙の結果中台関係が密接化すること等について報告し、議論しました。原発の放射能被害が依然として深刻であることの発言もありました。
中国語教室・29期は9月から市民会館が使用可能になり、受講生が熱心に学んでいることが報告されました。また、第30期は初級・中級・上級を開講することとし、初級コースについては「中国語初級受講へのお願い(仮題)」の文書を作り、現受講生・理事・
会員等関係者に広く呼びかけ、6名以上の受講生参加を目指します。 昨年地震、原発問題で中止となった中国旅行は今年8月末から9月初めの時期に実施することとし、コースは昨年の計画同様に貴州、南京、鎮江、上海等とします。
日中友好りんご狩りは12月18日(日)に開かれ、23名が参加しました。当日の写真を見ながら感想を話し合いました。
このりんご狩りで2名の会員が入会されました。新会員に対しては会の趣旨を分かり易く説明してゆくことが要望されました。
また、ご逝去された会員のことも報告され、ご冥福を祈りました。
第四回理事会は3月17日(土)午後2時から開きます。
お願い
『福島は訴える』 福島県九条の会編 \1600.+税
福島は今、放射能を恐れながらも汚染されたふるさとの大地を取り戻すという困難で重
い課題に直面させられています。福島の人々が、今何を考え、何を求めているのか。「心
の叫び」に共感とご支援をお寄せください。購入とふ及のご協力をお願いします。
留学生の3.11 于 蘭鳳(福島大学留学生・中国語教室講師)

5月11日にびくびくする気持ちを持って日本の成田空港に着きました。地震後、親が非常に心配していました。両親を安心させる為に、地震後の6日目に中国に帰り、一ヶ月以上、国内に滞在しました。
留学する前、日本は地震が多いことは分かっていたが、故郷では地震のことを全然心配したことがないので、地震が発生したときにどうすればいいのか全然わからなかった。日本に来て最初に地震に遭った時に怖かったが、3月11日の地震の時の命がなくなるかも
しれないというような恐怖は初めてである。しかし、地震後の日本国民の行動には非常に感動しました。11日の夜は福島駅西口のITOYOKADOというスーパーに避難しました。皆が何をしても秩序立っている姿に感動しました。天災の前では人間はちっぽけに見える
が、地震後のお互いに助け合う人々を見ていると、必ずこの災難から立ち上がることが出来ると確信しました。
また日本に戻るという決心をした時に、福島原発の件で、もちろん両親は心配で強く反対しました。しかし、福島で一年半ぐらい生活して、この街の自然と風景をもう一度見たい、親切な人々にもう一度会いたいと思っていました。町なかの放射能の数値は少し高いが、福島の人は相変わらずこの町で生活している。私も福島の皆さんと同じようにこの町で生活していくことが出来ると信じています。だから、またこの親切な町に戻り、留学生活を送りたいと思いました。これは私の留学生活の中で大切な思い出となり、そして、人生の中の大切な経験となるでしょう。
福島に戻り、中国語教室の皆さんと再会したときはとても嬉しかったです。日中友好協会からのお見舞い(義援金)に感謝します。
2012年1月15日 通算2245号
大好評! 福島支部
日中友好りんご狩り
福島支部は、12月18日(日)10時半から、飯坂町平野の後藤農園で「日中友好りんご狩り」を実施、会員・読者など二三名が参加しました。
農園の後藤ミンさんからりんごの特徴と今年は例年になかった収穫までの工程・苦労などについて説明を受けたあと、真っ赤に熟れたりんごを選び、袋いっぱいに摘みとりました。
お昼はお座敷で、差し入れの中国酒、日本酒、ワインなどを楽しみながら、朝から準備されたあつあつのトン汁や煮豚やおこわのおにぎりなどをいただきました。酒好きの男性達はアルコール度52度の五粮液やマオタイ酒等ですっかりご機嫌になりました。地震、津波、中国と中国旅行などさまざまに話題が広がりました。
初参加の鈴木英雄さんのアコーディオン伴奏で「りんごの歌」等懐かしい名曲を合唱し、午後三時すぎまで楽しくにぎやかに交流できました。
初参加のお二人には協会のしおりを提示して、入会をお願いし、承諾して頂きました。

りんご狩りスタート前

松浦さんニッコリ

合唱風景
訃報
栗原浅子様
仙台市在住の栗原さんが12月19日にお亡くなりになりました。栗原さんは中国・大連からの引揚者で12月10日に亡くなった長尾文枝事務局長の母・渡辺フチヱさんの親しい友人でした。小学生の頃からの事務局長の成長を見続けてこられ、日中友好協会の活動を「尊い行い」と深く理解されていて、長い間、大きな支援を続けて下さいました。日中友好新聞と季刊中国をすみずみまで読んでおられ、事務局長宛にきれいな字で感想などを寄せて下さり、励まして下さいました。小さな幸せに感謝の心を忘れず、社会奉仕を続けてこられた敬虔なクリスチャンでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
熱烈歓迎!新会員
斎藤久吉様(ヴァイオリン工房)
福島市でヴァイオリン、チェロ等の弦楽器を製作。今回の原発事故では多くの子どもたちが県内外に避難し、精作・修理の依頼が激減とのこと。福島県民のあらゆる職種が大き
な被害を受けていることを改めて知ることができました。楽器制作者だけに美声の持ち主です。
鈴木英雄様(自営業)
電気屋さんで、後藤孝一さんとは、うたごえサークルの仲間。昨年のりんご狩り交流会では素晴らしいアコーディオン演奏を披露して会を盛り上げてくださいました。
2012年1月5日 通算2244号
「希望」の再生を願って
福島支部長 北村 寧
明けましておめでとうございます。
大震災と原発事故から十か月近くになります。当支部会員に人的被害がなかったことは喜ばしいことですが、何らかの困難や苦労、とりわけ放射能汚染の不安をかかえて日々をお過ごしのことと存じます。
昨年十一月下旬、私の勤務先(放送大学福島学習センター)に某学習センター所長が訪れました。彼は当センターで作成したパワーポイント(原発・放射能汚染を中心にした映像)を見て、途中から声を詰まらせ、涙をポロポロとこぼしたのです。朝鮮からの引き揚げ者で、津波で無に帰した街の風景は故郷・大阪の焼け野原と重なり、避難所をたらい回しにされる避難者の姿は、親戚を転々とし、みじめな思いをしたご自身の体験と重なったようでした。
昭和十八年に北京で生まれた私は戦争も引き揚げも全く覚えておりませんが、亡父の残した記録によると、昭和二十年十月初旬から翌年一月三十日までの約四か月、北京西郊の「集結所」(中国軍旧兵舎)で過ごし、その後二月十五日にアメリカ海軍のLST(上陸用舟艇)に乗船するまでの半月ほど天津の旧日本軍貨物廠で過ごしています。言わば「避難所」暮らしを四か月半ほどしたわけです。
引揚者と原発事故による避難者を比較することは出来ませんが、引揚者には「故国に帰る」という「希望」があったと思います。しかし、原発の危険な状態が続き、放射線量が低下する展望がない現状で、避難を余儀なくされている人たちが「故郷に帰り、生活を再建する」という確かな「希望」を持つことは困難です。現在でも、十五万人を超す福島県民が県内と県外で避難生活を強いられています。一日も早い原発事故の収束、福島県の復興、県民の「希望」の再生を願わずにはいられません。
末筆になりましたが、本年も当支部の活動にご協力を賜りますようお願い申し上げ、年頭の言葉といたします。

祝您新年快乐
本年もどうぞよろしくお願いいたします
2012年正月
日本中国友好協会福島支部
支部長 北村 寧
理事長 長尾光之
理 事 大崎やま子
後藤孝一
平田雄三
安藤恵子
大泉和久
会計監査 安藤勝夫
池澤実芳
事務局長 長尾文枝
011年5月25日 通算2225号
福島支部
第四回理事会ひらく
3月19日に開催予定だった第4回支部理事会が延期され、ようやく5月14日(土)午後2時から支部事務所で開かれ、理事5人が出席しました。
はじめに情勢について討議しました。東日本大震災では岩手、宮城、福島の協会関係者にもお亡くなりになった方、家族の犠牲、家屋の流失等の被害が出てい
ます。協会では「救援募金」の取り組みを決め、4月12日現在350万円が集まりました。また、中国からははじめての海外派遣となる15人の救援隊が大船
渡市で救援活動を行いました。中国政府は3千万元(約3億7千万円)相当の救援物資を提供することを決めました。そのほか、中国紅十字会や華僑関係者、中
国人留学生も義援金の取り組みを進めています。
一方、福島原発事故により、中国大使館は被災地からの中国人の撤退と帰国を支援し9千人あまりを帰国させています。福島大学や会津大学、東日本国際大学
の留学生もほとんど帰国しました。
これよりさき、昨年九月におきた尖閣列島沖の中国漁船衝突事件により日中関係は深刻な事態に陥りました。協会は10月の全国理事会で「東シナ海を平和、
協力、友好の海に」との声明を発表し、平和的な話し合いで解決を求めることを訴えました。
日中双方の世論調査では日本の中国に対する、中国の日本に対する国民感情がそれぞれ悪化しています。しかし、大震災への中国の支援やパンダの貸与もあり
両国民の相互感情を改善してゆくことが必要です。震災直後から中国のTVは盛んに報道をし、また特別番組を編成しています。インターネットや動画サイト等
々で、中国の人々は心から「加油日本!」(がんばろう)と応援し、復興を願ってくれています。
本部からは福島支部に対し大震災の義援金が送られてきました。被害の大きさによって2万円、1万円、5千円の三段階に分け、家屋等の被害に遭った方々に
すでに配布をはじめ、たいへん感謝されています。
第29期中国語教室は永年会場としてきた市民会館が地震で使えなくなったため、急遽「チェンバおおまち」の「市民活動サポートセンター」に切り替え、予
定通り4月15日から開始しました。中級9人、上級7人と予想以上の受講生が集まり、スタートしました。
9月に予定されていた中国旅行は中止することとしました。(別項)
全国大会は6月4日・5日に開かれます。代議員には長尾文枝事務局長を派遣することとし、そのほか評議員を募集します。
支部総会は7月10日に開きます。(別項)
第5回理事会は7月10日午前11時から開きます。
今夏の中国旅行中止
5月15日に開かれた第4回理事会で今年の福島支部中国旅行は8月21日から28日まで、貴州省、南京市、揚州市等に行くことを決めました。5月14日の
第四回理事会で再検討した結果、福島支部にも地震の被災者が出ているという状況下で観光を中心とした旅行は望ましくないとして、中止することとしました。
どうかご理解をお願いいたします。
福島支部総会は7月10日
福島支部総会は例年全国大会後の7月はじめに開いてきました。今年は7月10日午後1時から開きます。
福島市民会館は地震発生以来、貸室業務を停止していましたが、6月から再開するとのことですので、市民会館を開催予定場所とします。会員のみなさまには
ご案内を差し上げますのでご出席をお願いします。また、会費等未納の方は振込方よろしくお願いします。
2011年5月5日 通算2224号
東日本大震災の四重被害に苦しむ 福島
福島は震災被害のうえに人災事故である原発事故と風評被害にみまわれています。避難生活を送っている人々も大変ですが、避難対象地域外でも毎日発表され
る放射能の数値に脅かされています。環境や土壌への影響で農家や酪農家そして教育現場からは悲鳴が上がっています。一刻も早い収束を願わずにはいられませ
ん。東京電力と原子力政策を進めてきた人々はしっかり責任を取るべきです。
日中友好協会本部より被災者の皆様へのお見舞い金が届きました。家屋等に損害があった方々にお渡しします。 ご協力下さった皆様に感謝いたします。
地震・津波・原発
中国・台湾からのお見舞い
このたびの災害に対して、電話・メール・手紙などで多くのお見舞いが国内・外国から 福島支部に寄せられています。
今号ではそのうち中国・台湾の三通をご紹介します。
松 岩さん
福島で公演を行ったこともある北京風雷京劇団の団長です。二〇〇六年に全国二〇カ所で公演を重ね、多くの日本人の友人ができました。今回の災害をたいへん
心配されています。
北京時間3月11日13時46分、日本で震度9以上の強い地震が起こったことを聞き、たいへん驚いています。地震に引き続き何回もの余震と大規
模な津波が起こり、仙台や福島では大きな経済的損失があり、多くの人々がお亡くなりになったそうですね。わた
くしと北京風雷京劇団員全員は災害により起こされた損害に対して深い憂慮の念を抱いており、あなたと地震被災地の日本の人々に対して心からのお見舞いを申
し上げます。また、地震の殉難者に対し深く哀悼の意を表します。また、第一線で救援にあたられた方々に対しても崇高な敬意を表します。わたくしたちは日本
の災害の状況に注目し続けるとともに、わたくしたちは力を尽くしてお手伝いしたいと思っています。もし何かご要望がありましたらわたしたちにお申し付けく
ださい。わたくしたちは力の限りお手伝いをいたします。災害に際していちばん大事なのは信念と勇気です。わたくしたちは日本の人々が必ず様々な困難を克服
できるということを信じています。わたくしたちはあなたたちと手を携えて災害にたち向かい、ともに困難を乗り越えます。がんばってください。あなたのご家
族と友人が何事もなく、ご健康でありますことを心から望んでおります。
北京風雷京劇団 団長 松 岩
全 団 員
許 仰民さん
河南省・信陽市にある信陽師範学院教授です。古代から現代にわたる中国語歴史文法の大家で、現在は信陽市人民政府顧問・河南省文史研究館員なども担当さ
れています。
こんにちは。
日本・
福島の大地震と津波から一月あまりがたちました。先生とご家族はご無事でしたでしょうか。いつも気にかかっておりました。心からお見舞い申し上げます。
今回の 福島の九クラスの地震と津波、それによって引き起こされた原子力発電所の危機は抗うことのできない
自然災害です。中日両国は一衣帯水の隣国であり、わたくしも全中国人と同じように、深い同情の気持ちを持ち、
また災害に遭われた日本の友人にお見舞いを申し上げます。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げま
す。わたくしは日本の友人が必ず困難に打ち勝ち、以前の家庭をとりもどし、災害前の生活を取り戻すことを信じて
おります。
おついでのおりに、Eメールをお送りくださり、ご連絡されることをお願いします。
許 仰民
江 丙堂さん
東北大学文学部中国文学科のときに長尾光之
福島支部理事長と同期生でした。台湾に帰ってからは経済団体の仕事をされていました。台湾の地震で実家が被災し、親戚も亡くして日本の地震は「人ごとでは
ない」と感じています。
長尾学兄
日本・宮城の大地震、さらに福島原子力発電所の危機が起こりました。貴兄は
福島にお住みになっており、被害を受けられましたでしょうか。たいへん心配しています。最近、台湾のテレビではしばしば災害の状況を報じています。驚くべ
き災害です。
わたくしの第二の故郷である仙台市についても心配です。とりわけ母校の東北大学は被害に遭ったのでしょうか。仙台にはわたしも何人かの友人がおります。
安否が分からず、たいへん気にかかっています。
日本の今回の災害は、同じ地震地帯の台湾に住んでいる者として、同じ災害を受けたように感じています。このため我が国では馬総統はじめ一般民衆まで義援
金を集め、日本を助けたいと思っています。一日も早く正常に復されますように。とりわけ被災地の人々が救助されますように。
台湾では南投で九二一大地震が発生しました。我が家も被災者の一人でした。わたしの実家もすべて倒壊し、親戚の何人かはなくなりました。そのときはほん
とうにつらく耐え難かったものです。日本が早く苦痛から抜け出し、立ち上がることを望んでいます。同窓生の一人が去年台湾においでになり、彼を招いて食事
をし、仙台のことをしばらく話しました。しばらく会わなかった人と顔を合わせ、酒を酌み交わすというのはほんとうに楽しいものです。貴兄も機会がありまし
たらまた台湾においでくださいますように。
お元気でおすごしください。
江 丙堂
2011年4月25日 通算2223号
2011年4月15日 通算2222号
2011年4月5日 通算2221号
全国の仲間が応援しています
東日本大震災の災害者救援募金の取り組みが全国で広げられています。各地の取り組みを紹介します。
【北海道連】
小樽支部の太極拳クラスの人たちが、仙台へ習いに行った時にお世話になったと、いち早く救援募金への協力を申し出。支部からの募金もあわせ、3月17日
に10万4千円を本部へ送金。
【山形県連】
「帰国者山形の会」が、「私たちも沢山の方々の支援を受けた。被災者は本当に大変。5000円見当に集めたい。と救援募金の取り組みを開始。
【東京都連】
本部の訴えをうけて、支部や役員、太極拳、中国語の受講生に救援募金のお願いをし3月30日現在、24万6779円が寄せられている。「太極拳の教室で
訴えをしたところ協力してくれた」「本当は現地に救援に行きたいが混乱させるといけないので救援募金に協力したい」等の声が寄せられた。3月21日に開か
れた都連第2回理事会には43人が参加し、12万以上の救援募金が集まった。
【福岡県連】
「困難なときこそ、ここに協会あり」と支援活動と協会組織の発展に全力を尽くすことを県連理事会で確認。3月27日には、帰国者が「四川大地震と帰国者
新支援法成立のためにお世話になった国民にお返ししたい」と、福岡支部、筑紫支部、玄界灘支部の会員とともに、福岡の中心街天神で支援募金を訴え。1時間
半で12万2495円の募金が寄せられた。
清明節
4月5日は中国や中国民族にとって「清明節」にあたります。清明節は祖先のお墓に参り、草むしりをして墓を掃除する日でもあり、「掃墓節」とも呼ばれま
した。日本におけるお盆に当たる年中行事です。また、春を迎えて郊外を散策する日でもあり、「踏青節」とも呼ばれました。大地震・津波によって逝去された
方々の冥福をともに祈りましょう。
清明節には柳が芽吹き、野山は春らしくなります。人々はご馳走をつくって墓参りします。幡(はた)や蓋(ほろ)をつくったりして墓前にならべ、祭祀が終
わると燃やします。女性たちは柳の枝をとって髪に挿します。
1976年3月中ごろから各地で四人組を間接的に批判した壁新聞が貼られるなど、当時の支配体制への不満が現れはじめました。そうしたなか4月5日の清
明節に向けて、周恩来を追悼する献花が天安門広場の人民英雄記念碑を中心として次々と行われるようになり、清明節前後には同広場に30万から50万規模の
人々が集まりました。なかには間接的・暗示的に毛沢東を批判した詩もありました。当時の権力中枢にいた「四人組」「華国鋒グループ」はその黒幕を鄧小平と
決めつけ、彼は失脚します。4月5日が事件のピークであったことから「四五運動」「第一次天安門事件」とも呼ばれます。
2011年3月25日 通算2220号
大地震復旧進む、原発被害に懸念
3月11日に起こったM9.0の大地震後毎日余震が続いています。そのなかで救援・物資輸送の大動脈である東北自動車道が24日(木)に復旧し全線使用
可能になり、被災地への救援活動が大幅に進んでいます。
福島市内も地域差はありましたが、電気、水道ガス等ライフラインも8日目でほぼ復旧。緊急避難をしていた会員の方の中にも帰宅し、散乱していた家の片付
けをはじめた人もおります。水道が出ない間は後藤孝一理事等井戸のある家々から水をいただいていました。
「井戸水を利用して下さい」と看板や張り紙を出した家もありました。宮城県出身の安藤恵子理事は石巻市や涌谷町の親戚の安否を確認後、近辺の人々の買い物
に貴重な車を提供して喜ばれていました。
福島県は双葉、大熊町にある東京電力福島第一原子力発電所の放射能流出事故で20キロ圏内の住民が避難を余儀なくされました。また、一部の野菜や原乳の
出荷が規制され、風評被害で多くの県民が不安に包まれています。福島大学では中国人、外国人留学生の希
望者のためバスをだしました。福島支部の中国語講師をしている于蘭鳳さん、鄭実さんも中国に帰国しました。金敬雄先生一家も新潟空港よりソウルに避難しま
した。
中国語教室の会場である市民会館は3月中は使用不能です。4月15日(金)に開講予定の第29期は開講できるよう準備を進めています。
原発事故関連では以下のHPが参考になります。a/
福島県9条の会
http://www.geocities.jp/kenpou9jou_fukushima/
とくにNO4のわたり病院・斎藤紀医師の講話
福島原発事故を理解する
http://ribf.riken.jp/~koji/jishin/zhen_zai.html
2011年3月15日 通算2219号
関東・東北に大地震、福島県にも被害
3月11日午後2時46分ごろ三陸沖を震源地とする大地震があり、岩手・宮城・福島を中心に大きな揺れと被害がありました。3月15日現在全体で死者は
2476人、行方不明者は千人以上、福島県内でも死者492名、行方不明者は千人という大惨事となりま
した。犠牲者へのお悔やみと被害に遭われた方への心からのお見舞いを申し上げます。
福島市も震度6強の揺れがあり、道路の陥没,瓦の落下、ブロック塀の倒壊などの被害があり、学校、公民館、集会所などには避難所が設けられています。
当日は第28期中国語教室の修了日でした。余震が頻発して混乱している状態でしたが、事務局長は6時に会場の市民会館に行き、受講生のみなさんを待ちま
した。市民会館は上階の窓ガラスが割れ使用不能とのこと。ロビーには出張中のサラリーマンや翌日の入試
のため来県していた受験生等が続々と避難と情報収集のため集まってきました。教室の受講生は一人も来られなかったので、次週に延期の手続きをすませ、避難
会場となる福島市役所八階への誘導の手伝いをしてから、停電で信号も作動していない真っ暗な街を通り、
所々陥没している道を迂回しながら帰宅しました。
不明の部分もありますが、福島支部関係者で身体的被害を受けた方はおりません。家屋倒壊はなく、屋根瓦・塀の破損が6名。電気や水道の復旧が遅れている
地域もあります。
福島支部で安全が確認できた人々はつぎのとおりです。(敬称略、順不同)
北村寧(支部長)、長尾光之(理事長)、大崎やま子(理事)、 後藤孝一(理事)、平 田雄三 (理事)、安藤恵子(理事)、大泉和久(理事)、長尾文
枝(事務局長)、安藤 勝夫(会計監査)、渡辺正、鈴木裕美子、佐藤和、樋口子吉、比佐千鶴子、真木實彦、 村上みどり、上谷直、趙紫恒、金敬雄、中川利
子、穴澤利枝子、千葉孝、小柳桂子、鴫 原雅子、西元幸子、渡辺愛二、石川彩子、菅野智子
福島支部にお見舞い
秀島安城(埼玉)、日中友好協会兵庫県連・上田雅美、同 東京都連・小河原浩之、同 福岡県連・松山盛利、同
宮城県連・渡辺襄、日中友好協会、趙紫恒(東京)、白小兵(同)
中国からのお見舞い
福島支部には福島大学に研究留学しており、中国語教室講師も担当されていた河北大学の楊秋芬さんからお見舞いの電話とメールが寄せられました。
また、日中友好協会本部には中日友好協会、江蘇省人民対外友好協会、北京体育大学から、地震被害に対するお見舞いのFAXやメールが届きました。兵庫県
連、広島県連などには、四川省人民対外友好協会、重慶市人民対外友好協会からのお見舞いメールが届い
ています。「四川地震のときにお世話になった。すぐに救援の体制をとりたい」という温家宝首相の発言もあり、初めてとなる中国の救援隊も来日しています。
中国の皆さんのあたたかい思いを、被災地の皆さんに伝えたいと思います。

地震におびえる子供たち(福島市)
2011年3月5日 通算2218号
深刻化する中国の「年齢さば読み」
卓球選手の90%以上が手を染める
オリンピックでも上位入賞するなど「卓球王国」として知られる中国の卓球界に、「年齢詐称疑惑」が持ち上がりました。ここ数日、中国メディアが相次いで報
じています。不正の歴史は30年以上に及び、「さば読み」に手を染めている選手の割合は、全体の9割に
のぼるという指摘もあります。
2011年2月には、女子フィギュアスケート選手の年齢詐称疑惑が報じられたばかりで、中国のスポーツが構造的に抱えている問題だとも言えそうです。
活躍中の選手が世代交代防ぐため「さば読み」
広州日報では2011年2月24四日、「内部事情に詳しい人」の、こんな話を紹介しています。「卓球選手の90%が年齢を変えてい
る。(クラスメイトの)M選手とW選手の小学校時代の書類を調べたら、現在公開されている資料では、きっと年齢が一致しないはずだ。後にM選手は活躍する
ようになったが、元々の資料より一歳若くなっている」
「勝ち負けが全て」の世界では、本来ならは年齢を詐称する必要はないはず。90%が年齢を詐称というのは、仮に本当であれば、異様な話だ。なぜ、そのよう
なことをする必要があったのか。この関係者は、このように説明している。「だが、M選手は後に、一歳しか年齢を修正しなかったことを後悔するようになっ
た。今のメディアの関心事は、『古株がいつ引退して、新しい人にバトンタッチするか』。最初に多めに年をごまかしていれば、この問題に煩わされることはな
かっただろう」
では、M選手は、なぜ一歳しか、さばを読まなかったのか。同紙の記事では、「事情通」が背景を解説しています。
「M選手が小さいときは、どれだけ有望かが分からなかったので、監督は重視しておらず、一歳だけ改めさせた。だが、後にM選手が大活躍。この時点では、再
び年齢を改めるの
には間に合わなかった」
すでに活躍している選手が、既得権益を守るために「さば読み」を行った、というのが実際のところのようです。
サッカーなどスポーツ界で幅広く行われている
さらに同紙では、「『さば読みは、中国のスポーツ界の大きな特徴。サッカーだけではなく、いくつかの金メダルを取るような種目も例外ではありません。国家
スポーツ局も、選手の年齢の管理を強化しており、競技団体のトップも、さば読みを非難している」とも分析。「さば読み」行為は、スポーツ界で幅広く行われ
ていることを伺わせます。その上で、同紙では「この問題は深刻で、新たな世代に活躍の場を返さなければならない」と、公正な形で世代交代を行うことを求め
ています。
そのような中、長春晩報が2月25日に報じたところによりますと、中国卓球協会は、青少年向けの卓球大会で悪質な年齢詐称が見つかった場合、違反チームの
参加資格を取り消す方針を打ち出したそうです。
11年2月には、トリノ五輪銀メダリストを含む九人の女子フィギュアスケート選手にも年齢詐称疑惑が浮上。大会出場資格がないまま出場していた可能性も指
摘されていましたが、中国スケート協会は「大会出場時の年齢が本当で、ウェブサイトに公表されている年齢が誤りだった。データ管理が不十分だった」などと
釈明していま
す。
福島市の中学生北京・上海を訪問
福島市国際交流協会が派遣した福島市内の中学2年生32人が中国の北京市や上海市を訪れました。帰国後「福島市中学生海外派遣
団」は帰国報告会を開きました。
報告会では、団員が8班に分かれ、中学生との交流やホームステイ、上海万博や万里の長城などでの感動や驚きについて、大きな声で発表しました。

中国で合唱した「YELL」を披露する中学生
2011年2月25日 通算2217号
中国のGDPが世界第二位に
日本の内閣府が2月14日に発表した2010年の中国の名目国内総生産(GDP)は5兆8786億ドル、成長率は10%を超え、アメリカに次ぎ世界第二
位になりました。日本政府は、今後20年以内で中国経済はさらに米国を超え、世界トップに躍り出るとの見通しを示しています。中国では輸出の急成長にけん
引される形で国内産業やインフラが拡大。安価な労働力を求める外国企業の進出も活発です。
日本の(GDP)は5兆4742億ドル(479兆2231億円)と、初めて中国を下回り、米国に続く世界2位から3位に転落したことが分かりました。日
本の実質GDPはプラス成長を記録したものの、成長率は3.9九%にとどまりました。
日本は過去20年間に及ぶ景気停滞とデフレで身動きの取れない状態が続いています。5年間で首相が6人も交代する目まぐるしい変化の中に、決然とした経
済政策は見出せません。将来には、世界一のペースで進む高齢化、世界最低レベルの出生率による人口構成の大変動が待ち受ける。債務残高の対GDP比は先進
国中で最も高く、200%に迫っています。
中国の一人あたりGDPは世界百位
昨年12月27日の「NHKニュースウォッチ9」に出演した中国・程永華大使によれば「中国の一人あたりGDPは百位である。地域格差・都市農村の格
差・所得層の格差は大きい」また、「サーチナサイト」によると2009年の中国の一人当たりGDPは3566ドル(約32万円)で世界99位。日本は16
位で一人当たりGDPは3万9573ドル(約356万円)で中国の10倍以上となっています。
中国のGDPが世界第2位になったからと言っても、労働争議の多発,や出稼ぎが盛んに行われていること、日本における研修生問題などもありこの数字は冷
静に見て行く必要があるでしょう。

中国の高層ビル
2011年2月15日 通算2216号
シンポジウム外国人研修・実習生の権利をどう守
るのか
外国人研修生・技能実習生制度は1981年に創設されました。しかし、その実態は「研修・実習」ではなく、低賃金・無権利の労働者というべきです。その
劣悪な労働条件を明らかにし、改善を図ろうという試みが各地で行われています。物心さまざまな支援を行ったり、場合によっては裁判に訴えることもありま
す。2月5日にはこの問題をめぐるシンポジウムが福島市で開かれました。協会の59大会決定にも「研修生・実習生との交流」の項目がありますので詳しく報
告します。
2月5日(土)午後2時から5時まで、福島市コラッセふくしまでシンポジウム「外国人研修・実習生の権利をどう守るのか」が開かれました。福島大学主
催、外国人研修生問題弁護士連絡会協賛です。参加者は福島大学教職員・学生,国際交流関係者,いわき市,仙台市などから40人です。はじめに、坂本恵・福
島大学教授がこのシンポジウムが開かれるにいたった経緯と福島県のベトナム人研修生問題について簡単に紹介しました。つぎに四人のパネリストが報告しまし
た。
第1の報告は外国人研修生弁護士連絡会共同代表の指宿昭一弁護士による「研修生弁護士連絡会の取り組み」です。指宿弁護士は弁護士になってまもなく、岐
阜のある縫製工場で、室温10度の部屋でコートを着ながら、月に200時間以上の残業を強いられていた
外国人の弁護を通じて、この問題にはじめてかかわりました。縫製業はこの地方の基幹産業だったため、外国人研修生たちのことは多くの人々が知っていました
が、圧力があってマスコミも報道していませんでした。この裁判を報道せて突破口を開きました。その後過労死問題、セクハラ問題等にかかわりながら、08年
全国的なネットワークを作るための話し合いを進め、08年40名の弁護士で「外国人研修生弁護士連絡会」を作りました。09年には津地方裁判所で「研修期
間中も実態が労働ならば労働基準法」の適用を受けるという画期的な判決をかち取りました。連絡会では今でも32件の継続事件を扱っていますが、現状は働き
に来る者も働かせる側も「研修・実習」ではなく「労働者」のつもりでいるのであるから実態は異なっている。むしろ今の制度は廃止して外国人労働者のための
きちんとした制度をつくるべきだ、と主張されました。
つぎに熊本中央法律事務所の小野寺信勝弁護士の「九州での最近の裁判事例報告」です。九州の特徴は農業県であるということで、農業関係の研修・実習生が
多いことです。ついで多いのは縫製業です。小野寺弁護士は07年に天草縫製業の違法労働事件を扱いました。
その後ほかの事件が取り上げられて行くにつれて、この天草の事件は典型的と見るようになりました。被告は会社2社、第一次受け入れ機関である事業共同組合
と「国際研修協力機構(略称JITCO)」です。判決が全国で一つも出ていない段階でしたので、説得性を持たせるために原告が日本に残留して裁判を続けま
した。その間は「熊本研修生を守る会」がカンパをして支えました。判決は勝訴で一人当たり110万の支払いを命じました。事業共同組合も監査を適正に行っ
ていないと言うことで「不法行為責任」との判断が示されました。この間中国人と日本人が協力して裁判を進め,研修生たちは「裁判をして良かった」という感
想を述べるようになりました。その後小野寺弁護士は福岡、長崎、鹿児島などの様子を写真で紹介しました。長崎の職場では立って働いている写真がありまし
た。「椅子に座ると眠ってしまうから」だそうです。今後の方向としては昨年法改正があり、一年目は労働法の適用があるとの法改正がありましたが不十分で
す。使用者も雇用者も労働させ、労働することを望んでいるのだから、指宿弁護士と同様に研修・実習制度は廃止して外国人労働者をどのように受け入れて行く
べきかを検討するべきだ、という意見でした。
第三の報告は日中友好協会・長尾光之会長の「日中友好協会の取り組み」です。はじめに中国人の研修生・実習生の数は8万人以上と全体の80%になること
を指摘しました。
つぎに日清戦争から日本敗戦までの略史を述べ、この間日本は中国・アジア諸国に侵略戦争を行っており、アジア人蔑視の考えが染みつき、研修・実習生の雇い
主からも「中国人は劣っている」との言葉が出るなど、現在も克服されていないことを述べました。1949年の中華人民共和国成立後の翌年,日中友好協会が
成立し、中国との交流や不再戦を主張していましたが、1972年まで日中間に交流はありませんでした。80年代中国が改革開放政策を取り始めてからは双方
の訪問者が増え,日本からは2006年に300万人台に、中国からは2008年に6百万人台になりました。しかし日本の対中感情は悪化しており、2010
年には「中国に親しみを感じない」が77.8%になっています。中国人が日本人や日本対して「良くない印象を持っている」は以前より改善されたとはいえ、
55%に及んでいます(2010年)。連日のニュースで中国の経済成長が報道されていますが、昨年暮の中国・程永華大使の発言によれば「中国の一人あたり
GDPは百位である。地域格差・都市農村の格差・所得層の格差は大きい」長尾氏はこのような格差や貧困の存在が中国からの研修・実習生が多く日本に来る要
因となっている、と指摘しました。そして研修・実習生問題は1942年から4万人を連行した「中国人強制連行」に匹敵する「現代の強制連行」であるとし
て,熊本県天草の例を紹介しました。さらに日中友好協会59回大会(2010年6月)では大会決定に「研修生・実習生の支援と交流」の項を入れて「連合会
支部が各地の実態を把握し、支援と交流の活動を強めましょう」と呼びかけています。つぎに、日中友好協会が行ってきた取り組みとして愛媛県連・東予支部、
長崎支部、都城支部の現況を紹介しました。最後に、中国人に対する人権侵害は日中友好と対立するものであり、孤立している研修・実習生とのつながりを強め
よう,と結びました。
最後の報告は福島県革新懇の小川英雄事務室長の「東栄衣料と福島県労連の取り組み」です。小川氏は福島県中島村にある東栄衣料に働くベトナム人の待遇が
劣悪であるとの相談を受け、福島一般労組に入ってもらい、支援をはじめました。低賃金、長時間労働、パ
スポート取り上げ、居住環境の劣悪さなど他地方と同じような状態に置かれています。そのほかここでは月2-3万円の強制貯金をさせていたこと、低賃金の内
職、これまでに一回しか病院に連れて行かなかったこと、などがあります。組合加盟後パスポートと強制貯金は返還させました。しかし、未払い賃金・残業代の
支払いを確認せると、その3日後に会社は自己破産してしまいました。これを払わせることが裁判の大きな焦点です。裁判は09年8月に提起され、10年2月
に第1回弁論準備手続きがありました。これが11年2月まで12回続いています。地元の人々と県団体による支援も続き,支援集会や郡山市での「ベトナム人
実習生を支援する集い」も開かれています。共感が大きく広がり、地元のタクシー労働者が米を届けてくれたり、大阪・岡山・草加市の人々からも募金が寄せら
れています。
質問や討論に移りました。研修・実習生制度の問題点が種々指摘されたが、成功例はないのかとの質問には、両弁護士から「雇う側は労働力として期待してい
るのであって、研修をする気がないのが大部分。従って成功例はほとんどない。この制度を廃止し、外国人労働者の制度を整えるべき」との答えがあり、フロア
からも「国会で関連する法律を廃止するよう弁護士のみなさんにがんばってもらいたい」との声もありました。さらに弁護士費用や通訳はどうしているのかとの
質問に対しては「本人が払えない場合は、法テラス、あるいは所属弁護士会が着手金や解決金の中から弁護費用を支払う制度がある。しかしボランティアとして
協力することも多い」「通訳については原告が日本語を習い覚えたり、通訳ボランティアの協力を得ている。それが不可能なところではお金を払って通訳を雇っ
ている」。そのほか、宮城外国人相談センターからは外国人の時間外労働についての相談を受け、労働基準監督署へ仲介をしている、という事例紹介もありまし
た。

2011年2月5日 通算2215号
世界中で盛り上がるチャイニーズニューイヤー「春
節」
中国本土のみならず、香港・台湾・世界中の中華街でにぎやかにお祝いされる中国のお正月、「春節」。チャイニーズニューイヤーという呼び方で、中国語圏
の外でもかなりメジャーな存在になってきました。春節の日付は、毎年違います。というのも、春節は旧暦
の1月1日と決まっていますから、我々が日常使っているカレンダーでは、ちょっとわかりにくいのです。我々が使っているカレンダーは太陽暦(新暦)です。
旧暦は太陽暦よりも1ヶ月ほど遅れることになります。中国では古代から旧暦を基準に生活が営まれてきました。太陽暦が使われるようになったのは1911年
に清王朝が倒れた辛亥革命以後のことです。記念日は太陽暦をもとに日付が制定されましたが、春節については旧暦の1月1日とし、休暇は3日間となりまし
た。
多くの中国人は旧暦の12月30日から春節休暇を合わせて一週間程度の休みを取り、実家に集まって春節をお祝いします。家族が分かれて暮らしている人や
学生も帰省します。日本よりも国土が広く人口も多い中国ですから、春節期間は何億人単位で人が大移動することになるのです。春節のお休
みで人が大移動する期間は「春運期間」と呼ばれ、交通機関の切符を取るのも一苦労です。航空機なども増便されますし、春運のラッシュ予想がニュースにもな
ります。

春節の龍のつくりもの
29期中国語教室受講生募集
クラス 初級、 中級、上級
会場 福島市市民会館(福島市内霞町)
時間 毎週金曜日 午後6時30分~8時
受講料 入学金:5000円(はじめて受講する人)
受講料:1年間 50000円
テキスト代別。機関紙「日中友好新聞」代含む。
開講日
4月15・22日 5月6・13・20・27日 6月3・10・17・24日
7月1・8・15・22日 9月2・9・16日・30日
10月14・21・28日 11月4・11・18・25日 12月2・9・16日
1月13・20・27日 2月10・17・24日 3月3・10日
2011年1月25日 通算2214号
福島支部第3回理事会開く
1月15日(土)午後2時から福島支部第三回理事会が開かれ、理事5人が出席しました。
はじめに長尾理事長が朝鮮半島、日中問題などアジアを巡って情勢が緊迫していること。とくに尖閣列島問題は各地の中国語講座受講者減につながっていること。中国人研修生・
実習生問題が全国各地で顕在化していること、2月5日にはコラッセふくしまで,弁護士、協会代表、県労連等による シンポジウム「外国人研修・実習生の権利をどう守るか」が開かれること等を報告し、討論しました。
また、このひと月に寺崎文司さん、大泉正気さんのお2人の会員が急逝されました。お2人の思い出を語り合い、ご冥福をお祈りしました。
中国語教室については28期の状況報告と決算(案)が提示され、承認されました。第29期については、4月15日に開講し、3月10日までの期間とし、29期予算(案)では3クラスを開き、最低目標は20名とすること、で了承されました。広告チラシは予算上無理なので、HPの活用と現受講生にリピーターをお願いすることとしました。
今年度の中国旅行は「8月21日に出発し、貴州省の貴陽市、黄果樹、鍾乳洞を見たのち、南京へ行き、南京大虐殺記念館、南京市内観光。揚州、鎮江、周荘等に行き,8月28日に帰国」という案が承認されました。
12月12日に開かれた「日中友好りんご狩り」には20名が参加し、「懇親会では中国・東北の旅や引揚者の体験談を記録する必要がある等の提案もあり、夕方まで楽しく話し合った」との感想が出されました。
カレンダー「中国悠久の旅」は180部普及されたという報告がありました。
さらに「日中友好新聞」福島支部版についても「直近のアジアジュニア大会の記事のように周囲の人々にも執筆してもらう必要がある」などの意見が出されました。
第四回理事会は3月12日(土)午後2時から開きます。
シンポジウム 外国人研修実習生の権利をどう守るのか
基調報告 坂本 恵 福島大学行政政策学類教授
「研修生弁護士連絡会の取り組み」 指宿 昭一 弁護士
「九州での最近の取り組み」 小野寺勝信 弁護士
「日本中国友好協会の取り組み」 長尾光之日中友好協会会長
「東栄衣料裁判と福島県労連の取り組み」 小川英雄 福島県革新懇
2011年2月5日14時から17時 コラッセふくしま5会特別会議室
主催:福島大学地域特別支援事業 協賛:外国人研修生問題弁護士連絡会
2011年1月15日 通算2213号
アジアジュニア選手権大会(ボート競技)に参加して 大泉 和久
先月、中国の広東省広州市でアジア大会が開催されました。ボート競技は11月14日~19日まで行われ、日本は軽量級五種目に参加し、金二個・銀二個・銅一個を獲得しました。
この大会に先立ち、7月20日~23日にも同会場でアジアジュニア選手権大会が開かれましたが、私は審判員として参加する機会を得ましたので、大会の様子等をお知らせしたいと思います。
アジアジュニア選手権には18歳までの選手が参加できます。参加国は11カ国。カザフスタンやイラン、カタールなどからの参加もありました。日本は男女それぞれシングルスカル(1人漕ぎ)とダブルスカル(2人漕ぎ)に出漕し、銀1個・銅1個を取りました。
なお全十種目中八種目に出漕した中国はそのほとんどでメダルを取る圧倒的な強さでした。
レガッタコースは白雲国際空港の近く「广东省船艇训练基地(Guangdong International Rowing Centre)」にあります。広州市の中心部からは北に向かって車で約40分ほどです。
大会にはアジア各国から12名の国際審判員が集まりました。そのほかにも中国各地から役員が来ており、審判員が乗るモーターボートのドライバー胡さんと片言の中国語と筆談で話したところ、彼は1994年の広島アジア大会にエイトクルー(8人漕ぎ)のメンバーとして参加しており、安徽省黄山の近くより来たとのことでした。
そのほかにも近くの外国語大学から学生ボランティアが多数参加しており一生懸命仕事に取り組む姿には大変好感が持てました。英語はもちろん日本語を話す学生も結構いたのには驚きました。また、皆「普通话」で話しており、広東語はほとんど耳にしません。共通語教育の普及(徹底?)ぶりがうかがえます。広州在住の中国人が隣の香港に行くためにはビザ(滞在7日まで)が必要というのも初めて知りました。
ところで、宿舎のテレビを見ているといくつかのチャンネルでは戦争映画や戦争ドラマを放送しており、悪役は「鬼子(日本兵)」。中国でこのような番組が毎日のように放送されていることをわれわれ日本人の多くはほとんど知らないのではないでしょうか。
大会では中国のパワーを実感し、学生ボランティアの様子からは若い世代の友好的な姿勢を感じましたが、同時に両国間の過去の出来事についても忘れてはいけないことを改めて考えさせられた次第です。

レース風景(男子シングル・スカル)
訃 報
寺崎文司 様
寺崎さんは12月25日、心疾患のため逝去されました。享年74歳。高校教師退職後、支部主催の中国語教室を受講され、協会に入会されました。交流会ではポーカーフェースでのユーモラスな語りで会を盛り上げ、支部版にはすてきな詩をご投稿くださるなどのご協力をいただきました。
永年日本民主主義文学会の事務局を担当されていました。葬儀では会場に入りきらぬほどの人々がお別れをしました。元旦には「こどもたちに希望ある未来を」という賀状をいただいておりました。
大泉正気 様
大泉正気さんは1月1日夜、心筋梗塞のため逝去されました。享年77歳。
中国東北部に生まれ、中国には深い関心と親しみを持っていらっしゃいました。医療機器販売の仕事で県内外を奔走されておりました。
支部の中国語教室には長い間参加されていました。7日の告別式には多くの同学們(同級生)が参列。その誠実な人柄が偲ばれます。多年、中国への「植林の旅」にも加わっておりました。福島支部の中国旅行では2009年の黄山・アモイ、2010年の東北地方の旅をともにされました。「中国の空気を吸うとホッとするんだよ」と家族や兄弟に話されていたそうです。中国人の留学生や家族のめんどうを良く見て、「日本のおじいちゃん」として慕われていました。正気さんは福島支部理事
・大泉和久さんのご尊父です。

撫順順戦犯管理所前で、後列左から5人目が大泉正気さん
お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2011年1月5日 通算2212号
年頭に思うこと 福島支部長 北村 寧
さて、昨年の日中関係は大変きびしいものでした。とくに、9月7日に発生した先覚諸島付近海域の漁船衝突事件
以降、日中双方の対立がエスカレートしました。10月に内閣府が実施した「外交に関する世論調査」では、中国に
「親しみを感じる」という回答は20.0%で過去最低、「親しみを感じない」という回答は77.8%で過去最高、とのことで
す。不信の深さは相当深刻だと思います。
漁船衝突事件について、本協会は「理事長談話」(9月15日)で「冷静な対応と話し合いを通じた問題解決」を訴えました。この文章を読んでいて、アダム・スミスの「想像上の立場の交換」という言葉が浮かんできました。スミスは
人間はどんなに利己的であるとしても、「同感」すなわち、他人の喜びや悲しみを自分のものとして、他人と共有する感情を持っている、と言います。こうした感情(同感)の発生を「想像上の立場の交換」で説明するのです。他人の喜びや悲しみは自分の直接的な体験ではないから、自分が他人の立場(境遇)を考えることから発生する、つまり、人間は想像力を働かせて、いったん他人(相手)の立場に身を置き、もし自分だったらどうだろう、と考えることで「同感」が発生するというわけです。
「いったん相手の立場に身を置いて考える」。日中双方のエスカレートした議論に欠けているのがこのスタンスではないかと思います。自分にとって相手の主張がどれほど理不尽であるとしても、相手には相手のそれなりの「根拠」があるはずです。どんなに対立していても「冷静な対応と話し合いを通じた問題解決」を目指すのであれば、まずは、双方が「いったん相手の立場に身を置いて考える」ことが出発点になるのではないでしょうか。
末筆になりましたが、本年も当支部の諸活動になお一層のご協力を賜りますようお願い申し上げ、年頭の言葉といたします。
祝您新年快樂
本年もどうぞよろしくお願いいたします 2011年正月
日本中国友好協会福島支部
支部長 北村 寧
理事長 長尾光之
理 事 大崎やま子
後藤孝一
平田雄三
安藤恵子
事務局長 長尾文枝
会計監査 安藤勝夫
池澤実芳
2010年12月15日 通算2211号
日中友好りんご狩り
12月12日(日)午前11時、市内飯坂町の後藤農園に福島支部会員、家族、親類、中国人など20人あまりが集まり、恒例のりんご狩りを楽しみました。後藤ミンさんの説明を受けた後、参加者たちは気に入った樹の下に行き、真っ赤に熟れた、お尻の黄色いりんごを選び袋一杯に摘み取りました。
摘み終えたあとには、恒例の懇親会となり、後藤家のお座敷に用意された熱々の芋煮や参加者たちが持ち寄った煮付け物、ローストビーフ、煮卵、サラダ、アップルパイなどを味わいながら、自己紹介や九月の中国旅行の話題などが豊富に飛び出しました。初めて参加された6人の方々も皆さん楽しそうでした。アルコールも入って、みなごきげん。初冬の宴会は夕方まで続きました。
長尾文枝事務局長は協会活動のダイジェストを説明し、『日中友好運動のあゆみ』や『季刊中国』の購読をお願いし、それぞれ5部と2部の普及をしました。

さくらちゃんはりんごをおじいさん(諸橋さん)の袋に

青空に映えるりんごの実

和気あいあいの懇親会
お礼のことば 福島支部理事長 長尾光之
みなさま。2010年中には福島支部にご協力いただきありがとうございました。
今年は尖閣列島問題をはじめ、中国についてのさまざまな報道がなされ、友好運動も難しさを迫られる場合が多々あります。このような時だからこそ、互いの文化、歴史観を学び、理解し合い個々人の友好関係を深める必要があります。
福島支部はこのような中で、中国語教室、中国東北地方旅行、平和のための戦争展と漫画展、りんご狩りなどの行事を成功させてきました。
来年も日本と中国の関係はアジアと世界の平和という観点から見てますます重要になっってくるでしょう。
みなさんがご健康に留意され、お元気で新しい年をお迎えになることを望んでおります。
2010年12月5日 通算2210号
中国人の医療サービス観光
福島県は医療サービスと観光を組み合わせた「医療観光」のモニターツアーを企画し、招待された中国上海市の一行が郡山市の病院で最新のがん検診を体験しました。健康意識が高まっている中国の富裕層を県内に呼び込む狙いがあり、県lは参加者の意見を参考に商品化を後押しします。
ツアーには、上海の医療や経済界、旅行会社などから7人が参加。健診のほか、三春町の「滝桜」や、会津若松市の鶴ヶ城観光などを盛り込みました。
福島県革新懇ニュースより
長尾理事長・福島県革新懇代表に
革新懇運動について
60―70年代にかけて東京・京都・大阪・仙台・福島でも多くの自治体で革新首長が続々と誕生した。これが国政全体に広がっていくのかと思ったが、そう直線的には進まなかった。以前のような政党間の共闘を軸にした統一戦線は期待できず、モデルのようなも
のも今は無い。しかし、革新懇の目指す方向は正しいと思う。福島県の革新懇運動を見ていると、民主運動の第一線に立っている人、経験豊かな幅広い人たちが頑張っていて勉強になることが多い。
安保50年ということで各地で学習が強まることを期待しているが、マスコミの一面的な報道や、押し寄せる大量の情報によって、国民の中に、正しい見方が簡単には浸透しにくいという面もある。文学とか文芸・演劇・映画など様々なものを通じソフトな形で県民
のみなさんに理解してもらう運動を代表委員の皆さんと一緒に模索していきたい。
日中友好協会の運動
1964年から40数年続けてきたことになる。66―76年の中国の文化大革命のときにもわれわれの協会は干渉をはねのけて日中友好運動の原則を守った。日中友好運動の本流は60年の歴史を持つ私が会長をしているわが協会である。
日中友好協会は1950年、日中不再戦を基本に、日本と中国の人民の友好、平和の課題を中心に活動してきた。福島支部は7年連続して中国の各地を訪問している。今年は東北地方(旧満州)に行った。
この間、尖閣列島や毒入り餃子問題などで日中間の対立する場面も出ている。尖閣列島が日本の領土であることは国際的に19世紀に確定しており、何の国際的紛争にもならな
かった。しかし1970年に天然資源(石油・ガス)が出るようになってにわかに中国・台湾が領有権を主張し始めた。天然ガスの開発については日中両国共同で行なうことが合
意されており、両国間の知恵で解決されることを期待している。右翼的勢力がこうした問題を利用して反中国感情を掻き立て、憲法改悪や再軍備の方向に誘導して行くことを憂慮
すべきである。
日中友好協会福島支部は毎年一回の中国旅行のほか、留学生や働いている人・結婚して福島に居住する中国人の人たちとの親睦をはかっている。中国語教室も20数年間続けて
きており、平和のための戦争展も日中友好協会が事務局となって実行委員会を作り、7年間続けてきた。
「福島県革新懇ニュース」11月号
読者通信より
前記の「福島県革新懇ニュース」10月号に対する反響がありましたのでご紹介します。
私も中国語を習っています
長尾先生が県革新懇の新しい代表に選任されたとのこと、素晴らしいことですね。記事の内容も大変良かったです。会の新しい発展が期待されます。そして山口さん、5年間大活躍,本当にご苦労様でした。私も現在ラジオ講座で中国語を学んでいます。とても面白いです。新美正代さん(愛知県阿久比町,元福島市在住)
中国旅行でご一緒
中国東北旅行にご一緒した長尾さんが県革新懇の代表に就任され心強い限りです。中国に拘束されたフジタの日本人は、旧日本軍が中国に遺棄してきた毒ガス処理事業の入札のために調査をしていたようです。今回の旅でも毒ガス被害で日本政府への損害賠償を求める訴訟団の弁護士と懇談してきました。未だに残る過去の侵略戦争の加害の事実を反省しきちんと処理することが日中関係の正しい発展の前提だということを感じてきました。
小沼利正さん(郡山市,協会郡山支部会員)
2010年11月25日 通算2209号
中国・東北地方への旅行に参加して
斎藤純雄
会員でもなかったのに今回の「歴史と平和の旅」に参加させていただいた。友好協会ならではの貴重な旅行をさせてもらったことにまず感謝したい。
一つ一つ記すことはできないが、訪れた至るところが近代日中関係の歴史の現場であった。なかでも平房の731部隊の跡地の記念館で、犠牲者の遺族の朱さんの話を直接聞くことができたのは、大きな意味のある経験であった。在職中に、広島で20人ぐらいのグループに分かれて被爆者の縁の地で証言を聞かせてもらうという形の修学旅行を始めた(広島修学旅行はその後10年間続けられ、のちに沖縄へと変わった)社会科日本史担当の教員だった自分としては、加害の現地で証言を聞くということは是非とも必要なことだったはずなのだ。広島・長崎・沖縄…そうした悲劇をもたらす戦争の「起点」とも言うべき「満洲」には、もっと早く行くべきだったというのが旅行前の気持ちだったが、旅行後の今でもそう思えてならない。
それにしても私たちの父祖の世代は、なんとも大変な遺産を残してしまったものだ。いや父祖だけではない、私たちの世代もまたそれを贖いきれないでいるということにも気づかされる。ハルビンで被害者の弁護士に話していただいた2003年に起きたチチハルの遺棄毒ガス被害にさえ、私たちの国の裁判所は補償を認めない。このままでは私たちの次の世代へもこの負債は引き継がれることになる。この重い遺産を放置して恥じない感覚は、あれだけの犠牲を強いた沖縄に、いまだに米軍基地を押し付けている感覚と通じるものがあると思う。
過去だけではなく、現代の中国も垣間見ることができたようにも思う。相次ぐ建設工事と交通ラッシュのすごさは、現代の中国の活気を象徴するかのように感じられたし、一方で長春大学日本語学科の女子学生たちが見せた入学後二ヵ月間全員必修だという軍事教練に対する表情も印象深いものだった。
また、約40年ぶりに長尾会長と直接お話しする機会ともなり、学生時代の懐古談もまた楽しいものだった。当時は文化大革命の最中であり、友好を願う相手から激しい攻撃を受けてもなお日中国交回復運動(この運動は現在では不当に無視されてしまっていると思うが)に取り組む友人たちの活動も見聞きしていた。その頃、賛同はしながらも積極的な参加はしなかったことを思い出しつつ、遅ればせながら協会に加入させていただくことにした。よろしくお願いします。

731部隊で献花する福島支部旅行団
2010年11月15日通算2208号
福島支部
第2回理事会開く
11月13日(土)午後二時から福島支部第2会理事会が開かれ、理事6人が出席しました。
「協会をめぐる情勢」については長尾理事長が全国理事会で決定された「東シナ海を平和・協力・友好の海に――『尖閣諸島沖の漁船衝突事件』協会の見解」を要約し、「尖閣諸島は1895年に日本が領有し、中国は1970年代まで領有を主張しなかった。協会会員の多くは日本領と認識している。現在の日中両国は関係が密であり、今回の問題は影響が多方面に及んでいる。この問題は平和的な話し合いで解決をはかるべき」と報告しました。その後,ネットに公開されたビデオなどを巡って討議を行いました。
中国語教室については、受講生のみなさんが熱心に真面目に学んでいることが報告されました。また、来年4月から開催予定の29期は「市民会館以外の会場を検討してはどうか」との意見が出され、「市民会館に地理的条件等の長所がある」との意見も出ました。この課題についてはデータを集めて行くこととしました。
9月に行った「中国東北地方旅行」についての感想文が四回連続「支部版」に掲載され,旅行自体も感想文も評価が高かったことが報告されました。来年度は8月20日以降に計画すること。場所は南京大虐殺記念館を見学したあと、内陸部の雄大な自然を持つところ等を検討して行くこととしました。
恒例の「日中友好りんご狩り」は12月12日(日)午前11時から飯坂町の後藤農園で行うこととし、会員や中国人に広く参加を呼びかけて行くこととしました。
カレンダー「中国悠久の旅」は普及がまだ十分ではないため、理事会を中心に普及をはかることとしました。
第三回理事会は1月15日(土)午後2時から開きます。
お知らせ
福島支部 日中友好りんご狩り
12月12日(日)11時より
後藤農園(飯坂町平野ホームセンターケーヨーD2北向い)集合
参加費 おとな 1000円(入園料と交流会費)
留学生 500円(交流会費)
こども(小学生以下) 無料
・昼食を持参してください。りんご狩り後、交流芋煮会を楽しみ ます。差し入れ大歓迎です。
・準備の都合上、ご参加希望者は11日まで福島支部にお申し込み
ください。 ℡FAX 024-536-5431

昨年のりんご狩りに参加した中国人留学生

昨年の芋煮会風景
2010年11月5日 通算2207号
日本と中国の歴史観の違い
長尾光之
10月9日(土)に東京ガーデンパレスで日本中国友好協会創立60周年記念行事が開かれました。記念講演、シンポジウム、レセプションという構成でした。概要は「日中友好新聞」10月25日号に報道されています。
このうち「シンポジウム・日中関係の未来を展望する」は第1部「歴史の自省から新たな日中関係を模索する」という標題で、パネリストは石島紀之、山田朗、劉傑の3氏、第2部「現状を分析し未来を展望する」という標題で、大西広、羽場久美子、毛里和子の3氏というそうそうたるメンバーであり、充実した内容でした。
第一部で劉傑氏は、E.Hカーの「歴史は過去と現在の対話である」という言葉を引用しうえで「日本人と中国人が過去のうちのどこを歴史と見ているかについて大きな違いがある。日本人は1945年以降を歴史と見ているの対して、中国人は阿片戦争以後を歴史と見ている」との発言がありました。このように整理されると、日本と中国のいわゆる歴史認識の食い違いがよく理解できます。
毎年7・8月に日本のテレビや新聞では戦争をよく取り上げるようになりました。2010年の今年もなかなかの力作が作られましたが、その95%以上は「戦争の被害」の側面を取り上げていました。原爆、大空襲、沖縄戦などです。
今年9月に福島支部では中国東北地方に「歴史と平和の旅」を行いました。この旅行で気づいたことに中国の中央政府や地方政府が近現代史に関連している歴史施設の保存や運営にたいへん力を入れていることです。今回見学したところでも、731部隊陳列館・撫順戦犯管理所はリニューアルしたばかりですし、平頂山惨案紀念館・方正県日本人公募も再整備されていました。918歴史博物館には就職したばかりらしい若者や中高生が団体で見学に来ていました。中には説明を聞かずに遊び回っている子供もいましたが。こういう光景を日本と比較すると、歴史教育に対する取り組みが中国とはまったくちがっていることを感じさせます。
「こういうことでは駄目だ。日本でももっと近現代史教育に力をいれなければ」と悲憤慷慨するだけではなく、「なぜこのような状態になっているのか」ということを良く考えて行くことが必要ではないでしょうか。
その上で、協会が80年代以降に力を入れてきた「平和のための戦争展」や「戦争の加害の側面の強調」などの課題により深く取り組むことが重要だと思います。
(注)E.H.カー(Carr)、1892年~1982年。イギリスの歴史家。英外務省勤務後、ウェールズ大学教授。『歴史とは何か』で知られる。歴史とは「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのである」と定義する。

劉傑氏
2010年10月25日 通算2206号
福島支部中国東北旅行
長春大学日本語専攻学生との交流
真木 實彦
今回の中国東北旅行は、日中両国に刻み込まれた不幸な歴史から学ぶことを通して将来の両国友好の絆を強めるのが主な目的であった。その中で例外的に、長春大学外国語学院日本語専攻の三年生達二十数名との交流は、過去との媒介なく直接未来に向けて友好を暖める企画で、旅の最後に、しかも、意外性のある好企画であった。今回の旅行のほとんどは私にとって再訪地だったが、長春大学は始めてだった。満州時代の建国大学跡地に立地した大学だそうだが、長春で伝統ある東北師範大学や吉林大学とは異なって1980年代にいくつかの高等教育機関を集めて作られた新しい大学との事であった。今回の旅の案内人馬乃周君の母校だという。そんな関係からセットされた新基軸の企画だったのだろう。
たまたま、私が直接に話を交わした学生は交流会の全体司会をした段慧龍さんだった。司会時の挨拶文は前日に先生から短くと指示され、一晩かけて800字ほどに仕上げたという。来年始めには知り合いを頼って訪日する事が決まったと期待に胸を膨らませていた。クラスのリーダー役を自他ともに認めるなかなか積極性のある学生だった。日本語専攻の学生の多くは旅行ガイドや日本語教師などを目指しているそうだ。段さんもそうだという。彼女の学業や生き方に対する態度は大変意欲的で好ましく、今後メル友になることを約束して、アドレスを教えた。彼女は内モンゴル出身のモンゴル族だという。
ところで、私には十数年来付合っている中国の「娘」が二人いる。二人とも今年50歳で、いわき市と大連市に居住し、それぞれ大学で中国語と日本語を教えている。一人は漢族、もう一人は朝鮮族だ。二人は昔大連外国語学院で日本語を学んだ同級生同士だ。日本留学時の教え子で、その後中国での私の講演を通訳してもらったりして付合いを深めた。現在では日本の「父さん」「母さん」と慕われ、主にメールでの交際が続いているが、時には直接会う。この夏も来福し、勝手に家中を掃除し、大量の餃子を作って冷凍庫に収めて帰っていった。彼女らが来ると我が家は蜂の巣が突かれたような大騒ぎになる。
段さんとは将来この二人のような付合いになりそうな予感を抱きながら別れた。そのうちに「三人目の娘」、いや「初孫」が生まれるかもしれない。そうなれば、今回の中国旅行は私にとって特別な意味を持つ旅になる筈だ。楽しみなことではある。 (2010・9・20)

歓迎の歌をうたう長春大学生

みなで記念写真

海南島出身の学生(右端)と
2010年10月15日 通算2205号
福島支部
第1回理事会ひらく
9月25日(土)午後2時から支部事務所で第一回理事会が開かれ、理事六人が出席しました。
はじめに、比佐理事に代わって新理事となった平田雄三さんが紹介されました。
つぎに、長尾理事長がこの2ヶ月間の報告と情勢報告をしました。8月24日から26日までは「ふくしま平和のための戦争展」が開かれ、約1千人が参観しました。今年はとくに「漫画展」を併催して好評でした。末永恵子さん、森田拳次さんの「平和講演会」、会津若松でのフィールドワークなど関連行事の詳しい報告もありました。
情勢については、第2回全国常任理事会決定を紹介しながら、中国の経済力の増大に従って「中国脅威論」などが強まっていること、これに対応してアジアと世界の平和への世論を高めて行くこと、中国人の観光客が増えていることは反中国報道を払拭することにつながること、茨城県で中国人実習生が過労死と労災認定され、これは全国的に顕在化している研修生等の実態を明らかにするうえで大きな意味があることを報告しました。
尖閣列島での船舶衝突事件については同列島は歴史的に見て日本領であることは明らかで、今後中国側と話し合いを続けて行くことが必要で、国際的にも訴えて行くべきことを報告しました。この報告にもとづいて討論しました。
中国語教室は各クラスとも出席率がよく熱心に学んでいるが、クラス内の学力差があることが課題であるとの指摘がありました。クラス増すべきとの意見もありましたが、これについては他県の状況や、外国語教室の置かれている現状について情報を集めながら検討することとしました。
9月9日から16日まで行われた中国東北旅行には18人が参加し、長春・偽満皇宮館、方正県日本人公墓、731部隊跡地、撫順・戦犯管理所、同・平頂山記念館、瀋陽・918博物館、北陵公園などを訪れました。参加者からは「支部版に訪問地等の説明が連載されて事前学習となった」「たいへん詳しく説明を受けよく理解できた」「内容のある良い旅行だった」「来年以降も是非計画してほしい」等のおおむね良い評価が与えられました。
「福島支部版」には今回の旅行について感想文を連載するとともに、折々の行事についても報道し、また「福島と中国」も連載を続けることとしました。
第2回理事会は11月13日(土)午後2時から開きます。

空から見た尖閣列島
731部隊跡を訪ねて 松谷彰夫
中国東北地方を訪ねる「歴と平和の旅」も4日目を迎えていた。私たちを乗せたバスは平房に向かっていた。いうまでもなく哈爾浜南方の原野に忽然と建てられ、敗戦の直前に日本軍自らの手によって爆破され、歴史の闇へと忽然と消し去られた731部隊、ありとあらゆる人体実験を繰り広げた細菌部隊跡を見学するためである。到着するや、金成民館長さんをはじめ陳列館の職員の方々に出迎えられた。早速、かつて部隊本部が置かれていた第1号棟に案内された。2006年に遺跡として保存することが決定され、他所で保管されていた品物もここに集められ、現在も陳列館として整備中であることなどの説明を受けた後、各所をめぐった。欧米視察後の石井四郎は、「安価で殺傷力は高く、広範囲に感染する細菌兵器は、鉄不足の日本にとって有益な兵器である」と説き、軍部を動かし多大な予算を獲得していった。…『悪魔の飽食』や「戦後50年」を中心に放映された各種番組のビデオで、何度も見てはその都度衝撃を受けてきた場所に、今自分は立っているのだ。と思いつつも、まるで離人症にでもかかったように、目にし耳にしている事柄が、一瞬、何か遠い世界のように感じられた。余りの残酷さに感覚が麻痺してしまいそうなのだ。
「私たちの生活は一気につぶれてしまいました。当然の事ながら、私たちは食べることもままならない困窮に陥りました。…父が死んだということは分かっていても、どうしてもこのような死に方だけは、今でも受け入れられないのです。動物以下の扱いではないですか。」遺族の朱玉芬さんの振り絞るような証言に、知らず知らず涙がこみ上げてきた。彼女がまだお母さんのお腹にいたとき、叔父と父の二人をここで殺されたのだ。しかもその事実すら、金館長の調査によって判明するまで長い間知らなかったという。長尾先生を団長とする日中友好協会の一団がやってくるとの連絡を受けた館長は、彼女の話を聞かせたいとの判断から170キロも離れた大慶から招いて、待っていてくれたのだ。その時も、その後も思った。今回の私たちの豊かな旅は、日中友好協会のこれまでの活動の成果をすっかりいただくことによって成り立っていたのだと。そうでなければ、日本軍が遺棄した毒ガスによる被害者救援に頑張っている麗弁護士や、李樓さんにも、決してお会いすることはできなかったことだろう。

右から731陳列館の金成民館長、犠牲者の親族・朱玉芬さん、通訳の李樓さん
2010年10月5日 通算2204号
方正日本人公墓をたずねて 龍田光司(いわき市在住)
この度、日中友好協会福島支部の人たちと「中国東北地方を訪ねる歴史と平和の旅」に参加した。いわき市からは私が1人だったが長尾会長初め楽しく、意欲あふれる人たちとの有意義な旅だった。
旅行四日目が「満蒙開拓」の悲劇地であった「方正」の「日本人公墓」をたずねた。
ハルピン市から2百キロの郊外、地平線まで果てしなく続くトウモロコシ畑を車窓に見ながら『ああやっと「満州」に来たのだ』と言う感を深くした。かつて国策に欺かれ、中国人の土地を奪い「開拓民」となった、どれだけ多くの日本人がこの道をトラックや荷車に身をゆだねて通ったことだろう。
方正鎮に着くと、中年の「党市委員会」の方が出迎えてくれた。タクシーに乗り換えて「鎮」の東方の山麓の涼しげな松林に静かに建つ「方正地区日本人公募」に案内された。
ソ連参戦後、一万人を超える「開拓民」の逃避行が始まった。「方正に着けば「関東軍の食糧基地がある」といううわさ。周辺の開拓地から、一カ月も二カ月もかけ、赤ん坊を背負い、老人の手を引き、山を越え川を渡ってたどりついた。
しかし関東軍は「もぬけの殻」だった。酷寒の冬が訪れた。収容所では次々と流行病と飢えと寒さのため、弱いものから息を引き取って行った。一万人のうち5千人は死亡、他は生き延びるために中国人と結婚したり、中国人の父母に拾われた。
春になり、収容所の近くに積まれた裸の死体や狼に食いちぎられた死体が積み重なっていた。あまりにもの悲惨さに、この「砲台山」の地に荷車で集め、火葬してくれたのはこの地域のお百姓さんたちだった。
1963年残留婦人の松本さんたちが「放置されている遺骨の墓を建てたい」と言う「願」を出した。方正人民政府はこれを受け入れ、ハルピンから運んで作った立派な大理石の慰霊碑を建ててくれた。
私たち旅行団のなかには元「開拓民」でこの地で母を亡くした黒森さんがいらっしゃる。みんなで花と黙とうをささげた。碑の後のコンクリートのドームの下には永久に帰えることなくこの地に数千の人たちの遺骨が眠る。
1981年以後、ようやく帰国出来た遺児たちは貧しい生活の中でも差別なく育て上げてくれた養父母への感謝の気持ちは忘れなかった。1990年再びこの地を踏んだ佐藤勇さんはすべての『中国人養父母』のための「公募」を建てた。「方正県は24万人の人口の内、数万人は残留日本人とのかかわりを持つという。岩手県の日本の寒冷地水稲育成技術者の藤原長作さんはその技術をこの地に伝え、方町県の畑を見事な水田農耕地帯に変えた。その記念碑や日本人の建てた「記念館」をおとずれた。
こうした日中の友情の絆は、「公墓」を訪れた長野県はじめ多くの日本人の心に生き続けだろう。豊かに広がる黄金の海と風に揺れるコスモスの花に初秋の季節を感じながら、犠牲となった同胞の霊たちの記憶を胸に方正を後にした。


熱烈歓迎!新会員
末永恵子さん
8月13日に「731部隊と現代の医療」と題して「平和講演会」で講演され、大きな感銘を与えました。福島支部の中国旅行にも参加したかったのですが、残念ながら、お仕事の関係で行けませんでした。
福岡県出身で、現在福島医大講師をされています。
斉藤 純雄さん・美知代さん
9月の福島支部東北旅行にご夫婦で参加されたのを機会に入会されました。
純雄さんは宮城県で美知代さんは福島県で高校の教員をされていました。
松谷彰夫さん
やはり今回の旅行を機会に入会されました。高校の教員をされていました。さっそく、「支部版」10月15日号に中国旅行の感想文をお寄せになります。
ごぞんじですか? 外国出身者のための生活相談
多言語(英語、中国語、韓国語、タガログ語、ポルトガル語)による 無料生活相談窓口のお知らせ
(財)福島県国際交流協会では、外国人の方々のために外国語で生活相談に応じています。
相談は電話と面談で行いますが、来所される場合には事前にご連絡ください。
秘密は守られますので、安心して相談してください。
なお、相談はカウンセリングとは異なり、相談者の自己決定・自己選択を前提とし、様々な情報や選択肢を提供するものです。
英語、中国語、日本語
毎週火曜日~土曜日 9:00~17:00
※英語・中国語は、職員の用務により、対応できない場合があります。
韓国語、タガログ語、ポルトガル語
水曜日 13:00~17:00
※第4、5水曜日は事前予約が必要です。
連絡先
〒960-8103 福島市舟場町2番1号 福島県庁舟場町分館2階
TEL:024-524-1316 FAX:024-521-8308
E-mail:ask@worldvillage.org
2010年9月25日 通算2203号
福島支部
中国東北地方歴史と文化の旅へ
9月9日 福島支部では中国東北地方を訪ねる歴史と文化の旅を行い、18名が参加しました。仙台空港から長春空港へ。長春では日本のかいらい皇帝であった溥儀の「偽満州国」皇帝博物館をはじめ、関東軍司令部・長春映画製作所を車窓から見学しました。
10日 午後高速道路を経てハルビンに。ここでは、戦後補償裁判のうち「日本軍遺棄毒ガス」事件の被害者支援を行っている羅立娟弁護士と毒ガス裁判に詳しい李樓さんの通訳と解説で懇談しました。
羅弁護士の話
日本軍が遺棄した毒ガスによって戦後も多数の被害が出ていること、最近ではとくに 2003年8月4日、中国黒 龍江省チチハル市内での、遺棄毒
ガスの被害があります。最終 的な被害者は44名にのぼり(そのうち13歳以 下の子どもが5人)ました。事件直後、液 体を浴びた人々は、猛烈な皮膚の痛み・
痒み、目の痛み、吐き気に襲 われ、数時間後 には、毒ガスに接触した皮膚が水疱になり、後にびらん状態となっていきました。被 害にあっ た人々のうち、廃品回
収所で液体を掬いだす作業をしていた1名の方は、ほ ぼ全身に毒ガス液を浴びたため死 亡しました。この事件は戦争のことを知らない若い世 代も含めて中国人に大きな衝撃を与えました。
毒ガス問題を含む戦後処理裁判では被害者が日本を訪れて、日本の支援者と交流し、 日本には戦争問題に ついてこんなに深く正確に理解し、親身になって支援してくれる人 々がいることを知りたいへん心強く思っていま す。本日もこんなにたくさんハルビンま で来て下さりありがとうございました。
その後,羅弁護士を囲んで「毒ガス事件をより良く理解できる文献や書籍は何か」「運動を盛り上げるためにはどうするか」などの質疑がありました。
11日 ハルビン郊外にある方正県の日本人公墓に行きました。1945年8月ソ連参戦と日本敗北後、官僚や軍隊がいち早く脱出したのち、残された開拓団などの日本人はソ連軍や中国人盗賊に襲われながら徒歩で逃げまどい「方正に行けば日本軍がいる」との噂を頼りに集まってきたところです。しかし日本軍はおらず、方正郊外には1万5千人が集結しました。このうち三分の一は亡くなり、三分の一は日本に帰り、残り三分の一は中国人にかくまわれて残留孤児になりました。この話を聞いて参加者たちは衝撃を受け,いつまでも日本人公墓や資料館に見入って離れませんでした。貧しかった方正県は戦後、岩手県沢内村の藤原長作氏の指導を受け、有数の穀倉地帯になりました。一面にコシヒカリの黄金の稲穂が波打っていました。
夕方にはハルビン市内の散策をしました。
12日 午前はハルビン平房地区の731部隊陳列館に行きました。館長みずから出迎えてくれました。日本軍が残虐な生体実験を行った実験室や写真でよく知っているボイラー跡地などを見学し、説明を受けました。そのあと、朱玉芬さんを紹介されました。朱さんは父親と叔父がこの部隊で殺され、父親が拉致され行方不明になった当時は母のお腹の中にいました。朱さんは「親族がここで殺され、家族はたいへん苦労した。平和な社会がなによりだ」と話しました。館長が遠来のお客である私たちのためにとくに朱玉芬さんを招待してくださったのです。わたしたちは丸太として犠牲になった多くの中国人、朝鮮人、ロシア人の名前が刻まれた石碑に献花し黙祷しました。その後列車で瀋陽に移動しました。
13日には撫順の戦犯管理所に行き、休館日であったにもかかわらず、ここも館長の懇切な説明により、中国側が日本人戦犯を人道的にあつかい、釈放された日本人たちは中国と日本の友好のために力を注いだという話を聞きました。平頂山記念館でも館長が対応しました。ここは1932年,日本軍が3千人の中国人を虐殺したところです。約80年前の被害者の人骨が多数保存されており、その生々しさに圧倒されました。ここでも献花し黙祷しました。
14日は918博物館を訪れました。日本が1931年におこした柳条湖事件はこれをきっかけとして日本軍が中国東北地方ひいては中国全土に戦火を拡大して行ったのです。
この博物館は日清戦争から戦後にいたるまでの日本と中国の近代史を克明に記録しています。見学者のなかにはバス数台を連ねた新入社員らしい人々や中学生の一団がありました。中国の若い世代がこのように近現代史を学習して行くと日中間の「歴史認識」の差はますます開いて行くのではないでしょうか。
瀋陽では張作霖爆殺現場である「皇姑屯事件発生地」などを見学し,また北陵公園観光やスーパーマーケットでの買い物などを楽しみました。
15日,列車で長春に移動、長春大学で日本語科の学生と交流しました。30名による歓迎の歌で迎えられ、わたしたちも「東京・北京」で応えました。
今回旅行に参加したのは全員60歳以上でしたが,ごく一部の人を除いて健康を害することもなく元気いっぱいで無事帰国しました。参加者たちは「いくつかの施設で館長みずから案内してくれるなど館を挙げた歓迎を受け感激した。たいへん内容のある旅行だった。中国・日本・アジアの近現代史が良く理解できた」との感想をよせるなど好評でした。 (次号から数名の方の感想文を掲載します)

朱玉芬さんと金731陳列館館長

731部隊の犠牲者に献花

地平線に沈む夕日

車中で談笑する福島支部旅行団
尖閣列島めぐり日中関係緊張
9月7日尖閣列島周辺海域で海上保安庁の巡視艇に中国漁船が衝突し、船長が逮捕されました。これをめぐっては両国でさまざまな動きがでています。
10月に日本への約1万人の団体旅行を予定していた中国の大手企業は17日、事件に抗議し、団体旅行を取りやめました。日本への団体旅行を中止したのは、宝健日用品有限公司(本社・北京、社員約3千人)。10月上旬から東京と大阪の二コースに分かれて順次来日する予定でした。
同社は、中止の理由について「日本への抗議」ため」の決定だとしています。
満州事変の発端となった柳条湖事件から七十九年を迎えた18日、漁船衝突事件に対する抗議行動が中国各地で繰り広げられました。北京の日本大使館前で行われたデモでは活動家らが「日本製品をボイコットせよ」などとシュプレヒコール。デモ行進の列はやじ馬も巻き込み、最大2百人に膨れ上がった。上海と瀋陽では、活動家らが「釣魚島は中国のものだ」などと書いた横断幕を掲げたり、日の丸を燃やしたりして抗議。広東省深圳市でもデモが行われました。
同日、10月9日に上海での公演が予定されていたSMAPのチケット販売が18日に停止、公演の中止も懸念されています。また、20日には中国政府の招待で訪中が決まっていた1千人の「日本青年上海万博訪問団」の受け入れ延期が決まりました。
いっぽう日本政府は「尖閣列島に領土問題存在しない」として中国や上海の領有の主張を否定しています。さらに今回の漁船は故意に海保艇に衝突したものでビデオテープもある、「船長逮捕は正当である」として拘留期限を延長しました。
今回中国での反日運動は先鋭になっているようですが、事実を冷静に見つめ感情的にならずに、冷静に対処することが必要です。周囲の中国人とも従来通りに友好的な交際を続けることや、中国を訪れたときにも節度を持った態度をとることが大切です。
尖閣列島問題
尖閣列島は古くからいずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。日本政府は沖縄県などを通じて現地調査を行ったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日本領に編入しました。それ以来日本の実効支配がつづいています。
中国、台湾が尖閣列島の領有権を主張しはじめたのは1970年代に入ってからです。海底に石油・天然ガスが大量に存在する可能性があることが背景にあります。
中国が領海法に中国領と書き込んだのは1992年のことでした。それまでは中国で発行された地図には「領海」とする区域の外に記載されていました。
2010年9月15日 通算2202号
福島支部
中国東北地方を訪ねる旅出発
9月9日(木)福島支部企画の「中国東北地方を訪ねる歴史と文化の旅」一行18人が仙台空港から出発しました。
今回は福島市からだけではなく、仙台市、いわき市、郡山市などからの参加もあります。一行は長春・偽満州遺構、ハルビン郊外の日本人公墓を訪れたあとハルビン市内で中国の戦後補償を扱っている弁護士と懇談します。そののち731部隊罪証陳列館、撫順戦犯管理所、918博物館などを訪問し、9月16日(木)仙台に帰国する予定です。

918歴史博物館
魅力的な都市上海から(下)
福島県上海事務所 渡邉憲夫
福島県上海事務所は、経済発展が著しい上海を中心とする中国との経済交流を促進することにより、県内の経済の活性化、産業振興を図るため、2004年7月23日に中国上海市に福島県初の海外事務所として開設されました。中国から福島県への観光客の誘客、福島県産品の輸出販売の促進、福島県企業への便宜供与、福島県関係者のネットワーク作りなどを行っています。
私は主に観光の業務に携わっており、一般の中国人や中国の旅行会社に対して、福島の旅行商品を企画提案しています。中国人にとっての日本のイメージとは、東京や大阪であり、残念ながらまだまだ福島県は知られていません。これまでは、料金が安く、できるだ
け多くの観光地が含まれている商品が喜ばれていましたが、徐々に滞在型や旅行に癒しを求める方も増えてきており、福島の魅力をアピールできるのではないかと思います。
ビジネスでは中国に進出している県内企業も多く、上海に新たに進出したいという相談もまだまだあります。また、福島空港利用者数も増えており、事務所で把握している分だけでも5年間で約5倍となっています。一方、福島県内に定住する中国籍の方は、県内の
外国人登録者数の約半分となっています。
しかしながらまだまだ日本と中国の理解が進んでいるとは言えないような気がします。中国では, まだまだ戦争のイメージにより、日本人は残酷な民族と考えている方もいますし、日本では中国人に対して悪いイメージを持っている人も多いと聞きます。実際に、中
国で何か問題があると、一斉に悪い側面ばかりが報道され、中国の一面だけを強く感じてしまうこともあります。
日本をターゲットにした国内産業も限界がありますし、年々減少する人口の中で, 日本が、福島県が生き残って行くには、どこかの部分で外国の力に頼らざるを得ません。中国だけ限定する必要はありませんが、幸い福島県には福島空港という中国との強いパイプがあります。より多くの中国人に実際に福島に着てもらい、実際の日本を知ってもらい、また、より多くの福島県人に上海を訪れてもらい、ビジネスの面でも文化の面でもさらに海外との交流が進むよう、上海から応援していきたいと思っています。
(福島県国際交流協会機関紙「Gyro」2010年7月号より転載)
2010年9月5日 通算2201号
ふくしま平和のための戦争展開く
8月24日(火)から26日(金)まで「ふくしま平和のための戦争展」が福島駅西口のコラッセふくしま一階アトリウムで開かれました。この展示会は「漫画展」「国民生活と戦争」「福島と戦争」の3コーナーからなり、戦争の歴史を忘れず、平和を求めるこ
とを目的としています。
第1コーナー「漫画展」に対しては「プロの絵はやはり緻密で美しい」「このうち何人かの漫画家のファンであり展示を見ることができうれしい」「絵が展示用に拡大されており迫力がある」「自分たちのところでも開きたい」などの感想が寄せられました。
第2コーナーでは、当時の現物、鉄カブト・陶製手榴弾・当時の新聞・雑誌・教科書などのほか、今年はじめて提供された戦地の父へ贈った娘のワンピース姿の写真とそのワンピースの現物、海軍軍人で特攻隊で亡くなった人の写真や軍服、カバンなどが展示されました。
第3コーナー「福島と戦争」では、1945年、全国に49発落とされた原爆模擬爆弾のうち、福島市郊外に落とされた長さ3.5㍍、幅1.5㍍の実物大模型や、朝鮮人労働者などを使
いながら、飛行機エンジンを作っていた「信夫山地下工場」の模型が展示されました。
会場は福島駅西口近くにあり、入場者は3日間で千名を越えました。NHKなどのマスコミにも報道されました。

「福島民友」8月25日付け
平和講演会
末永恵子さん
13日には福島医大の末永恵子さんが「731部隊と現代の医学」と題して講演しました。講演のなかで末永さんは
旧日本軍の生物部隊である731部隊の成立と運営に日本の医学界が深くかかわっていたこと、戦後データは米軍に管理され、朝鮮戦争にも使われたこと、現在の医学界もその影響を受けていることなどを指摘しました。
森田拳次さん
24日には漫画家の森田拳次さんが「漫画家の見た戦中と戦後」と題して講演しました。森田さんは「漫画展」の出品作品などをスライドで上映しながら、ご自身や赤塚不二夫さんなどの漫画に見られる中国での体験や引き揚げ後の日本について話しました。終了後サインに応じていました。
2010年8月15日 通算2200号
ここに青春を奪われた人がいた
会津戦跡巡りに参加して
菅野家弘
八月八日(日)、「福島平和のための戦争展」の一環として行われた「フィールドワーク・会津の戦跡めぐり」に参加しました。マイクロバスを借り切って九時に福島市を出発、会津に向かいます。夕方五時、充実した一日に満足して帰って来ました。 若松九条の会の渡部規雄さんの案内で、まずダム工事(猪苗代町)で働かされて亡くなり、今は西円寺に納められている朝鮮人遺骨にお参りしました。ダム水路工事では多数の中国人、朝鮮人が働かされ、死亡者もおりました。「中華民国人殉職者慰霊碑」「朝鮮人殉難者慰霊碑」が建てられています。
若松二九連隊の門柱には今若松二中の表札がかかっていました。そして一万一千人以上の遺骨(本人のではない遺骨や髪の毛だけのものも多いと聞いた)を収めた忠霊堂のある一角には、忠魂碑や満州会津村慰霊の碑、軍用動物供養塔などが連なり、それなりの空気を醸し出していました。 思えば国は違うが共に日本の国家権力に、大切な青春を奪われた場所でした。
なお、会津に行けば、鶴ヶ城や飯盛山に寄るのが普通です。今回は渡辺さんの話から、白虎隊や西郷頼母邸の女性たちも、マインドコントロールで集団自決に追い込まれ、それがまた、戦前戦意高揚のため活用されたことがよく理解できました。現場での追体験(フィールドワーク)はとても大切なことと、バスの中で話し合ってきました。

中華民国人殉職者慰霊碑(猪苗代町)

満州会津村慰霊碑(会津若松市・小田山)
2010年8月5日 通算2199号
中国東北地方をめぐる旅
⑧瀋陽・北陵公園
北陵は、中国遼寧省の瀋陽市の市街地北部にある後金の二代目、清の初代皇帝である太宗ホンタイジとその妻・孝文端皇后の陵墓です。北陵は瀋陽の中心部から北にあることからつけられた通称で、正式名称は昭陵と言います。陵墓、建築物などは現在でも良好な状態を残し、清朝初期の技術・建築文化の一端を知ることができます。2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)の明・清王朝の皇帝墓群の一部として追加登録されました。規模は清の関外三陵(他の二陵は東陵と永陵。)のうち最大。また現在、周囲は瀋陽で一番大きな公園・「北陵公園」となっており、自由な散策が可能です。
ホンタイジの死亡した崇徳8年(1643年)に着工し、完成をみたのは順治8年(1651年)です。その後康熙・乾隆・嘉慶の各年間にもそれぞれ多少の改築・増築工事がおこなわれています。陵墓のみならず、城壁・建築群は清朝初期の中国東北地域の気風をよく残していますが、明の陵墓をまねた部分もおおく見られます。
参道と、祭りをとり行う建物が四角形の城壁で囲まれた方城と、皇帝が埋葬されている円丘を囲む円い城壁円城に分けられます。方城の床にはかつて金箔が敷き詰められていま

北陵の方城の門
8月の平和を考えるイベント
8月7日(土) ふくしま平和音楽祭 福島テルサ 1:30~4:00
8日(日) フィールドワーク「会津の戦跡巡り」コープふくしま方木田店9時出発 バス代2千円、昼食代別
13日(金) 平和講演会「731部隊と現代の医療」 福島医大講師・末永恵子氏
福島市民会館404号室入場無料
14日(土) 県国際交流員の中国講座 県立図書館 14:00~ 申し込み 024-533-3220
24日(火)~26日(木) ふくしま平和のための戦争展 コラッセふくしま1階アトリウム
24日(火) 平和講演会「漫画家の見た戦中と戦後」 漫画家・森田拳次
16:30~コラッセふくしま501会議室
28日(土)~29日(日) 日本母親大会 ①あづま総合体育館 12:00~16:30
②福島大学・県文化センター 10:00~15:00詳細は℡ FAX024-522-9156
2010年7月25日 通算2198号
福島と中国⑥
宮本百合子
宮本百合子は東京生まれですが、祖父中條政恒は安積開拓に心血を注ぎ開拓の父と呼ばれ、晩年郡山市開成山で没した人です。
祖母の運が開成山に在住したので、百合子は幼少時代より毎年開成山に滞在しました。この開成山での体験が小説『貧しき人々の群』(大正5年)として「中央公論」に発表されました。百合子17歳の時です。百合子は祖父の安積開拓による近代化が、社会を発展させる一方で貧しい人々を多く生み出している矛盾に気付き、ヒューマニズムの立場から解決法を追い求めました。のち社会的人間の解放を求めてプロレタリア文学へ参加しました。1937年に書いた「中国文化をちゃんと理解したい」(『全集』第17巻、新日本出版社)では、「新時代の中国の生活について最も多く知るべき筈でありながら、今日まだ十分知っていない。知るための十分な便宜をも欠いている。中国の文化に対して新しい理解と接近の機会をもち得るのはこれからであろうと、期待している。」という中国についての文を発表しました。また、中国を舞台にした『大地』を書いたパールバックに対しても「そこで生れた場所に対する自然な、充実した知識、観察で描いているばかりでなく、独特な愛情が感じられる」としています。(「パールバックの作風その他」(全集11巻同前)

中国東北地方を訪ねる旅
⑦皇姑屯事件(張作霖爆殺事件)発生地
1928年6月4日、中国国民党軍の攻撃を受け北京から撤退中の奉天軍閥張作霖(ちょうさくりん)の特別列車を関東軍高級参謀河本大佐らの謀略によって、瀋陽(旧奉天)皇姑屯駅ちかくの満鉄線と立体交差する地点で爆殺し死亡させた事件です。これを機に関東軍を出動させて中国東北地域を占領する計画でしたが、田中義一内閣と陸軍中央の矛盾のため実現できませんでした。当時は「満州某重大事件」と呼ばれていました。28年12月田中首相は責任者の処罰を上奏、29年6月には「うやむや」の処置を述べたため昭和天皇の不信任を受け、7月に総辞職しました。この事件は、日本帝国主義の中国侵略を象徴していたもので、1931年の満州事変につながって行きました。

皇姑屯事件発生現場にある記念碑
2010年7月15日 通算2197号
福島支部総会ひらく
7月4日(日)午後1時から福島支部総会が開かれました。
議長に安藤勝夫さんを選んで議事が始まりました。
はじめに北村寧支部長が現在の日中関係の重要性を強調するあいさつをしました。続いて、本部、東京都連・宮城県連等からの祝賀メッセージの披露されました。
つぎに長尾光之理事長が、活動報告・方針案を長尾文枝事務局長が決算・予算案を提案しました。
討論のなかでは、「中国語教室の受講者減については市内他講座や他県の事情なども調べた上で対策を考えるべきだ」「旅行アンケートを公表したことへの是非」「支部の支出では事務所の占める割合が高いのではないか」「中国人とつきあってみて感じたこと」「福島県内の中国人留学生や日中友好運動について」等々の活発な意見が交換されました。
新役員人事については勇退される比佐千鶴子さんに替わって平田雄三さんが推薦されました。この人事案を含め、議案は採決の結果満場一致で承認されました。
終了後懇親会にうつり、出席者一人一人が協会との出会いのきっかけや近況・思いなど時間いっぱいまでなごやかに懇談しました。また、後藤理事の紹介で彭亜建さんが準会員になりました。
2010年福島支部役員
支部長 北村 寧(再)
理事長 長尾光之(再)
理 事 大崎やま子(再)
同 後藤孝一(再)
同 平田雄三(新)
同 安藤恵子(再)
同 大泉和久(再)
事務局長 長尾文枝(再)
会計監査 安藤勝夫(再)
同 池澤實芳(再)

2010年7月5日 通算2196号
第59回大会に参加して
福島支部 長尾文枝
5月に訪日した温家宝首相は「中日友好の基礎は民間にある」と強調されていました。それは、今年創立60周年を迎える私たち日中友好協会の成果と重要性を認めての言葉のように思いながら大会に出席しました。全国各地から日中不再戦、中国語教室のような文化活動、定住中国人への対応等々、多くの報告がありました。沖縄からは基地がなくなれば県費を福祉や教育に充てるることができるとの切実な発言がありました。
日中友好を願い、支部が大きくなるようにご指導、ご協力くださった村上健前支部長,安田昭,森清の三氏が顕彰されました。後日ご遺族にご報告いたしました。
最後になりましたが、今回の代表派遣募金にご協力いただいたみなさまに厚く御礼申しあげます。
60周年記念大会派遣募金ご協力者
北村寧、安藤勝夫、石川彩子、相原昌行、大泉正気、小柳桂子、中川利子、佐藤和、安藤恵子、平田雄三、菅野智子、鴫原雅子、比佐千鶴子、渡辺正、千葉孝、松浦淑子、大崎やま子、西本幸子、長尾光之、池澤實芳、長尾文枝
2009年活動報告(2009年5月~2010年4月)
協会は自主的・民主的な立場に立って日本と中国の正常な関係を打ち立てることを目標にするとともに、日本の中国に対する侵略戦争への反省と適切な戦後処理を行うことを主張してきました。また、お互いの立場を尊重した日本人と中国人の交流やさまざまな文化活動を行ってきました。
福島支部でも前記の全国的な活動を行うとともに、支部独自の活動を行ってきました。
中国語教室
第27期(09年4月~10年3月)を終了しました。受講生総数は26名,,修了者は25名でした。開講前の3月に一日中国語教室を開き、地方紙に報道されました。10年4月からは28期がはじまりました。当初3クラス募集しましたが,初級クラスへの応募者は少なく,開設することはできませんでした。中級は10名,上級は8名の17名となりました。このところ全国的に中国語教室受講生が減少しています。当支部でも28期はここ数年来最低の数です。不況によって受講生の選別眼がきびしくなっていること,無料のインターネット講座が増えていることがその理由と思われますが,なお慎重に対処して行く必要があります。
交流会
7月24日恒例の「夏の日中友好交流会」が開かれ、会員・中国語受講生・先生・留学生など22名が参加しました。全員が自己紹介をおこない、寸劇,コーラス・クイズを楽しみました。12月13日、りんご狩りを行いました。参加者は中国人7名、子ども2名を含む30名でした。
平和のための戦争展
平和のための戦争展の協賛団体となり,実行委員長を出し,事務局を提供しました。平和講演会(山田舜さん,丹治芙美子さん,森一さん)、フィールドワークなどの行事を行い、展示会は約2000人が参観するとともにTVなどでも報道されました。
中国旅行
8月19日から26日には福島支部が協賛する黄山・杭州・アモイ・武夷山旅行が行われ11名 が参加しました。帰国後実施したアンケートでは「旅行計画がきつかった」「費 用が高すぎる」等の感想が寄せられました。今後に生かして行くべきです。
事業活動
2010年度のオリジナルカレンダー「中国・悠久の旅」の普及に努め、180本を普及しました。協会創立60周年記念Tシャツを普及しました。
青海地震への募金
4月14日発生した中国青海省地震に対する義援金を呼びかけ,23,000円を送金しました。
中国についての情報提供
「日中友好新聞」同「福島支部版」等を通じて中国に関する情報を提供しました。ま た、医療通訳者の紹介などの支援を行いました(10年6月)。
全国大会,支部理事会
理事会を定期的に開きました。6月13,14日に、東京都で開催された全国大会には代 議1名を派遣しました。59回全国大会では福島支部の3名の物故者が顕彰されました。
福島支部版
日中友好新聞福島支部版を全国版と同一回数発行しました。大会機関紙コンクールで は佳作として表彰されました。
.2010年度活動方針(案)
中国語教室
10年4月から始まった中国語教室第28期を継続するとともに、11年4月から第29期 をより質の高い内容で開催します。初級コース、中級コース、上級コースの3コースを 開設します。外国語学習者の状況をよく研究し,受講生増につとめます。
交流会
「夏の日中友好交流会」を行い,会員や中国人との交流をはかります。りんご狩りやピクニックなどの会員や留学生と親睦をはかる行事を実施します。
平和のための戦争展
10年の平和のための戦争展と平和講演会、戦跡巡りフィールドワークに協賛してい ます。事務局を提供するとともに実行委員会・委員長を担当しています。今年は8月24-26日の展示会に日中友好協会創立60周年記念「漫画展」を「福島と戦争」コーナー等とともに共催します。講演会も8月24日夜,漫画家森田拳次さん等にお願いします。フィールドワークは8月8日,猪苗代,会津若松の戦績巡りを行います。11年も同様の企画に協賛します。平和をめぐる各種運動に協賛します。
中国旅行
9月9日から16日まで実施される福島協賛の中国旅行「中国東北地方を訪ねる歴史と平和の旅」を成功させます。
事業活動
2011年カレンダー「中国悠久の旅」普及等の事業活動を行います。
中国人との交流,情報提供
福島市とその周辺に到来、居住している中国人との交流を行います。中国との交流を希望する団体や個人に適切な助言をします。太極拳、きりえ、中国語、中国文学、中国映画、囲碁などの中国文化についての情報を集め、希望者に提供します。
全国大会,支部理事会
理事会を定期的に開き、方針を実行します。第60回大会に代議員を派遣します。
福島支部版
「日中友好新聞」福島支部版を定期的に発行します。寄稿,投稿を広く呼びかけ,内容の充実をはかります。
その他
会員や会外の人々の要望にもとづく本会の趣旨に沿った活動を行います。日中友好協会への理解を呼びかけ,会員・準会員の増加を目指します。
2010年6月15日 通算2195号
2010ふくしま「平和のための戦争展」のお知らせ
10年の「ふくしま平和のための戦争展」は8月24日から26日までコラッセふくしまアトリウムで開催されます。本年
は日本中国友好協会創立60周年を記念して行われる「漫画展・・・漫画家たちのみた日中戦争」があわせて開催されます。
また、平和講演会は末永恵子(福島医大講師)「731部隊と日本の医療」、森田拳次(漫画家)「漫画家の見た日中戦争」が予定されています。
フィールドワークは猪苗代の「中国人強制連行碑」、会津若松戦跡巡りを行います。
中国東北地方を訪ねる旅
⑥撫順平頂山事件記念館
平頂山は炭坑労働者の集落であり、飲食店・売店・理髪店などがあるにぎやかな地区です。一九三二年日本軍はこの地区の人々が大刀会に通じているとして、九月一六日正午、約三千人の村人を平頂山東側の空き地に集め、四台の機関銃で射殺し、平頂山鎮の八百を越す家もすべて焼かれました。同年一二月六日の国連大会で中国国民政府外交部長・顧維均はこの事実を提出し、国連の機関が調査することを要求しました。日本註国連大使の松岡洋右はこれを極力否認しました。一二月六日の国際大会で中国代表の顔恵慶が演説し、撫順で二千七百人あまりが虐殺されたことを公表し、アメリカの記者が撫順で調査した内容を証拠として引用しました。一九七一年、撫順市は虐殺現場で発掘を進めることを決定しました。一九七一年十一月、撫順市は「平頂山惨案遺址記念館」の落成式を行いました。現在、この地には「平頂山殉難同胞記念碑」も建てられています。

2010年6月5日 通算2194号
福島支部総会7月4日(日)に開催
2010年の福島支部総会は7月4日(日)に福島市民会館第605号室で開催します。このときには09年活動報告・決算、10年活動方針・予算、10年支部役員が提案され、討議のうえ採択されます。終了後は茶話会を開きます。
会員のみなさんに案内をさしあげますので出席をよろしくお願いいたします。ご欠席の場合は委任状をお寄せください。

2009年の支部総会
地震への募金23,000円に
4月14日に中国青海省で発生した地震により現地では大きな被害がでております。日中友好協会はこの地震へのカンパを呼びかけ,合計23,000円が集まりました。この募金は日中友好協会本部より中国大使館を通じて被災地に送られました。
ご協力をいただいた方々どうもありがとうございました。
熱烈歓迎! 新会員
穴沢利枝子さん
穴沢さんは中国語教室中級の受講生です。このたび会員になっていただきました。
中国に十数回旅行されています。中国語のほかに韓国語も学んでおられます。また「夏の日中友好交流会」ではビデオ撮影も担当されました。
福島と中国⑤
二本松市,戒石名碑
二本松城跡(霞ヶ城跡)に戒石銘碑があります。これは五代藩主丹羽高寛が「藩士の戒め」のため刻ませました。
爾 俸 爾 禄
民 膏 民 脂
下 民 易 虐
上 天 難 欺
お前がお上からいただく俸禄は
民の汗と脂の結晶である
下々の民は虐げやすいけれども
神をあざむくことはできない
これは藩主が藩政改革と綱紀粛正を願って作ったものとされています。
東大東洋史学教授・服部宇之吉によると戒石銘の原典は、中国の五代・後蜀の君主・孟昶が九六五年に作った「戒諭辞」に求められます。
二本松市の中国・京山県との交流
一九八八年、市内の松田忠治さんが市長の親書を持ち、湖北省・京山県を訪れました。このとき、二本松市の戒石銘に刻まれた四句一六字は一五五八年に京山県に建立されたと記録されている戒石銘と一致することが確認されました。それ以来、二本松市と京山県は種々の交流を重ね一九九四年一〇月友好都市協定が締結されました。
本稿作成に際しては福島支部理事大泉和久さんから資料の提供を受けました。あつくお礼を申し上げます。

二本松市・戒石銘碑
2010年5月25日 通算2193号
福島支部第五回理事会ひらく
5月8日(土)午後2時から福島支部第5回理事会が開かれ、理事5人が出席しました。
はじめに長尾理事長が6月12日、13日に開かれる全国大会の日程と議案の情勢部分を報告し、それをめぐって討議しました。
4月16日からはじまった中国語教室には中級に11名、上級に8名が申し込み、第1回の授業がはじまりました。
9月9日からの福島支部協賛の中国旅行は評判がよく福島市内からだけではなく、郡山市やいわき市からの申し込みがあります。また、6月17日から21日までの『坂の上の雲』関連の史跡や撫順戦犯管理所をめぐる全国規模の「平和の旅」にも福島支部から申
込者があります。
福島支部総会は7月4日(日)午後1時から(次項)、支部理事会は同日午前10時から開催します。
福島支部総会は7月4日(日)
福島支部総会は7月4日(日)午後1時から福島市民会館605号室で開きます。会員のみなさんはご出席下さい。
なお、ご欠席の方は委任状を提出してください。
中国東北地方を訪ねる旅
⑤方正県の日本人公墓
ハルピンから150キロ離れたところに黒竜江省方正県があります。ここは日本と縁が深いところで、中国東北地方で唯一日本人公墓が作られています。
日本政府の中国侵略、なかでも九一八事変を発端とする東北地方侵略は、中国人の土地を奪い、日本人の「開拓団」に農耕させ、永住させるという政策と密接に結びついています。1945年までに日本人の移住者は31万8千人に及びました。そして土地を奪われた中国人は5百万人に上ります。45年8月9日のソ連侵攻、8月15日の日本敗戦に際し、東北在住の日本人は大きな困難に直面しました。成人男性はほとんど軍隊に行っており、残されたのは女性、子ども、老人でした。「関東軍が守ってくれる」という話は実行されず、無防備の日本人たちは山野を逃げまどいました。その中で、ハルビン北西の「方正県に行けば関東軍がいる。軍の補給基地もある」という話が日本人たちのあいだに伝わりました。しかし、実際には45年8月19日関東軍司令官は「帝国の復興のため、より多くの日本人を残留させる」という方針による、棄民政策を決定していたのです。方正県に行けば助かる、日本に帰れる、と信じこんだ日本人たちはソ連軍や中国人盗賊に襲われながら逃避行を続けました。食糧も尽き果て、靴は履きつぶれてはだしとなり、老人、子どもをはじめとして次々に亡くなって行きました。子ども連れでは共倒れになると、自らの手で子どもを殺したり、置き去りにしたりする母親もおりました。方正についた者も多くは町から6キロ離れた収容所生活を送らねばならず、三千人が冬
を過ごすことになり、食糧不足と寒さで亡くなる人も多く出ました。
東北地方で亡くなった日本人のた
めに墓を作りたいという陳情にもとずいて、黒竜江省政府、中国外務省(当時外交部長は陳毅)等の承認のもと、方正県人民政府が多くの曲折を経ながら一九六四年に「方正地区日本人公墓」は建てられました。このほかにも何カ所かに建てられたのですが、破壊されてしまったそうです。方正県の墓も文革中に行衛兵が、壊したいと申し入れましたが、関係者が懸命に守り通しました。
方正県は棄民の被害者である「残留孤児」も多いところです。2010年の現在でも日本との関係が深く、この地区では住民の半分の人が何らかのかたちで日本とつながりがあるということです。現在外国人花嫁のトップである中国人花嫁が生まれるきっかけも方正県の残留孤児二世が中国人と結婚したことによるそうです。いま、日本で結婚する男女のうち、60組に1組は中国人妻という統計があります。中国人妻や夫とは協会も日常的に接する機会があり、ほとんどが地道に生活しています。しかし、訪中して二、三日で一生の伴侶を決めるという現在多く行われている方式は改善する必要があると言わざるを得ません。
東北地方の日本人棄民は、現実の日中間の直接交流ににも関連しています。今回の旅行では近現代史を適切に踏まえたうえでの諸活動を広げることの必要性を感じます。

2010年5月5日 通算2192号
中国東北地方を訪ねる旅
④清王朝の発祥地・世界遺産「瀋陽故宮」
「瀋陽故宮」は1625年に建設されました。清王朝が北京に遷都する以前に、初代皇帝の太祖・ヌルハチ、2代皇帝の太宗・ホンタイジが建設した皇宮で、北京遷都後は、皇帝が祖先を祭り王朝の出身地を訪れる東巡の際に立ち寄る施設として使用されました。瀋陽故宮は北京の故宮とならび、
現存する明・清時代の宮殿として貴重な存在だ。
当初の形態は、創業の時代で、しかも戦いに次ぐ戦いの連続の時代で、山岳地帯で半農半猟の女真族の宗教・文化を反映したものでありました。
それを最も現れているのが、入門して右側(東)に、八角形の太政殿とその前に左右五つある十王亭であります。太政殿の八角形というのは、女真民族特有のものであります。この建物は、太宗、世宗の二帝の即位式が挙げられたところでありますが、普段は太政(軍政)を議する重要な殿であります。十王亭は、二王(右翼王亭と左翼王亭)と八旗の王亭で、二王・八旗亭の云う方が正確だと指摘されております。
この八旗の兵制は、ヌルハチが、狩猟の際の体形を発展させた軍事組織で政治、経済、社会の基本組織でもありました。(江戸時代の藩に似た組織) この軍事組織が、鉄砲、大砲などの装備の勝る明の出先の軍を倒していったのであります。太政殿でヌルハチを中心に十王が軍議している間、各旗の幕僚が王亭で待機し、ときには、ヌルハチが全員を広場に集めて訓辞や、命令を発した光景を想像するのも面白いではありませんか。
ヌルハチは、1619年の明との決戦であったサルフの戦い以後、同年にジャイフィヤン城に、翌20年にサルフ城に、またその翌年の21年に遼陽城に、更にその翌年の22年には東京城にと毎年遷都し、また、25年3月に瀋陽城に遷る命令を発し、26年2月に戦闘で負傷して帰城し、7月には温泉療養に行き、その帰路の8月11日に崩じたのでありますから、瀋陽故宮にいたのは、1年半にもならないのです。
中央のの部分には、大きな主な建物として、崇政殿、清寧殿と鳳凰楼があります。崇政殿は日常の政治の行われる所で、朝見の儀式や饗宴などが行われた正殿であります。清寧殿は、皇帝や皇后の起居する内廷で、女真族の風習を反映している場所であります。それは、入り口が少し東にずれていることと、中央から西にかけて広い部屋を設け、コの字型に燗を巡らしている点であります。この清寧殿は、皇帝・皇后の居所ですからヌルハチの時にも当然あったと思われますが、本格的なものは、太宗ホンタイジの時に建てられたものです。清寧殿の前にある四つの小さな建物は、太宗の妃・四人の住居です。
高台に三層にそびえている鳳凰楼は、一種の宝物庫で、一層は門で、二層は諸皇帝の金や玉の宝物を、三層は歴代皇帝の肖像画や絵画を蔵するところであったようです。この建物は、様式から見て乾隆帝の時代に建てらものです。
内廷の塀を隔てた西外側に崇謨閣という乾隆年間に建てられた古文書館があります。ここに、1907年8月に新聞記者の内藤湖南が訪れ、清代初期の記録で、満州文字で書かれた「満文老档」を発見し、清代史研究に欠くことの出来ない資料であることを痛感しましたが、資料が膨大なため後日に期したのであります。内藤湖南は、その前の1902年に蒙満文の知識の必要を感じ、北京でその独習をして1905年には修得していたため、この発見につながったのです。
1912年3月京大教授となり、羽田亨(後に京大総長)とともにその4月に再訪して、その月の12日から25日までかかって、それを写真撮影したのであります。その乾板は、約4,300枚にも達し、これがその後の清代史研究の基礎資料となったのであります。この崇謨館にあった貴重な歴史資料は、遼寧省政府内に遼婦負寧省档案館(元・東北大学図書館)によって保管されているようであります。
左側の部分の建物群で、最も注目すべき建物は、乾隆帝の勅命によって編集された四庫全書を納めるだけのため、乾隆46年(1781年)に建てられたのが文溯閣であります。外観は切妻屋根の二層のようになっていますが、内部は三層に分かれています。他の宮殿と異なり黒の釉薬瓦を葺き、棟に雲と波の文様の彫刻をつけた瑠璃瓦をのせているのも特色といえます。また柱などにも朱色を塗らないですべて黒色をぬり、梁などに書籍などの装飾画が描いてあるのも書庫らしい扱いといえます。乾隆帝が日常的に使用する北京の紫禁城と円明園(英仏軍により全焼、全焼)、承徳(熱河)の避暑山荘と並んで、この宮殿に書庫を建設したことは、北京遷都(1644年)後100年を経てもなお重要な地位を占めていたものといえます。

瀋陽故宮・太政殿
福島と中国
④福島県上海事務所
福島県では、経済発展が著しい上海を中心とする中国との経済交流を促進することにより、県内の経済の活性化、産業振興を図るため、2004年7月 23日に、中国上海市に福島県初の海外事務所として「福島県上海事務所(福島県産業振興センター上海代表処)」を開設いたしました。
上海事務所には、福島県からの派遣職員2名、東邦銀行からの出向者1名、現地採用職員3名の常勤スタッフと、非常勤の経済交流アドバイザー1名が勤 務しており、福島と中国を結びつけた新たなビジネスの可能性を探るとともに、福島県のビジネスに関するさまざまな支援を行ってまいります。(同事務所HPより。一部省略)
2010年4月25日 通算2191号
第28期中国語教室開学式
四月16日(金)午後6時半から福島市民会館で第28期中国語教室の開学式が開かれました。残念ながら初級は受講者が少なく、今期は中級と上級2クラスでの開講となりました。
はじめに長尾理事長が「日本には60万人以上の中国人が定住しており、双方の観光客の往来も盛んです。中国からの輸入は衣料品の九割、食料品の六割をしめるにいたっています。まもなく上海万博も開かれます。中国と日本の関係はますます緊密化し、中国語の需要も高まって行くことでしょう。みなさんがこの一年しっかりと楽しく学ばれることを期待します」とあいさつしました。また、福島支部企画の9月の「中国・東北地方への旅」4月29日の福島県九条の会講演会の案内チラシを配り、参加を訴えました。
その後、上級・鄭実先生、中級・于蘭鳳先生が紹介され、さっそく第1回の授業に入りました。
挨拶する長尾理事長

開講式風景
ふくしま・桜満開
4月になっても低温の日が続きました。時ならぬ雪も積もって驚かされました。18日の日曜日にはようやく桜が満開となり桜の名所には花見客が訪れました。
市内西部の荒川沿い桜つつみ河川公園にもたくさんの人々が集まり、満開の桜を楽しんでいました。

さくらつつみ公園
2010年4月15日 通算2190号
日本人の死刑執行
麻薬密輸罪で死刑判決が確定していた日本人の赤野光信死刑囚(66歳)の死刑が6日午前、中国遼寧省の省都大連市で執行されました。
中国での日本人に対する死刑執行は、1972年の日中国交正常化以来初めてで、日本国内では「刑罰が重いではないか」「刑事手続きが適正なものであったのか」という疑念と、「日本の国民感情が損われるるのではないか」という懸念の声が聞こえます。これについて、「中国網」は中国社会科学院日本研究所の高洪副所長と外交学院の周永生教授にインタビューしました。
刑罰は重いのか?
まずは刑罰の重さですが、高洪副所長は「これは中国で実行された犯罪行為で、中国の公安部門に逮捕され、法律に基づいて判決が言い渡されたケースだ。中国はこのような越境犯罪を処罰する際には国内法を適用している。安全を維持し、他国の国民を含む各国国民の利益を効果的に保護するためには、悪質な犯罪事件を厳しく取り締まるような刑罰を考える」と指摘しました。
続けて、「これは中国特有の事情ではない。韓国、タイ、シンガポールでも麻薬密輸の犯罪者を処罰する際はすべて死刑を言い渡している」と他の国の事情と比較しながら指摘しました。(中国網)
中国東北地方を訪ねる旅
③撫順戦犯管理所
1949年9月、中華人民共和国を成立させた中国共産党は、日本人戦犯を各地の戦犯管理所に収監し、戦争犯罪の記録を克明に記録させたという。撫順管理所もその一つで、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)もに収監され、「人間改造」教育を受けた。
戦犯らは、シベリア抑留から中国に連れ戻された時、いつ死刑になるかと毎日おびえて暮らしていた。そして食事がきちんと与えられることに乗じて、ひそかに貯え、逃亡を準備していたという。しかし、ここ撫順に収容された戦犯は一人も死刑されずに日本に帰された。これを「撫順の奇跡」という。構内には元戦犯らが建てた「謝罪碑」がある。
管理所内には、講堂や医務室、病室などが当時のまま保存されてあり、戦犯の一人一人が大事にされていたことがうかがえる。中庭には運動場もあり、戦犯らが故郷をしのんで歌い踊った野外舞台や、手づくりの日本庭園や池なども保存されていた。
室内の多くのスペースは、抗日運動から戦後までの歴史展示室になっていて、小山さんら戦犯の暮らしや教育を受けている写真もあった。戦後日本の安保闘争や平和運動の写真などもあり、中国が日本国内の動きになみなみならない注意を払っていることが察せられた。
日本に帰った元戦犯らはその後、「中国帰還者連絡会」をつくり、日中友好のために侵略戦争の証言者として活動してきたという。
この管理所は本年6月にリニューアルされ,式典が行われる。
2010年4月5日 通算2189号
福島と中国
③草野心平
詩人・草野心平は1903年、福島県上小川村(現いわき市)に生まれました。磐城中学校を4年で中退、慶應義塾普通部に編入学しましたが、しだいに外国に行きたいと思うようになりました。「未知の大きな風物を夢みるように想い」中国行きを決意します。1921年に上海経由で中国に入りました。上海では内山完造に会っています。香港を経由して2月3日、中国南部の広州へ着き、6月に広州市にある嶺南大学に入学しました。ただ一人の日本人学生でした。当時の広州には、領事館、新聞社、商社などに相当数の日本人が滞在しており、心平は日本人たちのあいだでも人気者でした。
そのころ、周作人・茅盾らによって「文学研究会」が作られ、広州にも支部ができました。心平もこの研究会のメンバーとなり、「マシンガン」のように多量の詩作をはじめます。
孫文と会う
1921年中華民国政府が成立し、孫文は広東国会で大統領に選ばれていました。同年2月、孫文は北伐を宣言し、大本営を広州に移していました。心平はそこに訪ねて行きました。孫文は心平ら3人と引見し、一人一人と握手をしました。同年9月、孫文が宋慶齢夫人と嶺南大学で講演したときにも心平はあいさつしました。孫文は「ああ、いつかの君だね。ここで勉強しているのか」と、一寸意外だという表情をして傍らの夫人を顧みました。
第1回の帰国
1925年になると日本排斥運動(排日運動)が盛んになり、心平は帰国せざるを得なくなりました。帰国後は高村光太郎・宮沢賢治らの詩人たちとの交流が深まりました。
王兆銘政権へ
1940年、嶺南大学時代の友人に誘われ、日本のかいらい政権である王兆銘政権の南京政府宣伝部顧問となり、南京へむかいました。1942年から日本文学報国会が企画した「大東亜文学者大会」が開かれ、日本・中華民国・満州国・蒙古から代表が参加しました。草野心平は「中華民国」代表として数回出席しました。日本敗戦後、ほかの日本人とともに「日本人収容所」に入れられ、46年3月帰国しました。
戦後の心平
日本に帰ってきた心平は貸本店や居酒屋「火の車」などを経営していましたが、その後詩作も盛んに行い、執筆・講演に忙しい日々を送るようになります。日本詩人協会会長を務め、文化勲章も受賞しています。1988年逝去。生まれ故郷には「草野心平記年文学館」が建てられています。

草野新平
2010年3月25日 通算2188号
中国語教室
第27期修了式ひらく
3月12日(金)午後7時45分から福島市民会館四〇四号室で福島支部中国語教室第27期の修了式が、入門・中級・会話・ステップアップの受講生が集まって開催されました。
はじめに長尾理事長が「中国をめぐっては連日のようにマスコミで報道されています。経済や人の交流も多くなっており、中国語の必要性はますます高まって行くことでしょう。今年度1年度でみなさまの力は向上しました。今後とも中国語の勉強を続けられることを期待します」とあいさつしました。
続いて、全員に記念の中国語テキストが贈られました。
27期は講師が帰国等のつごうで途中交代があり、受講生のみなさんにはたいへんご迷惑をおかけしましたが、後任講師のみなさんが任を果たしてくださいました。みなさんも楽しく受講され、無事終了式を迎えることができました。

修了式風景1

修了式風景2
中国東北地方を訪ねる旅
②長春電影宮(映画制作所)
中国最大の映画製作所です。もとは「満州国」時代に日本が作った「満映」(満州映画協会)でした。「満映」では『都市的洪流』『明星日記』等の劇映画や『伸びゆく国都』『蒙古少年隊』等の啓蒙映画を多数制作しました。もっとも有名な女優は『万世流芳』等に出演した李香蘭(山口淑子)です。「満映」の理事長は関東大震災の時大杉栄夫妻と子供を殺害した甘粕正彦です。1945年の日本敗戦の日、甘粕理事長は服毒自殺します。「満映」は中国に接収され、「東北電映制片廠
」になり、『橋』等の映画を作りました。

李香蘭(山口淑子)

撮影所
2010年3月15日 通算2184号
福島支部
第4回理事会ひらく
3月6日(土)午後2時から支部事務所で福島支部第4回理事会が開かれ、理事5人が出席しました。
はじめに長尾理事長が全人代が開かれている中国の状況など情勢について報告し,討議しました。また,常任理事会 (3月13・14日),東北ブロック会議(3月27・28日),全国大会(6月12・13日)等の日程についても報告がありました。
中国語教室については,3月12日(金)の授業ご7時45分から27期修了式を開くこととしました。28期は初級,中級,上級の3クラスの開講と,担当講師も内定しました。
理事各自がそれぞれ知人に依頼をするとともに,これまでに受講している方々に受講の「おさそい」を郵送することにして誰に送るか該当者を検討しました。9月に行われる「中国東北旅行」はなかなか評判が良く,すでに申込者や問い合わせ者があることが報告されました。ハルビンでは是非ロシア料理を食べたいとの希望がでましたので旅行社に伝えます。
「友好新聞支部版」では連載「福島と中国」がはじまり,すでに「福島の中国人」が掲載されました。今後,中国人留学生戒石銘碑,草野心平などを順次掲載する予定です。 「戒石銘碑」については大泉理事から二本松市の中学生の作文があることが紹介されました。また,「中国東北地方の旅」についても長春映画宮,日本人公墓,・731部隊などを連載で紹介することにしました。
この間,会員としてさまざまにご協力されてこられた安田昭さん,森清さんがお亡くなりになったことが報告され,哀悼の意を表しました。
次期大会までに全国で会員と準会員を増やそうとの計画があります。今回は3月現在の福島支部の会員・準会員数等を確認し,まず2名の方にこととしました。
第5回理事会は5月8日に開きます。
福島と中国
②福島県の中国人留学生
県内の留学生
県内の外国人留学生数は二〇〇八年一〇月現在、三五一人で、一九九九年以降年々増加してきました。〇五年から〇七年までは減少に転じましたが、〇八年度は再び増加しています。出身国別内訳では中国からの留学生が全体の七割弱となっており、その他ミャンマー、韓国などのアジア諸国が全体の九割以上を占めています。(表1)なお、〇八年度のミャンマーからの三一名はすべて東日本国際大学の受け入れです。
教育機関別では、福島大学と東日本国際大学、会津大学で全体の九割の留学生を受け入れています。
福島大学の留学生
福島大学は中国の北京師範大学、華東師範大学、河北大学、中南財経政法大学と大学間交流協定を結んでいます。〇八年度の留学生総数一六一名中、中国からは一二七名で七八.八%を占めています。続いて韓国一六名(九.九%)、ベトナム九名(五.五%)となります。
福島支部中国語教室
中国語教室の講師は八〇年代は日本人だけでしたが、九二年に中国人留学生の施国恩さんがはじめて担当しました。その後徐々に中国人が増えて行き、九八年からはすべて中国人講師となりました。
現在の講師、劉瑞さん・郭芳さん・王秀芳さん・鄭実さんもすべて中国人留学生です。
表1 留学生出身国別推移
| 中 国 | ミャンマー | 韓 国 | マレーシア | |
| 2008年 | 231 | 31 | 20 | 10 |
| 2007年 | 160 | 18 | 8 | 8 |
| 2006年 | 169 | 13 | 13 | 8 |
| 2005年 | 197 | 11 | 13 | 8 |
| 2004年 | 213 | 9 | 11 | 8 |
2010年3月5日 通算2186号
新連載・東北地方を訪ねる旅
すでにお知らせしておりますように、9月9日(木)~16日(木)までの8日間、
福島支部主催による「中国東北地方を訪ねる歴史と平和の旅」を行います。今回からこの旅行先のいくつかについてご紹介をして行きます。
①長春・偽満州国遺構等
「満州」事変は、日本が中国東北地方にたいして起こした侵略戦争です。事変とは国際法上の「戦争」禁止をまぬがれ、自国の権益維持のめの反乱鎮圧という印象をあたえるため、当時の政府がつかったもので、事実上の宣戦布告なき戦争でした。日本は経済恐慌による国内での諸矛盾の激化と、中国における革命運動の発展が、中国東北部や内蒙古における日本の「権益」をおびやかす情勢に直面し、米英が世界大恐慌の国内対策に追われ、他方では中国内部で蒋介石政府が紅軍にたいする内戦をおこなっている情勢を利用し、東北部への侵略をはじめました。
1931年9月18日、関東軍が作り上げた南満州鉄道爆破事件(柳条湖事件)をきっかけに本格的な侵略をはじめました。蒋介石が不抵抗方針をとったこともあり、日本はたちまち東北部一帯を支配し、翌32年に溥儀を執政とするかいらい政権をつくり「満州国」と名付けました。中国の提訴を受けた国際連盟はリットン調査団を派遣しました。33年2月国際連盟総会がリットン報告書を承認すると日本は連盟を脱退し、孤立の道を歩みました。
なお、中華人民共和国では満州あるいは満州国という地名は絶対に使いません。「中国東北地方、東北部」と言うのが普通です。どうしても「満州」という言葉を使うときには「偽満」(ニセものの満州)と言います。90年代に日中友好協会のある支部が写真撮影用の横断幕に「旧満州」と書いたものを持って行ったところ「あなたたちのような中国に理解のある団体がこの言葉を使うのか」とたいへん驚かれたそうです。

国務院跡
訃報・森 清さん
福島支部会員の森清さん(87歳)は3年前から胃癌を治療していましたが、2月28日に亡くなりました。
戦前,日本軍兵士として中国に派遣された際、負傷し、八路軍の日本人民解放連盟に助けられました。日本敗戦後も頼まれた鉄道管理の仕事をしつつ、新中国建設に協力されました。
1953年、帰国。日中友好協会福島支部に直ちに入会し、文革の時も数人と協会にとどまりました。94年の福島支部再建にも貢献し、中国語教室、平和のための戦争展、交流会などの成功のため尽力されました。
福島市内の工場などで働いていた中国人たちの相談にも乗っており、「好爺爺(良いお爺さん)」と頼りにされていました。
ご冥福をお祈りいたします。

森 清さん
2010年2月25日 通算2185号
新連載「福島と中国」
福島と中国は現代においても歴史的にも中国とさまざまな関係があります。今回から1号おきに,連載でそれらを見てゆきましょう。また,読者のみなさん「このようなテーマがあるとお気づきになったら,ご寄稿くださるか,ご一報ください。適切なテーマであれば取材させていただきます。
福島と中国①
福島県内の中国人
県内外国人登録者の推移
2008年12月末日現在の県内外国人登録者数は12,870人でした。07年に比べ26人,0.2%の増加となりました。
県人口と外国人登録者の推移を見ると,県人口が1997年をピークに減少傾向を示しているのに比べ,外国人登録者数は,07年末を除いて一貫して増加しています。県人口に占める外国人登録者の割合は表1のように対千人比で89年1.94から08年6.21と3.2倍となっています。
中国籍の増加
国籍別の主要国の推移を示す表2を見ると中国籍が一貫して増加しています。フィリッピン籍も近年は増加に転じ,ブラジル籍については減少が続いています。
中国人妻の数
夫が日本人で妻が外国人の婚姻数は中国が172人,ついでフィリッピン121人,韓国・朝鮮52人となり,中国人がもっとも多く,構成比の42.3%に達します。
表1 県人口に対する
外国人登録者割合
| 対千人比 | |
| 2004年 | 8.07 |
| 2005年 | 8.21 |
| 2006年 | 8.02 |
| 2007年 | 8.21 |
| 2008年 | 8.28 |
表2 国籍別の内訳
| 中国 | フィリッピン | 韓国朝鮮 | ブラジル | |
| 2004年 | 4623人 | 3149人 | 2010人 | 744人 |
| 2005年 | 5090人 | 2784人 | 2034人 | 736人 |
| 2006年 | 5310人 | 2400人 | 2026人 | 579人 |
| 2007年 | 5604人 | 2465人 | 1993人 | 505人 |
| 2008年 | 5768人 | 2512人 | 1980人 | 436人 |


2010年2月15日 通算2184号
2010年2月5日 通算2183号
「節分」について
日本の暦の中には中国から伝わったものがたくさん溶け込んでいます。十干十二支や二十四節気、陰暦、中秋の名月や七夕など。それらは中国語読みもできますし、日中共通の文化として話題にしたり、違いを比較して楽しんだりすることができます。それでは、「節分」はどうでしょうか?
「節分」の本来の意味
日本のカレンダーでは2月3日は「節分」となっています。祝日ではありませんが、全国各地の神社仏閣で豆まきが行われる年中行事として定着しています。しかし本来「節分」とは、年に4回あったのです。「節分」の本来の意味は「季節の境目」です。「季節」をどう定義するか?これを決めるのが二十四節気です。つまり、「立春」が春の始まりで、「立夏」が夏の始まり、「立秋」が秋の始まりで、「立冬」が冬の始まり。そして、それぞれの前日が「季節の境目」である「節分」なのです。ですからカレンダーの「節分」の次の日は「立春」なのです。
豆をまいて鬼を払う
二十四節気は中国から日本に伝わったもので、「立春」などの言葉はそのまま中国語読みをすることができ、漢字を見せれば中国人にも通じます。おそらく、二十四節気が日本に伝わった時に「季節の変わり目には邪鬼が入り込む」という考えも同時に伝わったと考えられます。季節の変わり目に入り込もうとする鬼を払う儀式は「追儺(ついな)」と呼ばれ、平安時代には宮中の行事として定着しました。この追儺の儀式は、続日本書記によると文武天皇の時代に最初に行われたようです。ただしこの儀式は、陰陽師に邪気退散を祈らせるもので、豆まきとは違います。「豆まき」は神社仏閣で行われていた「豆打ち」の儀式から伝わったと考えられています。「追儺」と「豆打ち」がまざりあって、日本人の庶民の生活に入り込んでいったのが節分の行事であるようです。
中国の爆竹=日本の豆まき?
中国では「節分に豆をまく」という習慣はありません。しかし、「入り込もうとする鬼を払う」という思想は中国の習慣の中に生きています。最近では禁止されつつありますが、春節ではおなじみの爆竹。あれも、元々は大きな音を出して鬼を追い払うためのものだったようです。その他、門柱に縁起のよい言葉や神様の絵を貼ったりする習慣も、やはり「鬼に入り込まれないように」という思想から来ています。
「節分」が年に1回になったわけ
年に4回あったはずの「節分」が、なぜ年に1回だけ「立春」の前日にだけ盛大に行われるようになったのでしょうか?それは「立春」が春の始まりだからです。春の始まり=1年の始まりととらえられ、「立春の前日」は「節分」であるだけでなく1年の境目ととらえられて特に盛り上がるようになったと推測されます。
「節分」って日本語?中国語?
「節分」は日本語です。日中辞典で「節分」を引くと「立春の前日」という直訳が載っていますし、「節分」と漢字で書いて中国人に見せても意図がきちんと伝わらないでしょう。「節分」という習慣のもともとの思想は中国から伝わったものですが、日本の文化の中でアレンジされ育まれてきたのが、現在の日本の節分であると言えるでしょう。節分に鰯の頭やヒイラギなどを飾るという習慣は近代から始まったようですし、関西発祥の「恵方巻き」も最近になって全国区の習慣になりつつあります。


葛飾北斎「節分の鬼」
2010年1月25日 通算2182号
三国志の英ゆう・曹操の陵墓を発見
中国河南省文物局は昨年12月27日、同省安陽市安陽県で、後漢末期の武将で三国時代(3世紀)の魏の基礎をつくり、「三国志の英雄」として知られる曹操(155~220年)の陵墓を発見したと発表しました。陵墓からは60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、専門家による暫定的な鑑定結果によると、60代で死亡した曹操本人のものとみられます。曹操の陵墓の所在地をめぐっては諸説あり、これまで特定されていませんでした。
文物局は、曹操を指す「魏武王」の銘文がある石牌(せきはい)が発見されたことが、曹操の陵墓であることを示す有力な根拠だとしている。だが、懐疑的な学者らは、「魏公や魏王ならわかるが、魏武王という呼称はおかしい」「証拠品は、盗掘者から押収されたものではないか」との声もでています。
文物局は12月31日の記者会見で、「銘文入りの石牌八つのうち盗掘者の押収物は一つだけで、残りはすべて発掘、出土したもの」と批判に反論。さらに、専門家が検証した結果、「石牌は、質や構造から見ても、盗掘者が偽造できるものではない」と強調。「魏武王」の呼称についても「当時の歴史背景に合致している」と説明しました。
一方、墓から出土した男性の遺骨と曹操の子孫のDNAを鑑定して慎重に確認すべきだとの意見も出ていますが文物局は「遺骨の保存状態が悪く、鑑定は技術的に難しい」としています。(人民網等)

墓から出土した石の枕に刻まれた銘文「魏武王常所用慰項石」。こ
れらの出土品が、墓の主を特定するのに有力な根拠となった。

曹操の墓の入り口
2010年1月15日 通算2181号
福島支部
第3回理事会ひらく
2010年1月9日から福島支部第3回理事会が開かれ、理事5名が出席しました。
はじめに長尾理事長が中国の自動車売り上げが世界一になったことをはじめ、経済的成長がいちじるしいこと、まもなくGDPが世界第2位になるであろうこと、それに比例するかのように中国の国際的な役割や発言権が大きくなっていることを紹介。しかし、国内的には官僚の汚職腐敗、貧富の格差、民族問題等の課題もまた数多くあること、などの情勢について報告しました。
中国語教室については現況について意見交換するとともに27期の決算を了承しました。28期については、予想される受講生数からみて3クラス開設が適切との結論になりました。中級Ⅰ、中級Ⅱ、ステップアップです。今後、会員や受講生を通じて募集することとしました。
12月13日に行われた「日中友好リンゴ狩り」は30名が参加。うち、中国人は7名でした。たいへん盛況で、場所を提供された後藤農園への感謝のことばもありました。
カレンダー「中国悠久の旅」は注文数180本すべてが普及されました。ご協力いただいたみなさまへ御礼申し上げます。
中国旅行については、昨年3月に実施した旅行アンケートで黄山について希望の多かった東北地方について旅行者から6泊、8泊の2案を提示してもらい、討議の結果、9月9日から8泊で瀋陽、ハルビン、長春等にゆく案が採択されました。(別項)日中戦争当時の記念館やゆかりの地を訪れ、研究者、学生、弁護士らと交流します。この旅行には宮城、山形等の東北各県にも参加を呼びかけることとしました。
次回、第4回理事会は3月13日(土)午後2時から開きます。
2010年1月5日 通算2180号
年頭に思うこと-日中ゆう好ゆう愛」
福島支部長 北村 寧
明けましておめでとうございます。お元気で新しい年を迎えられたことと存じます。
さて、昨年9月、鳩山首相は就任に当たり、「友愛」精神を強調しました。言うまでもなく、「友愛」は、フランス革命(1789年)のスローガン「自由・平等・友愛」の一つです。この歴史的含蓄のある「友愛」を、首相はどのように理解しているのでしょうか。
首相は次のように「定義」しています。「友愛とは、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方です」(2009年9月25日付朝日新聞「首相の国連総会の演説案」)。この意味での「友愛」はそれ自体としては結構なことです。しかし、「友愛」をフランス革命という歴史的文脈のなかで理解するとすれば、首相の「定義」には決定的な「何か」が欠けているように思われます。
「自由・平等・友愛」は、ブルボン王朝(絶対王政)の圧政を打破しようとする人びとの「闘いのスローガン」です。「自由」と「平等」は封建的・身分的支配・隷属からの解放を求めるスローガンであり、「友愛」は絶対王政の打破という共通の目標をもつ人びとの「連帯」・「団結」・「連帯感」(仲間としての連帯意識)を表すスローガンだと思います。
そうだとすれば、現代的・一般的意味での「友愛」とは、共通の目標を達成しようとする人びとが互いに相手を自分の利益を実現するための手段として利用することがないような「人間と人間の結びつき」、すなわち、「人間的連帯」ではないでしょうか。前述の首相の「定義」に欠落しているのは、この「連帯」という歴史的意味です。
「人間的連帯」を軸とする「友愛」は日中友好協会にふさわしい理念ではないかと思います。日中友好協会は「日中友好の推進、日中不再戦」という共通の目標の達成をめざす、民間の自主的な運動体(非営利組織)だからです。GDP第2位の「経済大国」を目前にしている中国との関係は、今後、複雑できびしいものとなることでしょう。「友愛」理念にもとづく日中友好運動がますます重要になってくると思われます。
末筆になりましたが、今年も当支部の諸活動になお一層のご協力を賜りますようお願い申し上げ、年頭の言葉といたします。

新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
福島支部役員一同
支部長 北村 寧
理事長 長尾光之
理 事 大崎やま子
後藤孝一
安藤恵子
比佐千鶴子
大泉和久
事務局長 長尾文枝
会計監査 安藤勝夫
池澤実芳
2009年12月15日 通算2179号
福島支部
日中友好リンゴ狩り
恒例の「日中友好りんご狩り」が12月13日(日)午後11時から飯坂町の後藤農園で開かれ、ここ数年でもっとも多い30人が集まりました。中には埼玉から2年連続で参加された方もおりました。
はじめにりんご園を経営している後藤ミンさんが「わがりんご園は有機肥料を使用しており、有害農薬の心配はありません。また、水は地下水を汲み上げて使っています。今年は、台風など大きな自然災害もなかったので、りんごはたいへん豊作でした。みなさん、一人一人袋に5キロ以上採集していってください」と説明しました。参加者はそれぞれが真っ赤に熟れたりんごを袋いっぱいに狩り取りました。3人の中国人留学生と3歳になったばかりの金梨蓮ちゃんは生まれてはじめてのりんご狩りに目を輝かし、大興奮でした。
食事会となり、最年長の大崎やま子さんの音頭により乾杯しました。早い時間から準備されていたあつあつの豚汁や、差し入れのシュウマイ、肉団子、赤飯おこわのおにぎり、キムチ、煮豆などを食べ、お酒も飲みながら、歓談しました。珍しいお酒としては後藤孝一さん差し入れのトルコワインがありました。
そのあと参加者全員が自己紹介し、毎年行われるりんご狩りの楽しさや、中国旅行、中国留学の思い出を話しました。「日中両国の友好こそが世界の平和につながる」こと等話題が広がり、熱い思いを語り合い、大いに盛り上がりました。今回は7人の中国人が参加し、「日本の人々のやさしく暖かいおもてなしに感激しています」等の話をしていました。

説明する後藤ミンさん

金梨蓮ちゃん・自分の顔ぐらいの大きさのリンゴをつみ取りました

豚汁等を囲んでの懇談
お礼のことば
福島支部理事長 長尾光之
本年もまもなく終わろうとしています。
福島支部の活動にご協力、ご支援いただきありがとうございました。あつく御礼申し上げます。
福島支部では今年も中国語教室を継続するとともに、「平和のための戦争展と平和講演会」にも取り組み、平和運動の一翼を担うことができました。昨年は北京オリンピックのため取りやめとした中国旅行を再開し、黄山、杭州、アモイ、武夷山の旅を楽しみました。
また、例年通り「日中友好交流会」「りんご狩り」も成功させることができました。
来年2010年は協会創立60周年の記念すべき年です。中国は日本の最大の貿易相手国となっており、両国間の人の往来も盛んです。日本にとって中国の存在感はますます大きくなっています。
今後とも日中友好運動をこれまで以上に盛んに進めて行きたいと思います。みなさまがご健康で活躍されることをお祈りいたします。
2009年12月5日 第2178号
NHKテレビドラマ
「坂の上の雲」について
NHKのテレビドラマ司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が11月29日からはじまりました。今後3年間にわたって放映するそうです。一昨年から準備をはじめ、事前にNHKを通じて大宣伝が行われ、他のマスメディアも盛んに取り上げ、雰囲気づくりを充分に行った末、満を持しての公開となりました。
原作は60年代から70年代にかけて書かれた小説で、日露戦争をテーマにしています。 「坂の上の雲」とは坂を上り詰めればたどりつくであろう欧米的近代国家というものをあこがれをこめて名付けたものです。
前半では、秋山好古、真之兄弟と正岡子規が登場し、好古はやがて陸軍、真之は海軍の士官となります。後半では秋山兄弟のほか、乃木希典等が登場。旅順攻防を経て日本海海戦に至り、最終的には日本の勝利で終わります。
司馬氏の他の作品もそうですが、平易でストーリーテリングに優れ、読み始めると思わず引き込まれてしまいます。しかしこの小説を貫いているのは明治維新から日露戦争にいたる歴史を、日本のもっとも偉大な発展の歴史として描こうとしているもので、根底のところでは、最近よくいわれている日本の戦争肯定論に通じるものです。
また、日露戦争は中国大陸を主な戦場の一つとしていますが、この小説には戦場となった中国における大衆の姿はまったく見ることはできません。いわんや、後の時代の新しい中国を作り上げようとする動きに通じるような人々は現れません。
NHKの大々的なテレビドラマ化の動きのなかで、「憲法9条改悪の動きのあるこの時期に、なぜ?」など懸念の声も広がっています。川崎市と神戸市ではこの放映に疑問を表すシンポジウムが開かれました。「日露戦争と天皇の軍隊・『坂の上の雲』が語らない真実」(11月1日、治安維持法国賠同盟川崎支部主催)と「なぜいま『坂の上の雲』かを考える」(NHK問題を考える会・兵庫)が開かれました。
二つのシンポジウムで共通して指摘されたのは、司馬氏の特異な日本近代史の見方でした。日露戦争は「祖国防衛戦争」で明治はよい時代だったが、その後変質して太平洋戦争へと暴走していった、とする歴史観です。この歴史観は明治の延長線上に昭和があるという連続性を軽視しています。
ここ10年の改憲の動きと呼応するように、戦争を賛美するような動きが広がっています。この時期NHKが『坂の上の雲』を放送する影響はたいへん大きいものがあります。来年2010年は日韓併合百年です。隣国にとって忘れられないこのような年に放送するということも国際感覚の欠如を示していると思います。今後とも『坂の上の雲』の映像化にあたって軍国主義賛美や侵略正当化にならぬよう求めてゆく必要があります。

司馬遼太郎
2009年11月25日 第2177号
福島支部
第二回理事会ひらく
十一月二十一日(土)午後二時から支部事務所で第二回理事会が開かれ、理事四人が出席しました。
はじめに長尾理事長が十一月一四、一五日に開かれた全国理事会の決定にもとずいて、①今年は中国建国六〇年、来年は協会創立六〇周年の記念すべき年であること、それにふさわしい会員の増加を図ること、②オバマ演説を機に世界で核廃絶の動きが高まっていること、③中国の経済成長にあわせて存在感が高まっていること、④日本では自公政権が敗北し、新しい状況が生まれていること、などの情勢について報告しました。長尾理事長はまた、今理事会で一一月からはじまる日露戦争を描いたTVドラマ「坂の上の雲」について朝鮮や中国の人民の視点が欠けている等の問題点が各地で指摘されていること、気が付いた点はすばやくNHKに投書などの形で意見を述べるべきだとの指摘があったことも紹介しました。
一四日夕には首都圏労働者ユニオンの本多ミヨ子氏による「外国人研修生・技能実習生についての問題点」の学習会の内容を紹介しました。それによりますと、中国人を含む外国人研修生等は、自由を奪われて長時間の低賃金労働をさせられている実態が明らかにされ、今後とも協会はじめ関係団体が解決に向け、努力して行く必要があることが指摘されました。支部理事会では、これらの報告を受けて、討論を行いました。
中国語教室については現状が紹介されるとともに、来年四月からはじまる第二八期の計画について話し合いました。二八期のクラスは入門、中級、会話、ステップアップの四クラスとし、講師も福島を離れる人がいるので早めに状況をつかみ担当をお願いすること、受講生は新人をなるべく多く受け入れることなどを相談しました。
一二月一三日に予定されている「日中友好りんご狩り」は留学生等に参加を呼びかけること、開場を提供される後藤さんと話し合いながら、昼食作りのお手伝いを出来る人を確保することなどが話し合われました。
カレンダー「中国悠久の旅」は一八〇本の普及目標に対して一六〇本がすでに普及されていることが報告され、さらなる普及をお願いして行きます。
二〇一〇年の中国旅行については時期、価格等について様々な意見がでているので、旅行会社と相談の上、試案を提示することとしました。
来年六月の全国大会にむけて千人の会員拡大が提起されています。福島支部では一〇%を目標にすれば、会員六人、準会員四人、五%を目標にすれば会員三人、準会員二人です。具体的な対象者の名前が上がりましたので、働きかけを行います。
第三回理事会は一月九日(土)午後二時から開きます。
2009年11月15日 第2176号
日本人もびっくり仰天価格
中国大連で青森産リンゴ1個12萬円!
中国の旧暦正月(07年2月18日)を前に、中国大連市のあるスーパーで、1個8千元(約12万5千円)の超高価リンゴが現れました。青森産の「王林」と呼ばれるこのリンゴの重さは1個約1キロ。一方、小さくて安いのも1個68元(約1千円)がこのスーパーで販売。中国では年平均収入の比較的高い大連市の住民(約8万円から15万)にとっても仰天価格です。
中国紙「新商報」の報道によると、同スーパーマーケットで展示された最も大きい2つのリンゴは非売品であり、どうしても購買したい客がいた場合、1個8千元で販売するといいます。
販売員によると、これらのリンゴはすべて日本から空輸された青森産物だそうです。展示されたジャイアント・リンゴは、日本においても1本の木だけから収穫できるもので、今年は6個しか中国大陸市場に入っておらず、そのうちの3個が大連市に仕入れられたそうです。希少なことから、この仰天の価格が付けられたました。これらのジャイアントンリンゴはすべて無農薬で栽培されており、色がよく大きくて、味が良いとのことです。
同年1月23日より、同品種のリンゴはすでに千個近く販売されており、地方の夫婦が5~6万元(約78万~94万円)で400個を購入し、親戚友人たちへ贈答するといいます。リンゴを購入した客層は30~40代に集中しており、主に商売のために地方から大連を訪れる者が多いとし、少数が地元の消費者が旧暦の正月に供え物として購入したと分析されています。
報道によると、このような高額な青森産リンゴは、最近北京及び東北三省の大都市の市場でも販売されています。北京のスーパーで販売されている青森産リンゴは、龍と福などの文字が入っているのが特徴で、最高値段は一個で約1万5千円で販売されており、「リンゴのロールスロイス」と呼ばれています。(大紀元報道)
りんごはもちろん福島県産の果物は味・色・形でも一級品です。宣伝強化や販売ルートの確立で多くの中国人に味わってもらいたいものです。

青森りんご
2007年2月25日 通算2089号
福島が生んだ憲法学者・鈴木安蔵の半生
映画「日本の青空」を鑑賞しましょう
「押し付け」憲法論が叫ばれていますが、日本を占領していたGHQが参考にしたのは実は日本人が作成した憲法草案でした。それを作成したのが福島県旧小高町出身の鈴木安
蔵だったことは意外に知られていません。
ストーリー
雑誌編集部に勤める沙也可(二二)は、特集企画の「日本国憲法誕生の原点問う」で、名も知らぬ鈴木安蔵の取材を進めることになる。 戦後まもなく、安蔵(四一)を中心とした民間人による「憲法研究会」が作成した憲法草案が、実はGHQ案のお手本になっていたのいう事実。
安蔵の娘たちの取材に成功した沙也可は、託された安蔵の当時の日記を手がかりに、日本国憲法誕生をめぐる真実のドラマを明らかにしていく・・・
製作協力券一枚千円。この券があれば全国どこの上映会でも鑑賞できます。
福島支部にあります。
長 尾 理 事 長 最 終 講 義
2月22日の福島市は高気圧におおわれた暖かい日でした。この日協会理事長である長尾光之教授の最終講義が福島大学M21教室で行われました。地方紙2紙が報道しました。
2007年2月15日 通算2088号
春 節 中 国 の お 正 月
日本では最近は太陽の運行にもとずく太陽暦を使っています。江戸時代以前は中国の影響により、月の運行にもとずく太陰暦を使っていました。旧暦にもとずいて、「旧正月」を祝う習慣は昭和にまで続いていました。中国では通常の公的な行事の際にはは太陽暦を使っていますが、太陰暦も依然として広く用いられています。毎日のTVニュースでも本日は○月○日、農歴○月○日と必ず言います。農歴というのが、太陰暦です。いちばん華々しく旧暦が使われるのは、お正月です。新暦の元旦は職場でも学校でもあっさりしており、元旦は休みですが、元旦前後はふつうに働き、通学します。旧正月は「春節」として大々的に祝います。前後一〇日が休みとなり、離れていた家族は会い、学生は故郷に帰ります。家々では文字を書いた紅い紙(対〓)を貼りだし、集まってごちそうを食べ、お酒を飲みます。新暦は月日のずれがあまり大きくないので、四年に一度うるう年を設けて調整するだけですが、旧暦はうるう月を作るほどずれが生じます。春節の日も新暦の一月であったり、二月であったりします。今年は二月一八日です。
中 国 語 講 師 を 卒 業 す る に あ た っ て
韓 蔚敏
2004年の4月から日中友好協会が主催する中国語教室の講師を担当させて頂きました。それから2年があっというまに過ぎました。この2年間は大変勉強になり、自分も大きな成長を遂げたという実感があります。
中国人だからといっても、中国語を上手に教えられるとは限りません。中国語の文法を詳しく分からないと、文章の構造分析はできません。受講者の作文力も向上させられません。こういう面では、中国の高校と大学で受けた「現代漢語」の授業で学んだ中国語の文法に関する知識は大変役立ちました。一方で、基本的な文法知識が分かっても、その文法システムはすべての例に対応しきれない部分もあります(それこそ語学の魅力的なところかもしれませんが)。こういう時は、自分がネイティブ・スピーカーとあぐらをかいたり、ごまかしたりしないで、謙虚に、受講者の各々の理解、考えを聞く姿勢が大切と思います。言葉による表現というのは音楽や絵みたいな芸術品ですから、正解などありません。言葉に対する理解も人の感受性、個性によって異なっています。一方的に押し付けがましく教えるのではなく、その人の個性に一番合う表現を導き出すことは語学教師の仕事ではないかと私は考えています。
自分が使っている言葉を深く考えずに24年間を過ごしてきた私はこの教室の講師を務めてから、語学や言葉の勉強について考えるようになりました。これは私にとって一つの大きな成長です。
また、この教室のおかげで、私は沢山の方と出会いました。様々な協会の行事や日中友好協会が主催するイベントに参加させて頂き、大変楽しい時間を過ごしていました。
「一つの国に対するイメージはその国で初めて出会った人によって変わる」とある雑誌に載っていた一言を読んだ時、自分のことにリンクさせずにいられませんでした。初めての来日先は人間関係が濃密で、人と人のつながりが強い福島でしたから、私はこんなに日本のことを好きになったのではないかと思います。だからこそ、もっと日本にいたいと思うようになったのでしょう。
外国にいても、人間は一人では生きていけません。皆さんとのつながりの中で、皆さんに支えて頂きながら、私はここまでこられたとつくづく思います。これも日中友好協会の中国語教室に入ってから学んだものです。
今年の4月に大学院を卒業し、就職のため福島から離れますが、福島を第2の故郷として懐かしく思いますし、皆さんとは家族のように親しくさせて頂きたいと思います。
長い間お世話になりました。有難うございました。
2007年2月5日 通算2087号
二 五 期 中 国 語 教 室 開 催
中国語教室二四期は三月をもって修了し、四月一三日(金)からは、第二五期を開催します。二四期と同じ昼の初級・中級、夜の初級・中級・会話・ステップアップを募集します。韓蔚敏先生は大学院修了のため、交替しますが、金敬雄先生・黄菲菲先生・李 鵬運先生は継続されます.今、もう一人の先生に交渉中です。 また、チラシのデザインを一新するため、福島大学大学院美術教育専攻の佐垣慶多さんに製作を依頼しいます。
中国語教室受講料アンケート
値 上 げ や む な し が 八 〇 %
福島県、福島市の補助金打ち切り等により、福島支部中国語教室の財政運営はたいへんきびしくなりました。
福島支部理事会は一月一九日、中国語教室受講生に対しアンケートを実施し、受講料値上げの是非などについて記入してもらいました。
値上げについては二五人中二〇人が「値上げはやむを得ない」と回答しています。
諸費高騰のおりから、たいへん心苦しいのですが、四月にはじまる第二五期から年一万円増の年五万円とさせていただくことになります。
中国残留孤児東京訴訟
不 当 判 決 、 請 求 を 棄 却
一月三〇日、中国「残留孤児」国家賠償関東訴訟について東京地方裁判所民事第二八部は原告らの請求を全面的に棄却する判決を言い渡しました。
敗戦後に中国東北部に取り残された日本人孤児が、国に一人三千三百万円の賠償を求めたこの訴訟で、加藤謙一裁判長は、「国は早期帰国を実現する法的義務や、法的な自立支援義務を負うとは認められない」「原告の損害は戦争から生じた損害とみるべきだ」と述べ、原告側の請求をすべて棄却したものです。
この判決は、原告ら中国「残留孤児」の思いを一顧だにしない非常で冷酷な判決です。この不当な判決に断固抗議するとともに、私たちの運動をさらに強めていかなければなりません。
2007年1月25日 通算2085号
福島支部
第 三 回 理 事 会 ひ ら く
一月一三日、午後二時から福島支部第三回理事会が開かれ、理事五人が出席しました。
はじめに安倍首相が就任後、ただちに訪中し、「政冷」状態には終止符が打たれたこと、しかし安倍部内閣は教育基本法を成立させ、憲法改正をも目指しているため、警戒すべきこと、など情勢について討議しました。
つぎに、中国語教室の現状について、出席状況、学習進度、その他の報告があり、討議しました。第二五期の試算が示され、補助金が打ち切られたという状況のもとで、受講料値上げをすべきかどうか、受講生にアンケートを書いてもらうことにし、その原案を決定しました。中国語教室案内チラシはデザインを一新するため、専門家に依頼することにしました。昨年からはじめた「一日中国語」は今年も三月二一日に実施します。
昨年実施し、好評だった雲南旅行を受け、今年以降も中国旅行をおこなうこととし、「どこへ行きたいか」「どのような旅がしたいか」等のアンケート原案について討議し、決定しました。会員、準会員(中国語教室受講生を含む)、中国旅行参加者等を対象にアンケート記入を依頼します。
一二月一〇日の「りんご狩り」には二三人が参加し好評だったことが報告されました。
〇七年北京風雷京劇団福島チャリティー公演の概要が報告されました。(別項)
カレンダー「中国悠久の旅」はみなさまのご協力のおかげで、昨年より三〇本多い二二〇本が普及されたことが報告されました。
第四回理事会は、三月三日(土)に開きます。
北京風雷京劇団福島チャリティー公演
日本中国友好協会では08年に10箇所程度で北京風雷京劇団の全国公演を計画しています。
福島支部ではこのプレ公演として、今年07にプレ公演を計画しました。すでに、第5回公益信託うつくしま基金の申請を行っています。
公演成功へ向けて各方面のご協力をお願い致します。
期日:2007年10月27日(土)午後6:30から 有料公演(1人5000円)
10月28日(日)午後13:30から 小中高大生、障害者、中国人、帰国者等を招きチャ リティー公演(入場無料)場所:福島県文化センター大ホール
演目:美猴王(『西遊記』より)その他
「長尾教授・慰労祝賀会」 発起人代表・北村 寧支部長からのお願い
日中友好協会理事長であり、わが福島支部理事長でもある長尾光之教授がこの3月で福島大学を定年退職されます。
以下のように慰労祝賀会を開きますので希望者はお申し込みください。
日 時:2月28日(水)18:30~21:30
場 所:摺上亭大鳥(飯坂温泉)024-542-4184
会 費(プレゼント代含む):宿泊 14,000円、日帰り10,000円
幹 事:岡部さん、比佐さん Tel. 024-525-0025, Fax. 024-525-0026
2007年1月15日 通算2084号
年賀状ありがとうございました
今年も、福島支部・長尾光之理事長・長尾文枝事務局長に、多数の年賀状をお送りいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。
北京で第一回文化博覧会開く
十二月一〇日から一四日まで第一回中国北京国際文化創意産業博覧会(文化博覧会)が開かれ、協会からは長尾光之理事長、岩田十士岐阜県連副理事長が招待されました。これは中国国務院の承認のもと、国の文化部・放送映画テレビ総局・新聞出版総署、北京市の連合主催によるものです。一〇日夜、人民大会堂で開幕式が開かれました。開幕式に先立ってフランス国会議員、韓国文化推会長、トルコ芸術総司長、日中友好協会理事長など五〇人あまりの外国からの招待者は人民大会堂「湖南の間」で北京市書記・劉淇氏に接見し、北京オリンピック総責任者・王岐山北京市長等と記念撮影をしました。
つづいて人民大会堂大ホールいっぱいの招待者たちの前で開幕式が行われました。アトラクション
に移り、吉林市歌舞団の「鼓舞河山」をはじめ、舞踏、歌、少林武術表演などが二時間にわたってくり広げられました。
一一日から一四日までは、展示会、民族舞踏・バレー・現代舞踏公演などの行事が北京市内各所で行われました。
2007年1月5日 通算2083号
あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す
日本中国友好協会福島支部長 北村 寧
今年の正月は気持ちの良い青空が続いています。よい新年をお迎えになりましたでしょうか。
昨年は、日本の対外関係とくに中国との関係を最悪にした小泉内閣に代わって、安部内閣になりました。就任直後の中国等訪問で、中国は多年にわたる「政冷」に区切りがついた、と評価しています。たしかに両国トップの会談は当然のことでこれまでが異常だったと言えるでしょう。しかし安部政権は教育基本法を国会通過させ、憲法改悪をも提案しており、経済的にはこれまで以上の格差社会を目指しており、警戒をゆるめることはできません。
昨年、わが支部は日中友好交流会、りんご狩りなどの親睦行事を行い、会員や中国人との友好交流を図ってきました。今年もさらにいっそう直接交流を進めて行きます。
昨年8月には懸案の雲南旅行を実施し27名が参加するという規模になりました。参加者からは「風景が美しかった」「少数民族の芸能や独特の習慣は興味深かった」などの感想が寄せられました。理事会では中国旅行について会内外の人々からアンケートを集め、希望に沿った企画を立てたいと考えています。
帰国者支援にも取り組みました。福島市近郊に在住の帰国者と連絡を取ることができ、交流会に参加して頂いたり、会員になって頂いたりしました。利益の一部を帰国者支援に充てるカレンダー「中国悠久の旅」は昨年より30本多い220本を普及しました。
08年には全国で京劇の公演に取り組みます。それに先だって今年10月には福島市でプレ公演を計画しています。会員のみなさんのご協力をお願い致します。
末筆になりましたが、会員・新聞読者のみなさんが07年を健康で実りある年とされますように。
本年も福島支部にご協力をよろしくお願いします
福島支部役員一同
支部長 北村 寧
理事長 長尾光之
理 事 大崎やま子
同 深谷岩光
同 比佐千鶴子
同 大泉和久
事務局長 長尾文枝
会計監査 安藤勝夫
同 手代木有児
2006年12月15日 通算2082号
福島支部
楽 し い り ん ご 狩 り
一二月一〇日(日)、飯坂町の後藤農園で恒例のりんご狩りが行われ、二三名が参加しました。うち、中国人は六名、子ども三名でした。 当日は前日とはうって変わった明るい初冬の日差しのもとで、みなはまっ赤に熟れたりんごを袋いっぱいに狩り取り、すぐに剥いて味わいました。無農薬、有機栽培の完熟蜜入りふじりんごは最高の味です。 交流昼食会は広い庭先にしつらえた長テーブルをはさみ、北村寧支部長のあいさつからスタートしました。
後藤さんの奥さんたちに作っていただいたあつあつの豚汁に各自持ち寄りの品々を加え、後藤さんからは日本酒の熱燗とおいしい白菜や大根漬けの差し入れがあり、昼食交流会は盛り上がりました。 ひとりひとりが自己紹介を行い、永年にわたって大学で教鞭を取っていた、山田さんや篠笥さんの話には一同感銘を受けていました。
毎年この行事に参加している小学1年生と中国人留学生の感想文をご紹介します。
金英蓮
先生あのね。今日飯坂町の後藤りんごえんにお父さんと一しょにりんごがりをしに行きました。
おともだちや、しってるおばあさんたちもたくさん、いました。おともだちの名まえは、「さづきちゃん」と「みずきちゃん」です。去年りんごがりに、きたから、もう一どあえてとっーてもうれしかったです。またらいねんもいっしょにりんごがりをしたいです。
しばらくして、きねんさつえいがおわったとき、「どーん」というおとがして、どうろのほうをふりむくと…なんと車二だいと、オオトバイ一だいがしょうとつして、パトカーがきました。わたしは、とってもびっくりしました。でも、わたしは、こうおもいました。「あ~あ。もうほんとうにびっくりした。でもほんとうに、りんごが、おちなくて、セーフだったかもね。」というふうにおもいました。わたしは、オオトバイにのっていた人、くるまにのっていた人は、けがは、していないのかとてもしんぱいでした。
りんごはみつがとってもいっぱいはいっていて、とっても、あまくて、おいしかったです。お父さんもおかあさんもうれしそうでした。わたしたちが、たべたりんごは、わたしが、えらんだりんごで、わたしがえらんだりんごは、小さかったです。先生にもいつかみつがたっぷり入っているりんごをたべさせてあげたいです。みつがいっぱい入っているりんごは、とっーてもあまくておいしいですよ!
国際交流は小さなリンゴから始まる 留学生
今日は日中友好交流協会で行われたリンゴ狩りに参加しました。中国からの留学生として、異国の文化と社会をもっと深く理解するために今までいろいろな行事や活動を参加してきた私にとっては、今度のような活動は前より特別な意味を持っていると感じされました。
全員をそろった後、リンゴ園の主人からリンゴ園を案内してもらいました。この小さな庭園の中で、リンゴの木が20本くらいしか植えていないのですが、遠くからみると、大きくて赤いリンゴが青々とした葉っぱの海にびっしりとちりばめていてとりわけ引き立っていました。リンゴを採ったり、互いに興味を持った話題について話をしたりして、国籍を問わず、みんなの顔に笑顔を浮かんでいる風景が実に美しい。
なぜかというと、別にリンゴをたくさんいただけるのではなくて、みんなもその時、自然に笑顔を浮かび、家族のような雰囲気に感動されました。そして、その時に人々の手に持っているリンゴがもう単純な果物の一種という限界を越えて、いろいろと交流していた人々の間に心のつながりだと私は思いました。
お礼のことば 福島支部理事長 長尾光之
今年も残すところあとわずかになりました。本年も皆様のご協力のおかげで、福島の地に根ざした日中友好運動をさまざまな形で展開することができました。心からお礼を申し上げます。
四月に二四期を迎えた中国語教室は福島支部再建のきっかけとなり、いまだに支部の大きな支えとなっております。教室を通じて支部の活動は広がりを持ち、多くの人々との接点ともなっております。今後ともこの教室を大事にして行きたいと思っています。
そのほか今年は、四回目の「平和のための戦争展」平和講演会、フィールドワークを成功させ、TVなどマスコミにも取り上げられ、関心も高まってきました。念願の雲南旅行も実施しました。また、残留孤児人間性恢復運動に貢献しているカレンダー「中国悠久の旅」普及も本部要請数を突破することができました。
役員、会員、読者のみなさまが健康でよりよい新年をお迎えになりますように。
2006年12月5日 通算2081号
神戸地裁判決
中 国 「 残 留 孤 児 」 国 に 責 任
帰 国 や 自 立 支 援 怠 る
敗戦の混乱の中で、中国東北部(旧満州) に置き去りにされた兵庫県内の中国「残留日本人孤児」六五人が「国は早期帰国や帰国後の自立支援の義務を怠った」として、一人あたり三千三百万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が一二月一日、神戸地裁でありました。
裁判長は国の責任を認め、六一人に対し、計四億六千八百六〇万円を支払うよう命じました。
判決は「戦前の政府の政策は、自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であった」と、日本の侵略戦争の中で中国に置き去りにした「棄民政策」を断罪。孤児の帰国に際し身元保証を要求するなどした措置が「帰国を制限する違法な行政行為」に当たると認定しました。
また、北朝鮮拉致被害者が永住帰国から五年間、給付金支給により所得が保障されている点に言及。生活保護の受給期間を原則一年とした孤児への支援が「極めて貧弱」と強調。原告への慰謝料の支払いを認めました。
カレンダー普及
新 谷 さ ん 大 活 躍
現在協会ではオリジナルカレンダー「中国悠久の旅」の普及活動をしています。このカレンダーの収入の一部は毎年「帰国孤児」支援募金として贈っています。この活動に対しては「主旨に賛同できる」「いながらにして中国旅行気分にひたれる」など各方面から歓迎されています。なかでも元中国語教室受講生で、会員の新谷義隆さんは十二月二日現在すでに三〇本を普及してくださいました。数はさらに増えそうです。
新谷さんの話「太極拳の仲間や、仙台の二胡を一緒に習っている人たちに購入を奨めています。多くの人が、一本だけでなく、二本、三本と求めてくれます。協会の活動にすこしでもご協力できればと思っています」
2006年11月25日 通算2080号
第 二 回 理 事 会 ひ ら く
十一月十八日(土)午後二時から支部事務所で第二回理事会が開かれ、理事五人が出席しました。
はじめに十月二十八日、二十九日に開かれた全国理事会の情勢報告により、安部首相の中韓訪問と安部政権の性格、政冷は解決するのか、北朝鮮問題はどうなるか、などの情勢について討論しました。
ついで、中国語教室の現状について報告を受けた上、来二十五期にはうつくしま助成金は申請しても通過の見込みはないのでしなかったこと、それにともない、二十五期の試算をした上、受講料クラス編成等を次回理事会で検討すること、受講生にアンケートを書いてもらうことなどを決めました。
りんご狩りは別項のように行うことを決めました。
〇九年に全国公演が予定されている北京・風雷京劇団日本公演のプレ公演を福島でおこなう旨のうつくしま助成金を申請したことが、報告され、この公演を成功させることが認められました。
カレンダー・中国悠久の旅についての普及状況が報告され、予定部数を達成するよう、みなで努力することとしました。
第三回理事会は一月十三日に開きます。
福 島 支 部 り ん ご 狩 り
と き:12月10日(日)11時より
ところ:後藤農園(飯坂町平野・ケーヨーD2の北側)
参加費:おとな 1000 円(入園料と交流会費用)
:留学生 500円 (入園料無料、交流会費用)
:子ども 無料
・ 昼食を持参してください。りんご狩り後、交流
芋煮会を楽しみます。
・ 準備の都合上、支部事務所に必ず参加申込みを
お願いします。申込み順で定員30名。
2006年11月15日 通算2080号
杉 原 千 畝 フ ォ ー ラ ム ひ ら く
十一月四日(土)午後十二時から郡山市ホテルハマツで「杉原千畝フォーラム」開かれました。
はじめに、杉原氏がユダヤ人がソ連経由でナチスから逃れるため、六千人のビザにサインをし、ユダヤ人たちを救った経緯を描いたTVドラマ「日本のシンドラー杉原千畝」を鑑賞。
つづいて「杉原ビザ」によって命を救われ、現在はアメリカの医科大学教授をされているシルビア・スモーラさんが、「わたしを救ったビザ」と題して講演しました。スモーラさんは、ユダヤ人としてポーランドに生まれ、子どものころナチスの迫害を逃れて、ソビエト経由で神戸に滞在。その後、アメリカに永住しました。その当時の、ヨーロッパの情勢、家族や親族の構成、日本に滞在していたときにたいへんに良い印象を持ったことなどを詳しく話しました。そして、「杉原さんは、あの大きな仕事をする以前から、日常の中で、重要な決断を常にしたのに違いない。それが、積み重なって、一つの人格となっており、ごく当然のこととしてビザにサインをし続けたのではないか」と述べました。
2 人 の 日 本 人 「 シ ン ド ラ ー 」
長尾光之
1994年にスピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」が公開され、全世界の評判になりました。これは、ナチスのユダヤ人虐殺から1600人の命を救った工場経営者、おすかー・シンドラーの話でした。
この映画が上映されたとき、日本にもシンドラーがいたことを「日中友好新聞」1994年9月5日号で紹介しました。ここにその記事を節録してご紹介します。
犬塚惟重氏
犬塚氏はきっすいの軍人(陸軍大佐)で、駐仏武官としてパリの日本大使館に勤務したことがあり、このときユダヤ人問題の重要性を体感しました。日中戦争時、日本はユダヤ問題に直面しました。「満州」には2万人のロシア系ユダヤ人が、上海租界には3万人の英米・ロシア系ユダヤ人がおりました。犬塚大佐たちは「人種平等の原則により、ユダヤ民族を日本の庇護のもとに安居させる」という方針を日本に決めさせました。
1937年日独防共協定が結ばれると日本でもナチスが反ユダヤ宣伝をはじめました。1938年から犬塚大佐はたびたび上海に出張し、ユダヤ人問題解決に取り組みました。39年、犬塚氏はユダヤ人問題をあつかう「犬塚機関」の責任者となりました。ドイツは上海のユダヤ人を絶滅させるために、ガス室設置プランを提供すると申し出ましたが、犬塚氏は猛反発して中止させました。
1940年7月、上海ユダヤ人の有力者が犬塚氏を訪ね、リトアニアに逃げ込んでいるポーランドのミール神学校生徒5百人を神戸経由でアメリカに脱出させて欲しいとたのみにきました。犬塚氏は熱心に外務当局に働きかけ、外務当局は公式には認めないが、リトアニア・カウナス領事館のビザを黙認することにしました。
杉原千畝氏
このとき、カウナス領事館で寝食を忘れてビザにサインし続けていたのが杉原千畝氏です。杉原氏は犬塚氏の上海での活躍をまったく知りませんでした。
今 年 も 楽 し い 「 り ん ご 狩 り 」
1 2 月 1 0 日 ( 土 ) 午 前 1 1 時 か ら
日一日と冬が近づいてきました。冬といえばなんといっても、甘くおいしい「りんご」です。ご好評に 応え、今年も後藤農園のご好意で「りんご狩り」をおこなうことにしました。詳細は追って報道します。
2006年11月5日 通算2079号
上海ビエンナーレ
元 気 な 中 国 作 家
現在、世界中から百名あまりの作家が参加する国際美術展、上海ビエンナーレが上海美術館を中心に開催されています。
コンセプトは「超設計」です。現在経済発展の最中にあるこの街では、都市のいたるところで新しいマンションや博物館などが建設されています。かと思うと高層マンションに隣接する貧民街では魚や果物を路上で売る人のすがたがあります。建材のほこりやガソリ
ンによる空気や水の汚染は予想以上ですが、この街のスピード感は魅力的です。
元気のいいのは、やはり中国の作家でした。邱暗雄(キューアンション) は水墨画のタッチで、現代風刺を利かせたアニメーションを発表し、鳥獣戯画を思いおこさせます。
来 年 は イ ノ シ シ で す
郡山市の三春張り子人形の里「デコ屋敷」で来年のえと、イノシシの張り子づくりが始まっています。
まっすぐ突き進む姿から、ひたむきな願いをかなえるお守り。約三百年の伝統がある張り子です。
絵付けの作業に追われるのは「本家恵比寿屋」20代目の橋本恵一さん(53)。「始めたころは腕に力が入りましたが、いまは力まない線が描けるようになりました」
ふっくらとした素朴な造形はすべて手づくりで、絵付けまで1週間ほどかかります。
2006年10月25日 通算2078号
平 和 の た め の 戦 争 展 の 反 響 ひ ろ が る
七・八月に開かれたふくしま平和のための戦争展と平和講演会・フィールドワークの反響が広がっています。
開催時、NHKテレビ、FCT、朝日新聞、福島民友などに報道されたほか、FCTではニュース特集としてフィールドワークを詳細に報じました。
その後、清水小学校「親子教室」での、八〇名の児童・父母への講話(支部版前号に報道)、福島大学総合演習(今号に報道)のほか、十一月二四日(金)には福島県医療生協・平和学校でも「フィールドワーク・福島の戦跡」が行われることが決まりました。
総 合 学 習 で 福 島 戦 跡 フ ィ ー ル ド ・ ワ ー ク
福島大学行政社会学部では教員免許状取得希望者の必修科目・総合学習のテーマを「平和」と定めました。7名の教員がそれぞれ「福島市の戦争と平和」「愛国心と教育」「憲法と平和」「もしアフリカのある国で内戦が起こったら・・・」と題して交替で、学生を指導します。その第1回「福島市の戦争と平和」のフィールド・ワークが10月22日(日)午後行われました。指導教員は長尾光之教授と村上雄一助教授です。
事前に数回の打ち合わせ会を開きました。三人の担当学生がそれぞれ、福島大学信陵公園、信夫山、日本軍司令部跡地、ノートルダム修道院、模擬原爆投下地と分担を決め、解説をしたうえ、指導教員が補足をするという計画です。
当日午後、福島大学生協前に同学部の3年生12人が集合。学内の信陵公園に登り、福島大学卒業生で、戦死した人260名あまり
の名が刻まれている墓碑を見学し、その背景について学びました。ついで、福島市内・信夫山の護国神社境内にある、満蒙開拓青少年義勇軍慰霊碑、従軍救護員慰霊碑、尼港事件記念碑等の解説を聞きました。日清戦争のときに多くの兵士が戦死し、その人々を葬るために作られた信夫山墓地にも行き、西洋人抑留者の墓碑のある修道院墓地を参観。金竜坑入口で、戦時中に掘られた中島飛行機地下秘密工場について知見を深めました。
現FTVがある日本軍司令部を車窓に見て、戦中140人あまりの西洋人が三年半にわたり抑留されていた、花園町のノートルダム修道院に行きました。
最後に、渡利沼の町の模擬原爆投下地で、広島・長崎への原爆投下以前、国内49カ所に投下された模擬原爆について学習し、投下地の一つであった現地を見学しました。
参加した学生たちは終始熱心に話を聞きながらメモを取っていました。そして終了後、「このような身近なところに戦争に関する史跡があることをはじめて知った」「日本やアジアの近現代史について勉強しなければならないと思った」、などの感想を述べていました。
2006年10月15日 通算 2077号
福 島 支 部 第 1 回 理 事 会 ひ ら く
9月30日午後2時から支部事務所で第1回理事会が開かれました。
はじめに長尾光之理事長が協会をめぐる情勢について話し、討論しました。
中国語教室は一部で欠席者が増えている以外はおおむね順調に進んでいることが報告されました。平和のための戦争展と平和講演会は7月から8月にかけて、展示会講演会、フィールドワーク、朗読劇すべてが成功したことが確認されました。
支部協賛で8月20日から7日間行われた雲南旅行には会員も十数名参加、終了後にはあらたな会員も増えました。長尾理事長が参加した、第五回平和の旅・東北旅行についても報告がありました。
2007年カレンダー「中国・悠久の旅」は支部として百部を普及することとしました。10月5日号に紹介しました通り会員・読者のみなさんにカレンダーの普及へのご協力をおねがいします。
第二回理事会は11月18日に開きます。
清 水 小 学 校 で 戦 時 下 の 福 島 の は な し
9月28日(金)市内の清水小学校で6年の「親子集会」が開かれ80人が参加しました。この集会は「第二次世界大戦・その時福島市は・・・」をテーマとしていましたので「ふくしま平和のための戦争展」の実行委員会事務局である福島支部に問い合わせがあり、相談への助言と講師派遣をしました。会場となった小学校の体育館には7月の「06ふくしま平和のための戦争展」用に製作した長さ4・5メートルの模擬原爆模型と瑞龍寺所蔵の原爆破片が展示され、平和のための戦争展実行委員の斉藤勝弥さんが、当時の国民生活や模擬爆弾・信夫山地下工場などについて講話しました。
小学生たちは「福島にこんなことがあったということははじめて聞いた」「爆弾がこんなに大きいものだということが模型を見て実感できた」「ぼくたちが戦争のないように世界を変えていきたいと思いました」などと感想を述べていました。
参観の先生や母親達も実物大の爆弾の大きさ、重さに驚き、戦時下の市民生活の悲惨さを改めて知り、平和の願いを強く感じた様子でした。今回のような「親子集会」が各地で開催されて行けば、平和教育の効果が大いに期待できそうです。
なお、六年一組では全生徒が感想文を書き、文集を作りましたので一文を紹介します。
感 想
竹内健太
ぼくは戦争はただこわいものだとしか思っていませんでした。講師の先生に教えていただいた話では、日本で310万人が戦争でなくなっていて、けれど、アジアではその何倍もの人が日本人に殺されていると聞きました。
「日本人は加害者でありぎせい者である」と言っていました。京都のほうの小学生は、学童そかいで三万人の人が福島にきました。そのときの戦争で死んでしまった人の7割が餓死だとのことです。
常ばん炭こうでは7000人の朝鮮人労働者が働いていて、その時の日本人は朝鮮人労働者のことを同じ人間ではないと考えていたと言っていました。ぼくは、それを聞いたとき、日本人は少しひどいと思いました。みんな地球上に生きている人間なんだから、殺しあいなんてしないでほしいと思いました。
2006年10月5日 通算2076号
い ま 中 国 の 農 村 は
長尾光之
中国経済が急速に発展しています。そのなかで、「発展は都市部と沿海の農村だけであって内陸部の農村との格差はひろがるばかりだ。農村の暴動も相次ぎこのままでは農村問題が中国発展の命とりになりかねない」「全体的に底上げされているのだから、農村にも発展の恩恵がある。短期的に結論をだすべきではない」などの対立する意見があり、もう一つふに落ちませんでした。
今回、「第5回平和の旅」に参加して8日間中国の東北地方をめぐりました。その際、このテーマについて記者やガイドから取材しました。
大まかに言って中国の農村は品種改良と化学肥料の普及によって増産が進み、生活も向上しています。しかし何と言っても最大の収入増は大都市周辺への出稼ぎによる現金収入の増加です。働き盛りの男性は出稼ぎに行き、農業は爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんによる農作業に支えられています。しかも機械がほとんどないので、手作業によっています。
出稼ぎの増加は新たな問題を派生させています。出稼ぎ者の子女の教育問題です。中国では都会戸籍と農村戸籍がはっきり分かれており、農村戸籍の家族は都市戸籍を簡単には取れません。例えば、北京では農村戸籍の子が学校に通おうとすると、相当額の学費を上乗せしなければなりません。そこで最近は各方面が協力して、農民の子どものために、学校を作っています。そのような学校を作り、運営する総費用を合わせても北京の学校に入れるより安いからです。医療、福祉はまだ立ち遅れており、一部の人々が恩恵を受けているだけです。もちろん、農村の人々はほとんど恩恵はありません。
黒竜江省ハルピン郊外の高速道路を走っているとき、周囲は一面のトウモロコシ畑でした。ここでも農業は年寄りや女性の手作業によっており、男性が出稼ぎに行くのも他の地方と変わりはありません。違ってきたのは、以前はトウモロコシや雑穀を主食にしていたのですが、トウモロコシの生産量も増えており、それを売ってコメを買い主食としているそうです。トウモロコシの皮や軸は細かく切ってほかのものも加え、家畜の餌にします。しかし、毎日食べているのはコメと野菜で、いまだに肉などはめったに食べられないそうです。
なお、農村戸籍の男性がが都市戸籍を取得するには、都市の女性と結婚しなければなりません。都市の男性が農村戸籍を取得するためにも同様に農村女性と結婚しなければならないのです。蘇州や杭州の豊かな農村では農村女性は都市男性と結婚することは望まないそうです。
中国では2006年の第11次5カ年計画で、農村改革も課題の一つとしており「都市戸籍」と「農村戸籍」の区別を解消する方針です。この方針を実現するのは、農村の現状をみると、なかなか、困難の多い目標です。中国各方面の今後の動きを見守りたいと思います。
2006年9月25日 通算2075号
前回報道しました「雲南省・世界遺産と少数民族にふれあう旅七日間」に参加されました真木實彦さんに紀行文をお寄せいただきましたので掲載します。
真木さんは福島大学経済学部教授・同学部長を経て東日本国際大学教授を担当されていました。現在は福島県九条の会事務局長、山の会ビスターリ会長など毎日多忙な日々を送っておられます。
少 数 民 族 に つ い て 考 え た 「 雲 南 」 の 旅 紀 行
真木實彦
出発の前日は福島で、帰国の翌日は会津若松でと用事を抱え、7日だけ無理に空白を切り取った上での慌ただしい旅行でした。その上、黄斑変性という知る人もない眼病持ちで日に何種類かの目薬を差さねばならぬ体のため、わざわざ旅行会社の岡部さんを煩わせ目薬の機内持ち込みが可能かどうかを事前に確認して頂くなどのご迷惑をかけたうえでの出発でした。行き帰りの機内だけが気持ちの転換という余裕のない日程だったにも拘わらずお蔭様でごく自然に皆様のかもし出す雰囲気にとけ込んで、楽しい一週間を過ごさせていただきました。 とは申せ、やはり日本での慌ただしい毎日と飛び込んだ麗江のたたずまいとの間の落差にはさすがに大きな違和感を持たないわけにはいきませんでした。歴史に封じ込められたままの街の佇まいと垣間見るナシ族のの人々の生活などには、ふと自分達の生き様を振り返ることを強要する何物かがありました。街角でマージャンに打ち興じ、軒下で談笑しながらタバコを吹かす男どもと籠一杯の砂を背負って街を行く女どもの生活ぶりを実見して、「女が働き、男は何もしない」という社会とはとんな営みの結果だったのだろうかと、好奇心をかきたてられずにはおられませんでした。今もって納得のいく結論は出てきません。
昨年の九寨溝と黄竜の旅がもっぱら自然に圧倒された旅だった記憶からすると、今回の雲南の旅はかの地の人々の生き様に触れた旅であったような感じがします。もちろん、昨年もチベット族の家々の佇まいや踊りにも接したし、なんといっても黄竜でのあこぎな駕籠かき諸君(雲助諸君)の逞しいばかりの迫力にも接したのですが、なんといっても旅の強烈な印象は工まざる自然の神秘さでした。しかし、今回の旅は、雲に閉ざされて玉竜雪山の勇姿の全貌が見られなかった所為もあったのか、私にはかの地での自然景観よりは、人々の生活や文化、悠久に、かつ、ゆったりと流れる時間のことなどがとりわけ印象的でした。麗江から大理への行きずりに見た棚田と桑畑、タバコ畑とトウモロコシ畑にさえも昔の日本の村の原風景がダブって見え、そこでの人々の暮らし様などが想像されるのでした。
大理では、案内人だった漢族の陶さんがふと漏らした「それでも私はペー族の女性とは結婚したくない」という呟きにははっとするものを感じました。おそらく明の時代に雲南に来た支配者としての漢族の末裔の言葉としては、しかも少数民族の存在自体を売りにしている観光業者の端くれとしても、それは私の意表をつく発言でした。
何百年も前から漢族と同居し続けてきたのに比較的純粋に少数民族の血を守って来ている秘密がこんなところにあったのか、それとも別の事情があるのか、尽きせぬ謎を残したまま私の雲南の旅は終わりました。先祖の流れも不確かな日本から来て、はっきりとした血筋の違いと共同の生活をどう統一して捉えたものか、多くの疑問投げかけてくれた旅ではありました。
最後に、我らがパーティについて一言。二七名という大所帯だったせいか、はたまた、個人情報秘匿の厳格さによるものか、ついに全員の方々の顔と名前、さらには人となりが十分に分かるまでに至らなかったのが残念でした。それにしても、大変な購買意欲のあつまりだったと感心したことでした。おそらく土産物だけでも2百万を上回る円でかの地の経済に貢献したのではないかと想像したりしました。オオ・ワンダフル。
最後の最後に、帰国後数日もたたないうちに早速「良からぬ有志」どもによるささやな「反省会」が催されたことを皆様に告白して筆を擱くことにいたします。
2006年9月15日 通算2074号
福島支部協賛
中 国 ・ 雲 南 旅 行 に 二 七 人
8月20日(日)午後、「世界遺産と少数民族にふれあう」7日間の旅一行27人が福島空港を飛び立ちました。会員の岡部恵久子さんが経営する日華里優人旅行社が企画し、福島支部が協賛しました。一行には12人の会員と準会員が加わりました。
福島到着の東方航空便が遅れ、それが上海への出発便となるので約一時間遅れて福島をあとにしました。
上海に一泊して、雲南省の省都昆明に到着。8月なのにたいへん涼しく、前日までの福島、上海のうだるような暑さから解放されました。
野菜の多い雲南料理の昼食をとったあと、郊外の山寺・西山竜門に行きました。ここでは、人力で作られた細い道を通って、ゆいしょある仏像や碑文などを見学しました。同じ山にある華亭寺では、大学の書道教授が各人が希望する、「一期一会」とか「生涯青春」などの字をその場で筆で書いてくれます。
同日夜、世界遺産である麗江に着きました。夕食は珍しいナシ族の料理です。 麗江は標高2440メートルにあり、涼しいところです。いろいろな民族がそれぞれの衣装で生活している旧市街の四方街では、タイムスリップしたようで、懐かしいような不思議な気持ちになります。また、郊外には壮大な古い時代の建築が多く、象形文字の一種であるトンパ(東巴)文字もあります。雪を抱いた5596メートルの玉竜雪山には、さすがに頂上までは行けませんが、中腹までリフトで行きました。麗江には二泊しましたが、これではとても見尽くすことはできません。一週間ぐらい滞在してじっくり見学したいところです。
23日午後、三時間半かけて大理に移動しました。途中は農村地帯で米、タバコ、トウモロコシ畑が延々と続きます。美しい棚田の風景で有名ですが、農業に詳しい人の話では畦は細く、機械が入れないつくりになっているから、農作業はすべて人手によっているのだろうとのことでした。
大理は10から13世紀に王国の都として栄えたところです。1960年代に大理・白族の若い男女が登場するミュージカル映画「五人の娘」(「五朶金花」)で中国全土にも一部の日本人にも知られたところです。その舞台になった胡蝶泉を見物しました。白族の衣装を着て写真をとることに興じている人もおりました。
そのほか高い塔が三本あり、それが水に映じる美しい崇聖寺三塔、大理古城に行きました。
二四日は一日かけて大理、昆明、上海、成田と飛行機を乗り継ぎ、成田からはバスで夜遅く福島に帰着しました。
日 中 友 好 交 流 会 の 感 想
福島大学一年 阮 南
今日は初めて交流会に参加して本当にうれしかったです。
今、日中両国政府の関係がよくないため、普通の日本人が心配しています。政治的なことよりも、皆さんのような民間交流が重要であると私も思っています。
私は日本に来る前、おもに新聞やニュースを通して日本のことを理解していました。しかし、日本に来ると、現実とイメージは違います。
私は中国に関心を持っている日本人に「チャンスがあれば、中国に一度行ってみて下さい。中国を理解するにはいちばんいい方法です」、と言いたいです。
2006年9月5日 通算2073号
フ ィ ー ル ド ワ ー ク ・ 福 島 の 戦 跡 め ぐ り
八月十三日(日)朝一〇時から午後四時まで、一連の「平和のための戦争展」行事の一つとして、「フィールドワーク・福島の戦跡めぐり」が行われ約三〇人が参加しました。 はじめに福島大学信陵公園に行き、戦争でなくなった旧福島大学卒業生や学徒動員されて日立市で艦砲射撃によってなくなった経済専門学校の生徒など二六〇名の名前が刻まれている石碑を見学しました。つづいて、戦争中一四〇名の西洋人らが抑留されていたノートルダム修道院、信夫山の一連の慰霊碑、信夫山墓地、信夫山地下軍事工場跡地、模擬原爆下地などを解説を聞きながら参観しました。 なお、このフィールドワークには二人の中国人留学生も加わり、取材していたFCTは後日「中国人留学生の見た福島の戦跡」という視点で編集し、放映しました。
平 和 の た め の 戦 争 展 終 わ る
七月一日の小森陽一さんの講演からはじまった一連の「平和のための戦争展」行事は七月三十一日から八月二日までの展示会、四回の講演会、朗読劇「子どもたちの夏」フィールドワークなどを実施して終わりました。
企画実行された実行委員会の皆さん、参加者の皆さんをはじめとするご協力いただいた皆さんにあつくお礼を申し上げます。
仲間が増えてま~す
熱 烈 歓 迎 ! 新 会 員
七月二日に開かれた支部総会以降、続々と会員が増えています。その方々をご紹介します。
安藤明友さん(会社員)
以前から中国に関心があり、何回も訪中されています。近年日本と中国の関係が悪化しているので、協会に入って関係改善のため努力したいと考えています。
蓬田裕美さん(会社員)
小さいときから中国が好きで、何回も中国に行き、とうとう中国人の楊泓滄さんと結婚されました。
浅野ナヲさん(主婦)
いわゆる「残留孤児」です。現在全国的に行われている「残留孤児訴訟」の福島県の世話人を担当されています。梁川町在住。別項記事参照。
黒森道夫さん(建築業)
小学校六年のときに中国で敗戦を迎え、翌一九四六年末に日本に引き揚げてきました。今回、「雲南の旅」加わりました。
真木実彦さん(元大学教授)
九四年の福島支部再建総会のときにユーラシア協会代表としてあいさつをされました。長い間、準会員(新聞読者)でしたが、今回雲南旅行を契機に会員になられました。「福島県九条の会」の事務局長を担当されています。
大学 一さん(弁護士)
さまざまなことに興味を持っておられます。なかでも民族学に詳しく、その方面からも中国に関心を寄せています。中国の天文学を研究したこともあります。七〇歳を越えておりながら、最近中国語をはじめ、中国単独旅行を計画しています。
協会入会の動機(原文中国語) 浅野ナヲ
わたしは日本の福島県で生まれ、中国・内モンゴルで暮らしていました。50数年中国に残留していた孤児です。ものごころがつきはじめてから日本と中国の友好を望んでいました。また、日本と中国の友好のためになにかをしたいと思っていました。なぜならわたしには2つの祖国があるからです。日本で生まれ中国で育ったからです。けれども、日中友好はまだ実現していません。これはわたしの悩みです。今回機会があり、日本中国友好協会に参加することができました。残された少しの力を、年老いた限りある命を日本と中国の友好の事業に捧げたいと思います。
2006年8月15日 通算2072号
夏 の 日 中 友 好 交 流 会 お お に ぎ わ い
七月二八日(金)午後六時半から、恒例の「夏の日中友好交流会」が開かれました。今回は、会員・中国語教室講師・受講生・留学生など四一名が参加するという盛況となりました。子どもも二人、中国人も八人が加わりました。
司会の岡部恵久子さんにより、会は進行しました。北村寧支部長が「中国語を学んでいる、学んだことのある人が多くおられるが、語学は反復・継続が力となる。さらに研鑽していただきたい」とあいさつしました。
ユーモア溢れる安田昭さんの乾杯のあと、参加者ひとりひとりが自己紹介しました。蓬田裕美・楊泓滄ご夫妻「妻は中国が好きで何回も訪中し、とうとう中国人の夫と結婚しました」。浅野ナヲさん「わたしは中国残留日本人の一人です。いまわたしたちは人間性を回復する運動を行っています。東京地裁の裁判が結審し、秋には判決が出ます。裁判支援の署名運動にご協力下さい」と訴え、みな快く署名に応じていました。小学生の手代木さづき、はずきちゃんは、可愛いチャイナ服姿で、流ちょうな中国語での自己紹介をしました。司会者は中国人と勘違いし思わず「日本語では話せないの?」と質問していました。
つぎに、中国茶の店「茶迷」を開いている伊藤由美さんが「おいしい中国茶の淹れ方」と題してお話と実演をされました。みなは、各種の中国茶の微妙な味の違いを確かめていました。午後八時半大崎やま子さんが閉会あいさつをしてなごやかだった交流会はおわりました。
兵器作りの女学生
満蒙開拓青少年義勇軍
戦 争 は 二 度 と お こ さ な い で
第四回平和講演会が八月五日(土)コラッセふくしま会議室で開催されました。五〇人あまりの聴衆が集まり、追加の椅子を出してもらうほどでした。
はじめに、「兵器作りに駆り出された女学生」と題して、福島女学校(現橘高校)の十四歳の生徒であった佐藤淑子さんたち四人ががその体験を話しました。
まだ、子どもで親と別れるのはたいへんつらかったです。横須賀の海軍工廠で先生も生徒も共同生活をしなければならず、食事は少なく空腹で、ノミ・シラミ・ウジ虫が多く不潔でした。朝から晩まで兵器作りをやらされ、それは人間魚雷の部品でした。戦後、あの人間魚雷で何人の人が死んだかと考えると絶えられなくなります。
今、海軍工廠跡は米軍基地となり、相変わらず他国侵略を行っています。米軍は早く日本から出て行ってほしい。悲惨な経験をしたわたくしたちはつくづくそう思います。
以下は、勤労動員に行った女学生たちとつきそいの先生が戦後詠んだ和歌の一部です。
慟哭の突きあぐ胸に壕の冷え
粕谷先生
わけもなくひとりし泣けばつぎつぎに泣きしかの寮残りていしや 小池(太田)和子
歩調とり国旗仰ぎし鎮守府に今星条旗のひらめきており 大宮千代子
つぎに、「満蒙開拓青少年義勇軍」にやはり一四歳のとき、応募させられ、ソ連国境付近集団生活をしながら、農業生産にあたっていた橋本義一さんが話をしました。
「義勇軍はその名のとおりまったく軍隊組織で、わたしは年が若いせいもあって、なかなかつらい経験でした。イジメも集団的反抗もありました。日本軍は中国戦線にも広がっていましたが、昭和一九年以降は南方にも拡大され、東北部には武器も持たないような兵が送られて来ました。数年たって作物が採れたときはたいへんな喜びを感じました。そして、昭和二〇年八月九日のソ連侵攻。守ってくれるはずだった関東軍や役人は日本人を捨てて東北部の一ヶ所に集まってしまいました。ソ連軍は質が悪く、略奪、レイプなどしたい放題でした。鉄道の貨車をすべてソ連に持って行き、代わりにボロボロの貨車をソ連から持って来ました。
残った日本人は女、子ども、年寄りで次々に死んでいきました。残留孤児もこの時生じたのです。戦争でいちばん被害を受けるのは弱い者達です。そのような戦争は決しておこしてはなりません。」
2006年8月5日 通算2071号
平 和 の た め の 戦 争 展 盛 況
実 物 大 の 模 擬 原 爆 に お ど ろ き の 声
7月31日(月)から8月2日(水)までの3日間福島駅西口そばのコラッセふくしまで、第4回ふくしま平和のための戦争展が開かれました。今年は、見学者が若い人から年配者までたいへん層が厚く、3日間で合計2千人が来場されました。
第 1コーナー「日本の中国侵略」では日清戦争、南京大虐殺と時代を追って、日本軍の行った残虐行為の写真を配置しました。今年は特に郡山市の故渡辺留蔵さんから、上海戦・南京大虐殺で中国人捕虜がしばられ、連行されて行く写真を提供されました。このうち南京大虐殺のほうの写真は裏面に「12年12月揚子江岸で銃殺のため連行される支那兵」と
いう肉筆の記載があり、もし由来がわかれば貴重な当時の記録となるでしょう。今後とも背景調査を続けて行きます。
第 2コーナー「国民生活と戦争」では市民からお借りした戦時の貴重な軍服、弔辞、のぼり等を展示しました。今年は戦前の学校と戦後の学校の比較を特集しました。
第 3コーナー「福島と戦争」では福島大学美術科の佐垣君と小川君が製作した「渡利に落とされた模擬原爆」の実物大模型がメインでした。木材、グラスファイバー等で立体模型を作り、表面には長崎に落とされたときとおなじカボチャのオレンジ色を塗りました。
このため、この爆弾のニックネームはパンプキン(カボチャ)と呼ばれているのです。
そのほかこのコーナーには昨年製作した信夫山と地下工場の一部、青い目の人形、福島市内の戦跡地図などが展示されました。
第 4コーナー「現代における戦争と平和」では、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の悲惨な写真が飾られるとともに、軍隊を放棄したコスタリカ大統領の演説、憲法9条・教育基本法の条文が示され、これらを擁護することの必要性が強調されました。
会場で寄せられたアンケートには「是非毎年開いて欲しい」「戦争は絶対にすべきでない。すべてのことは話し合いで解決すべきだ」などの貴重なご意見が寄せられました。
2006年7月25日号 通算2070号
第2回平和講演会
中国残留山西軍の真実
元日本陸軍少尉・日中友好協会熱海支部長 山下正男氏
7月15日(土)午後6時半から、第二回平和講演会がコラッセふくしまで開かれ、20人が参加しました。
演題は「中国残留山西軍の真実」で、講師は当時日本陸軍少尉で現西陵友の会会長の山下正男さんです。以下は講演の概要です。
1945年9月9日、日本軍は降伏文書に調印しました。その数128万人以上でしたが、武器を中国側に引き渡して帰国しました。
ところが、山西省では司令官澄田?四郎と中国側の閻錫山が結託して、多数の日本軍を作戦命令で残留させ、戦後3年8ヶ月にわたり中国人民解放事業を妨害しました。
この事件の真相は、残留元将兵たちの証言と防衛庁戦史資料室から発見された命令書や山西省の公文書館の日本軍内部文書等により明白になっています。
当時、日本政府はこの事件の存在を知ってました。しかし、ポツダム宣言違反と中国内政への軍事介入という戦争犯罪を認めることになるため、この事実を肯定しませんでした。
日本敗戦後、中国では中国共産党軍(八路軍)と中国国民党軍の対立がしだいに明らかになってきました。
1945年9月はじめ、閻錫山は日本軍と極秘の会談を行わせ、「残留させる日本軍人を現地除隊させ、個人とし、閻錫山軍はこの個人を採用するという方式で、閻錫山軍の指
揮系統に入れる」ことを取り決めました。これは、留用という名の「肉弾売買」取引です。
1946年2月2日、参謀長は残留部隊編成の命令を下しました。まず将校のうち誰が残るかを決めねばなりません。私も悩みましたが、幼いころから叩き込まれた皇室崇拝と
反共思想のがついに残留を決意させました。
つぎに、残留させる兵の人選をどうするかの問題がありました。結局自分の預かっていた初年兵教育中の若い兵たちを道ずれにする他はありません。命令で22人残すことにし
ました。
夜になると、初年兵がつぎつぎと私の部屋にきて、家庭の事情を訴え「教官、帰国させてください」と泣きつくのです。「俺だってつらいんだ」と叫びたくなりました。
1947年3月以降、人民解放軍と山西軍の交戦が激しくなり、山西軍は壊滅的打撃を受けました。省都・太原陥落が迫った1949年3月29日、閻錫山は飛行機で南京に逃げました。
そしてついに最後の日がきました。太原城は30万余の中国人民解放軍の大軍に完全に包囲されました。軍司令部の建物内で今村方策司令以下全員は人民解放軍に投降、今村司令は服毒自決しました。
罪深い残留日本軍のあえなき終焉です。
2006年7月15日号 通算2069号
第1回平和講演会 改憲はアメリカの要求
「ふくしま平和のための戦争展」関連行事の平和講演会が七月一日からはじまりました。
第一回は七月一日、福島市民会館で開かれました。講師は東京大学教授・九条の会事務局長の小森陽一さん、演題は「ことばの力で平和を求める」です。雨の降る中百人近い人々が講演に聞き入っていました。
小森氏は、自民党の新憲法草案のねらいが九条二項に自衛軍の保持を明記することにあり、改憲はアメリカの押し付けであることなど、現憲法と自民党草案の違いや改憲派のねらいを明確にし、分かりやすくユーモアを交えながら説明しました。
また、教育基本法と憲法とのかかわりでは、「教育勅語は、心の支配と戦争への動員が二つの柱だった」と説明。九条を変えることはハード面の整備、教基法の改悪はソフト(国民の頭の中)を整備することだと指摘し、「ちょっとした勇気、小さい声でもいいから九条の大切さを語れば良い。思ったことを自分の言葉で語ることが大切」と話しました。
中国語教室受講生の感想文②
〈我的一天〉 Y.S.
十一月二日,早上 起床 一看,是 晴天。我 想 去 《会津磐梯山》 爬出。
上午 八点 从 家 出?。九点二十分 到了 登山口。両 个 小時 后 我 到了山頂・・・累 極了。海拔 是 一千八百八十九米 的 山。群山 満 是 紅叶。眼下 的 風景 美 極了。
〈私の一日〉
Y.S.
11月2日、朝起きてみると晴れでした。私は会津磐梯山に登山に行きたいと思いました。午前8時に家から出ました。9時20分登山口に着きました。2時間後私は頂上に着きました・・・大変疲れました。海抜1889㍍の山です。周囲の山はすべて紅葉しています。眼下の風景は大変きれいでした。
〈我的梦想〉 T.H.
我 1943 年 在 中国 的 哈爾浜 出生。我 父親 非常 后悔 在 中国 的 戦争。因此 父親 不 希望 我 再 次 去 中国。可是 中国 是 我 的 第 二个 故郷。一次 偶然 的 机会 去 中国内蒙古 的 沙漠 植樹造林 了。以后 進行 植樹造林 成為 了 我 的 梦想。在 環境 悪劣化下 的 最近 時期。我 愿意 把 我 的 第 二 个 故郷 緑化 来 防治 荒漠化。我 也 希望 保護 日本 的 環境。水滴石穿。雖然 我 的 力量 微少,要 堅持 下去。這个 是 我 的 梦想。
〈私の夢〉 T.H.
私は1943年に中国のハルピンで生まれました。父親は中国での戦争を大変後悔しています。それで父は私がたびたび中国へ行くことは望ましいとは思っていません。しかし中国は私の第2のふるさとです。ある時偶然の機会に中国の内モンゴルに行って砂漠に植林をしました。その後、植林を進めることが私の夢になりました。環境が悪化している近年、私は第2の故郷を緑化して砂漠化を防ぎたいと望みます。私はまた日本の環境も守りたいと希望しています。水滴も石に穴を開けます。私の力は小さいですが、がんばりたいと思います。これが私の夢です。
2006年7月5日号 通算2068号
福 島 支 部 総 会 ひ ら く
七月二日(日)午後二時から福島支部総会が開かれました。全国大会が開かれる五月以降に支部総会を開くほうが良いと、昨年十一月の総会で支部規約が改正され、時期を変えておこなわれました。
議長には大泉和久さんが選ばれ、規約に照らして総会が成立していることが確認されました。北村支部長が、「日本と中国は関係がたいへん深い。近年、両国の間にはさまざまな問題が生じているとはいえ、両国間には友好的につきあって行くという選択肢しかないのだ」とあいさつしました。
つぎに、本部、東京、盛岡、一関、宮城、宇都宮、福岡からの祝賀メッセージが披露されました。
続いて、長尾光之理事長の協会をめぐる情勢、活動報告、方針提案、長尾文枝事務局長の決算、予算提案がありました。
これにたいしては、決算についての確認の質問。安田昭さんからの、
一.中国残留孤児に話しをして もらうと良い。
二.中国大使館員に講話をお願 いすると良い。
という提言があり、実施について、理事会で検討することになりました。
それ以外の議事はすべて了承されました。
終了後茶話会があり、八月に予定されている雲南旅行の案内がありました。会員も多く参加し、旅行団は二〇名以上になります。
また、今回は須賀川から安藤明知さんが来られて入会されました。安藤さんは中国が好きで国旅行に何回か行っております。現在の日中関係が思わしくないことを見て、何とか状況を変えるため、入会して活躍したいと考えているそうです。偶然なことに支部か会計監査の安藤勝夫さんのいとこで、お二人は奇遇を喜んでいました。
日 中 友 好 交 流 会
恒例の夏の日中友好交流会をつぎのように開きます。今年は中国残留日本人や多くの中国人留学生が参加します。
と き:七月二八日(金)六時半
ところ:市民会館四〇一号室
会 費:四〇〇〇円(酒飲む人)
三〇〇〇円(酒飲まぬ人)
学生会費
:二〇〇〇円(酒飲む人)
:一五〇〇円(酒飲まぬ人)
当日、中国茶芸師・伊藤由美さんによる「中国茶の楽しみ方」のお話と実演があります。
2006年6月25日号 通算2068号
日本中国友好協会福島支部総会のお知らせ
1.協会をめぐる情勢(「日中友好新聞」6月25日号、第55回大会決定をご覧ください)
2.2005年後期活動報告(2005年11月~2006年4月)
協会は自主的・民主的な立場に立って日本と中国の正常な関係を打ち立てることを目標にするとともに、日本の中国に対する侵略戦争への反省と適切な戦後処理を行うことを主張してきました。また、お互いの立場を尊重した日本人と中国人の交流やさまざまな文化活動を行ってきました。
福島支部でも前記の全国的な活動を行うとともに、支部独自の活動を行ってきました。
1.06年3月、中国語教室第23期を終了しました。中国語検定2・3級合格と通訳力養 成をめざすステップアップコースを新設し、受講生総数は52名となり,修了者は50名 でした。以前から受けていた福島市補助金が継続されるとともに、今期からうつくし ま基金が助成されました。4月からは24期がはじまりました。受講生数はやや減り44 名となりました。うつくしま基金は今期も継続助成されています。
2.中国に関する情報を提供しました。協会事務所に寄せられた質問に答えたり、翻訳の 支援などを行いました。
3.理事会を定期的に開きました。日中友好新聞福島支部版を全国版と同一回数発行しま した。5月20,21日に、東京で開催された全国大会には代議員1名を派遣しました。
3.2006年度活動方針(案)
1.06年4月から始まった中国語教室第24期を継続するとともに、07年4月から第25 期をより質の高い内容で開催します。昼初級コース、昼中級コース、 夜初級コース、 夜中級コース、夜会話コース、夜ステップアップコースの6コースを 開設します。 また、07年3月に一日中国語教室を開催します。
2.福島市とその周辺に到来、居住している中国人との交流を行います。
3.中国との交流を希望する団体や個人に適切な助言をします。
4.太極拳、きりえ、中国語、中国文学、中国映画、囲碁などの中国文化についての情報 を集め、希望者に提供します。
5.06年の平和のための戦争展と平和講演会、朗読劇、戦跡巡りフィールドワークを行 います。07年も同様の企画を実行します。平和をめぐる各種運動に協賛します。
6.8月20日に出発する「雲南の旅」に協賛し、成功するよう努力します。
6.りんご狩りやピクニックなどの会員や留学生と親睦をはかる行事を実施します。7月28 日に日中友好交流会を開き、会員・留学生・残留日本人などの参加を呼びかけるとと もに、中国茶講座、二胡の演奏を行います。
7.07年に計画されている風雷京劇団の公演を成功させるための準備をします。
8.理事会を定期的に開き、方針を実行します。第56回大会に代議員を派遣します。
9.その他、会員や会外の人々の要望にもとづく本会の趣旨に沿った活動を行います。
決算・予算・人事は総会当日資料を配布し、説明します。
2006年6月15日号 通算2067号
第 五 五 回 大 会 に 参 加 し て
福島支部 長尾文枝
前回大会からわずか半年という短期間での開催にもかかわらず今大会も会員増勢で迎えました。会場は三百人あまりの代議員・評議員であふれていましまた。おりしも、会場の区民会館周辺は浅草三社まつりの真っ最中で、各町内の御輿がねり歩き、威勢のいいかけ声や見物客の歓声が聞こえてきます。
二〇分ほどの休憩時間には通りに出て見物。にわか江戸っ子の気分を体験できました。このような祭も平和でなければ心から楽しむことはできません。
その熱気を味方にして、一段と力の入った討議が続きました。 右傾化が進む中で、日中友好やアジアと世界の平和を求める協会の役割の大きさ、重要さをひしひしと感じました。懇親会では、中国「残留孤児」原告団の婦人たちが来日の中国舞踏団と見まごうば
かりの、あでやかな衣装の中国舞踊を披露してくれました。この人たちの明るい表情を忘れず、署名活動などで支援の輪を大きくしなければならないとの思いを強くしました。
日中友好こそがアジアと世界の平和の基礎となると思います。代表派遣募金のご協力ありがとうございました。みなさまのご支援をいただきながら、草の根の運動を続けて行きたいと念じています。
大 会 派 遣 募 金
あ り が と う ご ざ い ま し た
つぎの方々から派遣募金をいただきました。心からお礼申し上げます。大会旅費・宿泊費として支出いたしました。
栗原浅子、比佐千鶴子、渡辺愛二、金敬雄、鈴木裕美子、渡辺フチヱ、長尾文枝、大崎やま子、小塙公子、渡辺正、西元幸子、岡部恵久子、初澤敏生、臼井嘉一、中田スウラ、池澤実芳、手代木有児、北村寧、長尾光之、村上健
2006年5月25日号 通算2064号
福島支部協賛
雲 南 省 世 界 遺 産 と 少 数 民 族 に ふ れ あ う 旅 七 日
福島支部は八月二〇から七日間行われる「雲南省世界遺産と少数民族にふれあう旅」に協賛します。
雲南省は多彩な魅力に溢れています。北には雪を抱く高山が、南部には東南アジアを思わせる風景が広がっています。省都・昆明は「四時如春」(年中春のようにうららか)と呼ばれ、街は花々に彩られています。省内には二五の少数民族が住み、自然と共存し、独
自の言葉、文化、風習を守り続けています。日本文化のルーツとも言われ、昔の日本に帰ったようななつかしさも感じさせます。
8月 20日(日)14:10 福島空港発 上海逸和飯店泊
21日(月) 8:00 上海虹橋空港発、麗江着。麗江古城、四方街等 麗江観光酒店泊
22日(火) 8:00 玉龍雪山、玉泉公園、白沙壁画等 麗江観光酒店泊
23日(水) 8:00 午前中麗江自由散策、専用バスで大理へ 大理亞星大飯店泊
24日(木) 8:00 胡蝶泉、三道茶、周城染、自由散策 大理亞星大飯店泊
25日(金) 8:20 空路昆明へ、昆明市内観光、空路上海へ 上海逸和飯店泊(案)
26日(土) 9:10 上海浦東空港発、成田着(12:55)
・旅行代金 218,800円(全食事・ホテル・中国国内移動バス・入場料付)
・往路、福島空港まで、復路、成田から福島市まではマイクロバス乗車予定(料金別)
・問い合わせは、福島支部または、(有)日華里優人旅行社(〒960-8001福島市天神町16-7
1F-B tel.024-525-0025fax.024-525-0026)
上谷 直 くん 福 島 市 で 結 婚 式
趙 紫恒 さん
5月5日(祝日)上谷直君と趙紫恒さんは、福島市で結婚式と披露宴を行いました。上谷君は福島大学行政社会学部卒業、在学中一年間、中国河北大学に留学していました。趙さんは中国河北大学日本語科卒業後、福島大学大学院・地域政策科学研究科修士課程を修了しました。福島時代には日中友好協会福島支部で中国語教室講師を担当していました。現在はお二人とも東京の会社に勤めています。
当日は十一時から吾妻高原聖アンナ教会で結婚式を挙げ、教会周辺に観光に来ていた多くの人々からの祝福もあり、新郎新婦は大感激の様子でした。午後からは市内の中華レス
トラン石林で披露宴がありました。
結婚式、披露宴には鹿児島から来られた上谷君のご両親やご兄弟、中国河北省から来られた趙さんのお父さんはじめ、お二人の師友たちが結婚を祝いました。日中友好協会福島
支部の会員六人も出席し、祝福しました。
福島支部
第 3 回 理 事 会 開 く
五月一三日(土)福島支部第三回理事会が支部事務所で開かれ、理事五人が出席しました。
はじめに長尾光之理事長が、日中両国民の感情悪化、靖国問題、米軍基地再編問題、憲法問題、などの情勢について報告しました。
中国語教室は四月の開講以来すこしづつ受講希望者が増え、現在合計四五名になっていることが確認され、今後の改善点が討議されました。
平和のための戦争展と平和講演会は実行委員会が開かれ、実施の準備が進んでいます。
八月二〇日から二六日まで、雲南省への旅は支部として協賛することとしました。(別項)
五月二〇・二一日に開かれる全国大会へ向けて、七名の方が会員になってくださったことが報告されました。
昨年十一月の支部総会で決定され、期日を変えて実施する支部総会は、七月二日(日)午後二時から開くこととし、役員は全員留任をお願いします。
夏の日中友好交流貝は七月二八日(金)夜に開くことを決めました。出し物は二胡、マジック、落語などを計画します。
第四回理事会は総会が開かれる七月二日(日)午後一時に開きます。
熱 烈 歓 迎 ! 新 会 員
上谷直君と趙紫恒さんの披露宴の席上、長尾文枝事務局長は趙紫恒さんの指導教員伊藤先生とロータリクラブ会員として趙さんを支援していた造園業野尻緑産社長・野尻榮一さんに呼びかけ、会員になっていただきました。
これで、福島支部は会員2名増となりました。
伊藤喜良さん(大学教授)
「戦争中、父が徴兵され、武漢で戦病死しました。父の顔は知りませんが、中国には以前から関心を持っていました。今後学術の面で中国と交流したいと思っています」
野尻榮一さん(会社社長)
「中国東北地方で生まれました。福島市内に日中友好の記念植樹をしたこともあります」
2006年5月5日号 通算2063号
桜 づ つ み に 泳 ぐ 鯉 の ぼ り
風かおる五月、久しぶりに青空がつづいています。
福島市内西部、荒川沿いの桜づつみ公園には楽しそうな家族や職場の人々のピクニック姿が見えます。
北側の荒川にかかる水道橋には鯉のぼりが風にひるがえっていました。
端午の節句は中国、朝鮮、日本などで五月五日に行われる年中行事です。 端は初めという意味で、端午は月の初めの午(うま)の日です。五月は馬の月、五日も馬の日なので、五の重なるこの日を節句の日としました。古くから中国ではこの日には薬草をとり、よもぎの人形を門にかけて毒気をはらい、しょうぶ酒を飲んで、災厄を除き、病魔を避けました。
福島市
第 二 八 回 憲 法 を 考 え る 集 い 開 く
五月三日(水)午後一時半から、福島市民会館で第二八回憲法を考える集いが開かれ、福島市民百八名が参加しました。この集会は、県労連、県立高教祖、新婦人、福島大学教職組など一七団体から作られた実行委員会の主催によるものです。
はじめに、福島県九条の会・事務局長の真木実彦さんが「県九条のかいは作られてから一年になる。人々は戦争については眠り込んでいるように見えたが、会の運動を通して、人々の意識は大変高く深いということが分かってきた。しかし、運動はまだまだ不足している。三ケタの会が必要である」と開会あいさつをしました。
つづいて、弁護士で元参議院議員の内藤功さんが「日米軍事同盟と憲法改悪の動き」と題して講演されました。
内藤さんは、現行憲法は平和を願う日本と世界の人々の希求にもとづいて作られたもので、たいへん優れている。変更する必要はなく、むしろさらに活用して行くべきだと述べ、自民党の憲法草案の問題点を指摘しました。そして、改憲論が日米同盟の再編のわくぐみの中で推し進められていることを詳細に説明しました。さらに日米同盟の変革再編は憲法に違反するとして、過去に自衛隊は憲法違反であると主張し、勝訴を勝ち取った恵庭事件を紹介しながら説得的に話を展開されました。
講演後の現在のマスコミについての質問には、「政府がNHKへ圧力をかけたことに見られるように、マスコミが権力者に迎合して、正しい報道をしないという問題があるのは確かだ。しかし、共同通信社の記者が優れた本、(久江雅彦『米軍再編・日米秘密交渉で何があったか』講談社現代新書)を書くということもある。視聴者・読者が誤った報道には直ちに抗議し、優れた報道は評価するなどして、マスコミに影響を与えて行くことが必要である」と答えました。
最後に、岩淵友さんが「県民の皆さんへのアピール」を提案、参加者の拍手によって採択されました。
2006年4月25日号 通算2062号
第 二 四 期 中 国 語 教 室 開 講 式
四月一四日(金)夜七時から第二四期中国語教室の開講式が開かれ、受講生三〇数名が出席しました。
はじめに北村寧支部長が「昨年十一月に支部長になりました。わが支部の中国語教室は歴史が長く評判が高いと思います。これは事務局体制がしっかりしており、講師が優れているためです。学習の目的はビジネスが旅行、老化防止など、それぞれ異なることでしょう。私もドイツ語をラジオ講座で学んでいます。語学上達のコツは「継続と反復」です。最近はようやく聞き取れるようになってきました。二年前に福島支部で中国旅行をしたとき、ホテルや商店で「爾好」とか「謝謝」「再見」など挨拶すると、必ず親しみある笑顔で応えてくれました。みなさんもこの一年、自分の目的に向かってがんばってください」とあいさつしました。
つぎに。事務局長が講師の金敬雄先生、韓蔚敏先生、李鵬運先生、黄菲菲先生の紹介をしたのち、各コースに分かれて授業がはじまりました。
日 本 中 国 友 好 協 会 第 5 5 回 大 会
5月20日(土)21日(日) 東京都で開催。代議員派遣のカンパにご協力を。
2006年4月15日号 通算2062号
ま ぼ ろ し の テ レ ビ ド ラ マ
渥 美 清 が 劉 連 仁 役 を
長尾光之
戦争中の一九四四年八月、中国・山東省から北海道に強制連行され、一三年間北海道内で逃亡生活をしていた劉連仁さんのことはアニメーション「ライヤンツーリーの歌」や茨城のり子の詩「りゅうりぇんれんの物語」などに描かれています。このほどシリーズ『男はつらいよ』で著名な渥美清が劉連仁役を演じたテレビドラマがあったことが分かりました。一九六二年に北海道放送(HBC)で製作・上映され、芸術祭参加作品として同年十一月三〇日にTBSから再放送された、「不知道(ぷうちいたお)」です。HBCに問い合わせたところ、編成局コンテンツ事業部の渡辺良介氏から「演出が清水洋三と分かり、彼は弊社社員であったため、弊社製作と自覚しました」「ライブラリーセンターに行って調べたのですが残念ながら番組はありません。VTR素材でないことは確かなのでフィルムロールを探してみましたが見つかりません。報道局長に確認したところ、彼も見たくて一五年前に熱心に探したそうですが、無かったそうです。もしかしたら生放送だったかも知れません。芸術祭への提出はTVモニターをフィルムで再撮した可能性もあるそうです」「制作した事実は確認できましたが台本もなにも残っていないのが現状です」とのメールが来ました。 さらに調べたところ、台本作者は山川方夫であることが分かりました。山川方夫全集(第四巻・一九六九年冬樹社、同第七巻・二〇〇〇年筑摩書房)に「不知道ぷう・ちいたお」(テレビドラマ)として収録されています。 これを読むと、はじめに「昭和一九年から昭和二〇年五月にかけ、約三万人におよぶ中国人の強制連行者が、日本の北海道をはじめ、各地の主として炭鉱に送りこまれた。彼らはきびしいノルマと制裁、そして空腹に耐えかね、つぎつぎと数名のグループをつくって逃亡した。逃亡は、終戦の前夜までつづけられた。」とのナレーションがあります。この台本の立場が強制連行や劉連仁事件の本質をほぼ正しくとらえていることを示しています。劉連仁は出身地である山東省高密県にちなんで楊高密と言う名で登場しています。楊高密がともに逃げた中国人をも失い、たった一人で北海道を放浪しているとき、開拓部落の少年と知り合い、友情が生まれることを描いています。この楊高密を渥美清が演じています。そのほか、末吉敏雄、平山清、今福将雄などが出演しています。山川方夫はまた、『ネットワーク』誌 にこの作品について寄稿し、「もし、ご覧になった方に、平和というもののおそろしさを、---「平和」という表面の下にも、戦争へとつながるいっさいのものがひそみ、生き、動いている人間の生活というものの恐ろしさを---感じとっていただければ、僕には望外のよろこびです」というメッセージを発しています。(「正常という名の一つの狂気」初出『ネットワーク』 一九六二年一〇月、『全集』第五巻冬樹社一九七〇年・第六巻筑摩書房二〇〇〇年一〇月) 中国人強制連行は一九四二年十一月、東条内閣の「華人労務者内地移入ニ関スル件」閣議決定により、日本の国策として行われました。いま、北朝鮮の拉致問題が大きなニュースとなっていますが、日本もそれに類することを、さらに大規模に公然と行って来たのです。
日中友好協会は北海道をはじめとする全国各地で中国人強制連行の事跡を発掘し、慰霊碑の建設や慰霊祭などを行ってきました。一九九五年にはビデオテープ『中国人強制連行』を製作して、映像でその事実を訴えました。強制連行の事実は決して忘れ去ってはならないことです。
福島県にも猪苗代町の沼の倉発電所に中国人や朝鮮人が強制連行され、その記念碑が建てられています。これについての調査を近く行い、全容を明らかにする計画があります。
「 り ゅ う り ぇ ん れ ん の 物 語 」 作 者
茨 木 の り 子 さ ん 死 去
長編詩「りゅうりぇんれんの物語」の作者茨木のり子さんが、二月一七日くも膜下出血のため東京の自宅で亡くなりました。七九歳でした。
「りゅうりぇんれんの物語」は劉連仁が強制連行され、苦役に耐えかねて逃走・放浪後発見された事跡を踏まえて書かれています。
はじめ『ユリイカ』に朗読用の詩として発表され、一九六五年に詩集『鎮魂歌』(思潮社)に収められました。
ニッポン放送の『ラジオ劇場』では宇野重吉、山本安英出演で放送されたこともあります。また、劉連仁の命日に合わせ、二〇〇五年九月二日に、詩劇『劉連仁りゅうりぇんれん』としてスタジオVARIOが公演したほか、平和教育の教材として各地で用いられて
います。
全国学校図書館協議会から、劉連仁さんの逃走経路地図、写真、茨木のり子年譜を付し『りゅうりえんれんの物語』(二〇〇円)として刊行されています。
2006年4月5日号 通算2061号
一 日 中 国 語 教 室 ひ ら く
三月二六日(日)午前一〇時からと午後一時からの二回、福島市民会館で福島市としてははじめての企画である「一日中国語教室」が開かれ、合計約四〇名が参加しました。
午前中は支部中国語教室・ステップアップコース講師である福島大学の金敬雄先生が中国語の基礎的な特徴、自分が中国で日本語を学んだときの経験から、外国語を学ぶときの心得、中国にはさまざまな方言があるが、共通語を学べばどこでも通用することなどを話しました。その後、李白の詩「夜思」を取り上げて意味を説明したあと、受講生にも朗読してもらいました。アシスタントの黄菲菲さんにも朗読してもらうと、その美しい発音に拍手が湧きました。
午後は、福島支部理事長である福島大学の長尾光之先生が、世界には六千あまりの言語があるが、語族、語派に整理するとその系統が良くわかること、中国語は中国・チベット語族に属しており、日本とは全く異なる系統であること、中国の歴史と中国語の方言分布、共通語の歴史と特徴などについてパワーポイントを使って説明しました。つづいて、「私は日本人です」「これはいくらですか」などの簡単な会話を黄菲菲さんの指導で練習しました。
当日は「福島民友」「福島民報」両社が取材に訪れ、後日記事が掲載されました。
東 北 ブ ロ ッ ク 会 議 開 催
四月一日(土)二日(日)の両日、岩手県一関市の一関文化センターで協会東北ブロック会議が開かれ、東北五県と全国本部から合計二二名が参加しました。
一日目は残留孤児の支援と裁判についての話題が中心となりました。東北では三五名が仙台地裁に提訴しており、全国では二一九〇名と孤児の約八〇%が提訴しています。一関では「支援する会」が、県・市会議員、JA会長、住職などの五〇人の賛同者を集めて発足しています。五月に結審する東京訴訟勝訴のため署名運動などを強化しようということで一致しました。
二日目は五月に開かれる全国大会を成功させるため、各出席者がかかわっている太極拳や中国語講座の人々と結びつきを強めながら代議員、評議員派遣を要請するとともに全国で五百人の会員・準会員拡大の目標を達成するために各分野の活動を盛り上げようという
ことになりました。
2006年3月25日号 通算2060号
福 島 支 部 第 2 回 理 事 会 開 く
三月十一日(土)午後二時から福島支部第二回理事会が開かれ、理事五人が参加しました。
はじめに長尾理事長が現在の日中間の情勢について報告し討論しました。
三月三日に終了した、第二三期中国語教室は始まったときは五二名で終了時には五〇名という大きな継続率であったことが確認されました。
二四期については「うつくしま基金」が決定したことが報告されました。またチラシを「福島リビング」に入れること、学習センターに置くこと、一日中国語教室に取り組むことなどの準備状況について話し合いました。
平和のための戦争展と平和講演会への「うつくしま基金」が決定したことも報告されました(既報)。
福島支部
会 員 拡 大 目 標 達 成
現在協会は全国大会に向けて,会員と準会員あわせて五百名増へ向けて取り組んでいます。
三月十一日の第二回支部理事会では拡大要請数を会員四名、準会員八名、季刊中国読者二名と確認しました。
その後、名簿整理をしたところ入会・退会を差し引いて、二名が増えておりました。さらに、吉田吉光さん、渡辺 享さん・キノヱさんがご夫婦で入会されましたので、計五名増となり、会員拡大目標を達成しました。
熱 烈 歓 迎 ! 新 会 員
吉田吉光さん(団体役員)
吉田さんは中国情勢、日中問題に関心が深く、会員になりました。
渡辺 享さん(中国語教室)
渡辺キノヱさん( 同 )
渡辺さんご夫婦は、ともに中国語教室中級(夜)の受講生です。お二人とも水泳、スキー、スキューバ・ダイビングなどスポーツが得意です。この冬にはパラオにスキューバ・ダイビングに行きました。中国人留学生をスキーに誘って喜ばれています。
中 国 語 教 室 受 講 生 の 感 想 文 ①
支部中国語教室では、ステップアップコースと中級コース(夜)の方々に感想文を書いていただきました。中級コースは「私の夢」または「私の一日」どちらかのテーマです。中国語の原文に日本語訳をつけて連載します。
感想 渡辺愛二
我対学習外国語感興趣,如果使用外国語跟外国朋友一起会自然地交談一定非常高興罷。
因為這“提高班”气氛太好,所以我能毎次愉快地学習漢語。為什摩可以那様尼?
我覚得有三个原因(理由),即
(1)教科書是対我門的学力正合適的。
内容不但課文有意思,而且練習問題也有意思。
(2)同学門都是又聡明又認真
我的記性日益減退了。怎摩也記不住。很遺憾年軽同学的記憶力,我羡慕得不得了。
(3)老師的教学方法也无論好。
老師,作為本国人,教我門漢語的“微妙的語感,漢語特有的措詞”等等。
通一个年的学習,我覚得,听力一点儿進歩了,但是口語還不行。要根据口語能力就得不怕做錯不得不努力多説。前途還遠。加油!
這一年,我能愉快地学習,全靠老師和同学門的幇助。謝謝。
私は外国語の学習に興味がある。
外国語で外国人と自然に会話・交流ができたら、とても楽しいことだろう。この「step
up class」は雰囲気がよく、いつも楽しく勉強できた。どうしてそうなのか? それには3っつの理由がある。
(1)教科書がぴったり。
教科書は本文も良いし、練習問題が役に立った。
(2)仲間のみなさんは、みな頭がよく、まじめ。
私は記憶力が日に日に衰えてゆくので、若い人たちがとても羨ましい。
(3)先生の教え方が良いのは勿論。先生はnativeとして中国語の“微妙な語
感や言い回し”を教えてくださる。
この一年を通して「聞く力」は少し上達したが「話す力」はまだまだ。上達を望むなら、間違いをおそれず、多く話すことだ。道は遠いががんばろう!
この一年間、楽しく学習できたのは、すべて先生や仲間のお陰です。
我的梦想
我的梦想是能長期住在海外,想去加拿達,瑞士,澳大利亜,新西蘭和亞洲的島嶼等些地方做戸外外活動。好好地享受大自然,有時間听音楽,看書,做好吃的菜,和愛人一起珍惜毎一天,度過愉快的一生。為了実現梦想,首先我応当学習英語。可是就算不学英語,我也要追求梦想。
私の夢
私の夢は長期間海外で暮らすことです。カナダ、スイス、オーストラリアやアジアの島などで野外で過ごしたいと思います。大自然をよく享受し、音楽を聞いたり、本を読んだり、美味しい料理を作って夫とともに毎日を大事にしながら楽しい一生を送りたいと思います。この夢を実現するために第1に英語を学ばなければなりません。けれども英語を学べなくともこの夢を追い求めたいと思います。
我的一天(我的生活習慣)
我早上五点三十分起床。首先刷牙和洗lian。然后六点半左右吃早飯。吃完了以后七点半開車去公司。八点半開始営業、営業到下午五点半。工作比較忙,所以六点半左右才下班。回到家休息一会儿,吃飯了以后洗澡。然后一辺看電視,一辺喝葡萄酒。有時間的話,我在家唱ka拉OK。大概十点半睡覚。
私の一日(私の生活習慣)
私は朝5時半に起きます。まず歯を磨き顔を洗います。その後6時半ごろ朝食をとります。食べ終えると7時半に車で会社に行きます。8時半から営業をはじめ5時半まで続けます。仕事は忙しいので6時半ごろようやく退勤します。家に帰って少し休み、食後は風呂に入ります。それからテレビを見ながらワインを飲みます。時間があればカラオケを歌います。だいたい10時ごろ寝ます。
2006年3月15日号 通算 2059号
中国語教室第二四期
う つ く し ま 基 金 獲 得
この四月からはじまる福島支部中国語教室は二三期につづいて、福島県の助成金・公益信託うつくしま基金を獲得する準備をすすめていました。一〇月に申請書類を提出しました。今回は百十一件の申請があり、そのうち四九件が書類審査をパスして三月四日のプレゼンテーションに臨みました。本教室も通過しました。
三月四日(土)午前、長尾光之理事長がパワーポイントを使って、日本と中国の人的交流が公務、経済、観光、留学などで増えていること、それに対応して中国語の必要性が高まっていること、福島支部中国語教室の実績などを訴えました。
選考委員たちからは「この資金は毎年審査を行って決定するもので必ずもらえるとは限らない。貴会はこの資金を組み込んだ資金計画を立てているが、もらえなかったらどうするのか」「日中友好協会福島支部には相当数の会員がいるのではないか、支部本体の会計から教室に対して援助はできないのか」「受講生は自分がスキルを身につけるために、この教室に来ているのではないか。それならばそれに相応する受講料をもらえばいいのではないか。受講料を値上げしてはどうか」などのなかなかきびしい質問がありました。これに対しては、「うつくしま基金全体の財産額からしてあと七・八年は頂けると期待している」「福島支部の財政は経常活動の方でほとんど使い道が決まっているので、中国語教室は独立採算で行っている」と答えました。
昨年に比べ、委員の質問も雰囲気もなかなかきびしかったので今年は採用はされないかもしれない、と覚悟していたのですが、午後六時の発表に行くと、合格しており昨年度同様百万円の助成が決定しました。 しかし、その後発表された順位表を見ると、書類審査は百十一件中二七位だったのに対し、プレゼンテーションを加味した総合点では四九件中四八位となっており、審査委員の発言とあわせると来年度以降は助成は難しそうです。
ふくしま平和のための戦争展も
う つ く し ま 基 金 獲 得
中国語教室のうつくしま基金プレゼンテーションに引き続き、福島支部が事務局を担当している、「第四回ふくしま平和のための戦争展と平和講演会」も同様に助成金を申請していました。プレゼンテーションは福島支部準会員の菅野家弘さんが行いました。菅野さんは戦争体験者が少なくなってきている作今、体験者に話を聞いたり、貴重な物品を提供してもらうことの重要性、昨年の戦争展に寄せられたアンケートに感動的なものがあったこと、などを話しました。
委員からは「毎年同じ企画ではなく、その年の特色をだすべきだ」「学校関係者への宣伝はどう行うのか」「百万というのは大変な金額だ。もしもらえなかったらどうするのか」との質問がありました。
これにたいしては「蓬莱団地では小中学校を訪ねて参観を依頼したり、授業に呼ばれて話をしたりした。助成金がもらえたので昨年は書籍など実行委員会用の物品を購入した。講演会・講師も助成があれば東京などから適切な人を呼ぶことができる」と答えました。
戦争展に対しては委員の質問は中国語ほどきびしくはありませんでした。夕刻の発表では、やはり昨年に続いて百万円の助成が決定しました。順位も書類審査を通過した四九件中二八位でしたので、来年度以降の助成も期待できます。
二三期中国語教室
修 了 式 開 く
三月三日(金)午後八時から中国語教室最終授業後、二三期の修了式が開かれました。
長尾光之理事長が「みなさんはこの一年しっかり中国語を学んでこられました。語学は独習もたいせつですが仲間とともに学ぶことも楽し良く身につくものです。政治的に日中関係はきびしくなっていますが、それを打開するためにもこの教室のような草の根の交流が大事です」とあいさつしました。
そのあと、先生にはCDケースが、受講生には中国語テキストやビデオテープがプレゼントされました。最後に、コース別に記念写真を写しました。
2006年3月5日号 通算2058号
留 学 生 の カ ル チ ャ ー シ ョ ッ ク
アンケート結果紹介
福島県留学生交流推進会議では県内の〇五年度留学生の生活実調査を実施しました。以下は福島大学留学生の調査結果です。留学性一四〇人中、回答者九九人、回収率は七一%です。
留学の目的は「学位取得のため」一七人、「専門技術を学ぶため」四〇人、「日本語や日本文化を学ぶため」三一人、「将来の仕事のため」三六人です。福島大学を選んだ理由は「希望する専攻分野があったから」が他の理由を大きく引き離して五九人。次いで「人に勧められたから」が一五人、「生活・学習環境が良さそうだから」が三一人となっています。留学終了後の進路では「日本で就職したい」と「自国で就職したい」がほぼ拮抗して、それぞれ三九人と三四人、「進学したい」が二六人となっています。アルバイトをしている者は九九人中六七人で、アルバイト先で困っていることは、「アルバイト先が少ない」一六人、「日本語が良くできない」一五人「時給が安い」一三人です。学びたい日本文化では「日本料理」が最も多く五四人、次いで「お茶」二六人、「漫画・アニメ」二一人「お花」一七人などです。
どんなときにカルチャーショックを感じたか、との問いに対しては「日本はあいさつの国だと思う。初めはその習慣に慣れず、周りから変な目で見られてショックだった」「日本人の多くはハッキリと意見を述べないこと」「仕事を一生懸命しているのにバカにされた」「税金が多く物価が高い」などの否定的な見方がある反面「親切に道案内してくれることに感心した」「日本人の友達ができて良かった」「祭が楽しかった」との肯定的な
意見もありました。 これからも留学生をはじめとする外国人との付き合いはますます
増えてくるでしょう。外国人に、「日本に来て良かった」と感じてもらえるようなグラスルーツの交流は今後これまで以上に必要となってくるでしょう。
中 国 語 検 定 試 験 を 受 け て
中国語教室・中級 千葉 孝
私は中国語を習い始めて既に三年になります。習い始めた頃、次女が台湾で仕事をしていた関係もあり、妻と台湾旅行をしました。その折、次女が台湾の友達と話す中国語が全然理解できませんでした。それでも台湾に友達ができ、再会を約束しました。再会できた
時には少しでも中国語で話がしたいと思い、習い始めたのです。
昨年、娘に中国語検定試験を受けることを勧められました。検定試験を目的に学習していたのではなかったので、自信はありませんでした。しかし、成果を確認しようと思い、11月に4級を受験しました。
試験はヒヤリングと筆記試験があり、両方で1時間40分の試験時間です。合格ラインは両方とも60点以上でした。
中国語を聞く機会が少なかったのでヒヤリングは難しいと思いました。車に乗ることが多いので、車中で検定対策用のカセット・CDを聞いて学習しました。筆記は現在中級で習っている程度の問題が多く出題されておりました。筆記で難しかったのは語句とその4声、ピンインでした。10題出題されて配点も20点ですから、初級のあいだにしっかり身につけなければと痛感させられました。当教室の3年間とも先生が変わりましたがそれぞれの先生方には熱心に指導して頂きました。お陰様で合格できましたことを感謝しております。皆さんも学習の成果を確認するのに最適な試験だと思いますので、この教室でしっかりと学習し挑戦してみては如何でしょうか。
私は年内に中国旅行をしたいと思っています。その時のために、また、生涯学習の一環として、そして認知症予防のために中国語の学習を続けたいと思います。
3・4月の予定
3月3日(金)中国語教室修了式
11日(土)福島支部理事会
26日(日)一日中国語教室
4月1日(土) 東北ブロック
2日(日) 会議(一関)
4月14日(金)中国語教室開講式
2006年2月25日号 通算2057号
福島大学行政政策学類
中 国 人 留 学 生 と 語 る 会
二月一四日午後三時から、福島大学行政政策学類大会議室で、オーストラリア・クインズランド大学からのプーキーラオさん、中国・河北大学からの郭芳さん・田冰さんの三人を囲んで話し合う会が開かれました。三人の留学生はこの三月に帰国します。
はじめに各人がそれぞれ「福島大学での一年」について感想を述べました。
プーキーラオさん(香港出身・中国名・劉沛琦)は、福島大学に来たばかりの時は、日本語力が弱く、授業は一〇%、テレビは五〇%ぐらいしか分かりませんでした。サークルは山岳部には入り安達太良山、霊山、富士山などに登りました。友人もサークルを通じてできました。そのほかにも山形に行ってこけしを買ったり、仙台の七夕祭や田沢湖にも行きました。日本とオーストラリアとでは違う点が多くあります。中でも冬の寒さははじめて経験しました。また、日本の女子大生は化粧をしますが、オーストラリアの学生はほとんどしません。日本のレストランは料金が高いですが、大学生協の食堂は安くておいしいです。
郭芳さんは、中国で川端康成などの日本の小説を読みおだやかな所と思っていました。仙台空港から福島に来たときの第一印象は、人の姿が少ないこと、ゴミがないこと、消費税があることでした。また、中国人と外見の同じ人々がみな日本語を話していることが不
思議に思えました。中国では一部屋八人の寮生活でしたが、日本では一人暮らしでかえって楽しかったです。けれども、気分の悪いときなどは助けてくれる人がいなくてさびしい思いもしました。中国ではこんなときは必ず周りの人が心配してくれて、めんどうを見て
くれます。日本のレストランでアルバイトをしはじめのうちは全身が痛くなりましたが、五日で慣れました。はじめて給料をもらったときはうれしかったです。大学の授業を通して、さまざまなことを知りました。日本に環境問題、貧困などの社会問題があることなどです。日本では人と人の関係が冷たいと感じます。例えば、授業が終わると学生はみなバラバラになってしまいます。アパートでは隣の人の顔さえ知りません。これは高度成長の背後にある遅れた部分だと思います。
田冰さんは、中国では、日本の「東京ラブストーリー」が人気があり、私もこの番組を見てから日本語を学びはじめました。日本に来たときには、頭の中には日本で確かめたいことが沢山ありました。第一印象は人間が少ないということです。また、何もかもが新しいと感じました。電車に乗っていても退屈しません。居眠りしている人や、パソコンを打っている人がいます。若者は大声で話し、男子でも髪を染め、ピアスをしている人がいます。春に福島に来たときは花見山やスカイラインに行き、花が満開でたいへんきれいでした。夏の花火もきれいです。日本人は祭が好きだと思いました。また、日本の学生は先輩・後輩の関係がきびしいです。中国ではそれほどではありません。日本語が良くできなかったころ、小銭がなかったとき、先輩に、「両替してくれ」と言って、たいへん驚かれたこともあります。
三人の話が終わったあと、会に参加した先生や学生たちは、日本、中国、オーストラリア、カナダなどの大学や国情の違いなどについて二時間あまり熱心に話し合いました。
2006年2月15日号 通算2056号 付録
中国語教室・中級
新 年 会 ・ 楊 先 生 送 別 会 ひ ら く
遠藤武彦
一月二八日夜、市内香港楼で中国語教室・中級(夜)の新年会が開かれました。講師の楊暁玲老師をお招きし、八名の参加者は今年も仲良く学習に励むべく「談笑風生且喫且喝了」。
この会は、講師の楊老師がお父上の看病のため一時帰国されることになり、その送別会も兼ねました。お花とお餞別を差し上げ感謝の気持ちをあらわしました。楊老師の、「五年も日本に生活しながら、同胞中心の人間関係が中心だったのですが、この講座を引き受
けたことで皆さんのような日本の友人がたくさんできたことが嬉しい」との言葉が印象的でした。
今年度、曲老師に励まされて初級から中級にステップアップしたメンバーは、経験も実力も心もとなく、当初先輩たちに混じって緊張の日々でしたが、曲・楊両老師の好バトンタッチのおかげでなんとかこの一年かじりついて来ました。 それだけにお別れはたいへ
ん残念です。楊老師はこの日のためにお手製の餃子を持参し、ご馳走してくれました。厨房で蒸したての餃子は香辛料がほのかに効いて美味しく、瞬く間にみんなの胃袋に。「また食べたい」と思いました。今後は育児に一息ついた曲老師が再び後を継いでご指導くだ
さるとのこと一安心です。飲み過ぎて他人の靴を履いて帰る者がいたほどの盛会でした。
中 国 の 花 を 訪 ね て
洛 陽 牡 丹 祭 り と 西 安 い け 花 交 流 の 旅
4月23日 西安:成田から西安へ。城壁見学・唐歌舞ショー
4月24日 西安:花卉市場見学。列車で洛陽へ。
4月25日 洛陽:牡丹まつり見学・竜門石窟・市内の花見学。
4月26日 西安:西安市民と生け花の交流。
4月27日 西安:兵馬俑・華清池など見学。帰国。
旅行費用:15万8千円
旅行企画実施:日中平和観光横浜支店 協賛:日本中国友好協会
無料
一日中国語入門教室
3月26日(日)第1回 午前10時から12時 第2回 午後1時から3時
福島市民会館501号室(市内霞町)
講師: 福島大学教員 金敬雄(第1回、長尾光之(第2回) アシスタント:中国人留学生 黄菲菲
はじめて学ぶ人を対象に中国語についての基礎的知識と発音や簡単な会話を学びます。
学校や自習ですこし学んだことのある人も歓迎します。
2006年2月5日号 通算2055号 付録
福 島 の ギ ョ ー ザ 宇 都 宮 に 出 店
福島市の一四の餃子専門店でつくる「ふくしま餃子の会」の会員が二月宇都宮市のフードパークに期間限定で出店することとなりました。業界で「餃子の聖地」と呼ばれる宇都宮に会員の店の焼きたて餃子が登場するのははじめてです。
餃子の会が店を出すのは、昨年開店した宇都宮市簗瀬町の「宇都宮餃子共和国」。宇都宮や大阪、神奈川の餃子専門店十一軒が出店するフードパークです。ここに、二月四日から一ヶ月間、「満腹」「照井」「山女」が順番で職人を派遣します。
宇都宮市は「餃子の町」として全国に宣伝活動を続けています。同共和国では二月から、東北地方の餃子の名店を期間限定で紹介するイベントを企画しており、同市と同様に第二次世界大戦後に餃子文化が根付き、独自の文化をはぐくんできた福島市から「ふくしま餃子の会」が出店することになったのです。
G D P 中 国 、 世 界 4 位 に
はじめて英国上回る
中国の国内総生産(GDP)は〇五年に英国を抜き、米ドル換算で世界四位の規模となりました。イギリス統計局が一月二五日発表した〇五年の実質成長率は一・八%と一三年ぶりの低い伸び率にとどまり、ドル換算したGDP総額は約二兆ドル(約二三〇兆円)。中国のGDP総額は約二兆一千億ドル相当で初めて英国を上回りました。〇四年に世界五位だったフランスはまだ公式統計を発表していませんが、一兆九五〇〇億ドル前後という見方がつよいようです。このため中国経済が米国や日本,ドイツに次ぐ規模に成長したのはほぼ確実です。
思想信条の自由を守り軍事大国化に反対する2/11福島県集会
記念講演
今 だ か ら 考 え る 戦 争 と 平 和 中 村 政 則 氏 (神奈川大学特任教授)
2月11日(土)1:30市民会館第2ホール 参加費:300円
第 2 回 禁 演 落 語 を 聞 く 会
立 川 談 之 助 師 匠 2月5日(日)県文化センター小ホール
開場13:30 開演14:00
会員券:一般1500円 小中高大生500円
2006年1月25日号 通算第2054号 付録
福島支部
第 一 回 理 事 会 ひ ら く
一月二一日(土)午後二時から、支部事務所で第一回理事会が開かれ、理事六人全員が出席しました。
長尾光之理事長が「日本と中国の関係は「政冷経熱」から、「政冷経涼」と言われるように政府間の関係は悪化しているし、世論調査によると国民感情も相互に悪化している。このようななかで、上海の小学生たちの演芸公演が中国側の事情により、先生の出国ができなくなり、中止せざるを得なかった。状況にはきびしいものがあるが、草の根の交流には努力して行きたい」と報告し、討論しました。
昨年一二月五日(日)に行われた「りんご狩り」はたいへんたのしく、会員や中国人との交流の点でも意義があったので、ぜひ来年も続けたい。しかし果樹園の方があまり負担になっても申し訳ないので、参加者も手伝いなどで協力して行こうと話し合われました。
現在の中国語教室についてはクラスの状況先生の異動などについて意見交換しました。
四月から始まる第二四期に向けては、公益信託基金の獲得へ向けて努力すること、リビング新聞へのチラシ、インターネットで受講生募集することが確認されました。
また、「無料一日中国語教室」を開いて、中国語への興味・関心を持っている人々の要望にこたえる企画を実施することにしました。
今年夏日華里優人旅行社で雲南旅行を計画していますが、日程・内容などが適切であれば支部として協賛し、参加者募集も行うこととしました。
第二回理事会は三月十一日午後二時から開きます。
全 国 の 平 和 展 運 動 交 流
全国各地でおこなわれている「平和のための戦争展」の運動経験を交流する集いが1月14,15の両日、東京・江戸川区の総合文化センターなどで開かれました。2日間でのべ140人が参加しました。東京の「平和のための戦争展」実行委員長鈴木定夫さんは「戦争の本質と実態を明らかにし、訴えてきたこの運動を大いに語っていこう」とあいさつ。 早稲田大学の大日方純夫教授が「日中韓三国共通歴史教材から見えてきたもの」と題して記念講演しました。
「平和のための戦争展」は、地域での戦争遺跡や戦争体験の掘り起こしと継承、現代の戦争の問題と向き合って取り組まれています。
日中友好協会の長尾光之さんは、福島市の信夫山の地下にある中島飛行機製作所の工場跡地を公開するよう市に働きかけていることを紹介しました。
「戦争体験をどう受け継ぐか」など4つの分科会では、「参加型の『戦争展』をどうつくっていくか」「今年の『平和のための戦争展』では、憲法や国民保護法がどうなっているかもポイント」など活発に議論されました。(「しんぶn赤旗」1月16日号)
太 極 拳 無 料 体 験 教 室 の お 知 ら せ
(情報)
県内各地で健康講座の講師として活躍されている、吉井雅彦氏の太極拳
無料体験教室が下記の要領で開催されます。氏は太極拳のみならず、気功
ヨガにも精通しておられ、人体の機能や発達にもとずいた健康講演は好評
です。以前、福島支部中国語教室で学ばれ、中国語も堪能です。日中友好
交流会では健康講話と実技を披露し、好評でした。
日時:1月30日(月)10:15~
場所:波恵ダンスカルチャーバーク(福島市新町,Tel.526-0850)
2006年1月15日号 通算第2053号
福 島 支 部 へ の 年 賀 状
あ り が と う ご ざ い ま し た
日本中国友好協会会長 伊藤敬一
日本中国友好協会秋田支部
日本中国友好協会盛岡支部
日本中国友好協会山形県連
日本中国友好協会宮城県連
日本中国友好協会愛知県連
日本中国友好協会岐阜県連
日本中国友好協会福井支部
日本中国友好協会和歌山県連
日本共産党議長 不破哲三
元中国語教室講師 陳 軍
同 黄旭団
同 曲 春華
同 邵 勤風
相原 茂、赤井作男、朝倉美和子、阿部兼也、阿部裕美子、石田幹、臼井嘉一、江田 清、大泉正気、大泉賑子、大内寛隆、大崎やま子、大須賀ミチ子、王 征、岡部恵久子、加藤三由紀、菅野家弘、北村 寧、庫山恒輔、栗原浅子、小塙公子、黄菲菲,小林英三、菰口 治後藤孝一、斎藤 実、 島貫謙次、謝 清平、庄司他人男、庄野弘晃、新谷義隆、高橋明子、手代木有児、手代木由美、寺崎文 司、中川利子、永山俊子、西本幸子、初沢敏生、初沢智子、羽田正見、樋口子吉、比佐千鶴子、深谷岩光、深谷富士子、藤川稔、藤川淑子、堀 政好、真木実彦、三浦正雄、村上健、村上みどり、村松勝三郎、森 清、森川登美江、門間春江、山崎四朗、渡辺 正
豪 雪 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す
昨年から今年にかけて、日本は大変な寒さに襲われ、それにともなって各地で大雪が降っております。新潟、長野をはじめとする地方では死者やけが人も出ており、今後は雪崩の恐れもあります。心からお見舞い申し上げます。
福島県内、市内でも例年になく雪が多く、被害に会われた方もおられると思います。お見舞い申し上げます。
なお、中国外務省の孔泉報道官は「この冬に、日本の一部地区で大雪の災害が起き、多くの死傷者が出ている。雪害に見舞われた地域の日本国民および犠牲者の遺族に心からお見舞いとお悔やみを申し上げる。被災地の人々が困難を乗り越え、通常の生産、生活秩序を早期に取り戻すものと信じている」との談話を発表しました。
2006年 1月 5日号 通算2052号
あけましておめでとうございます
本年も日本と中国の友好関係発展と両国の人々の相互理解を深めるためにがんばりますので、よろしくお願いします。
2006.1.1
福島支部役員
支部長 北村 寧
理事長 長尾光之
理 事 大崎やま子
同 深谷岩光
同 比佐千鶴子
同 大泉和久
事務局長 長尾文枝
ごあいさつ
福島支部長 北村 寧
みなさん。あけましておめでとうございます。昨年十一月の総会で支部長に選ばれました。以前理事長を担当したことがありましたが、支部の役員はしばらくぶりです。どうかよろしくお願いします。
七〇年代の国交回復後、八〇年代の中国の改革開放政策後とちがって、最近の日中関係にはきびしさが立ちはだかっているようです。とくに日本の過去の中国やアジアに対する侵略戦争の事実を見ようとせず、A級戦犯が合祀されている靖国神社参拝を続ける小泉首相には中国や韓国から大きな非難の声が寄せられています。この態度を改めない限り、日本とアジア諸国の間には正常な国と国の関係は打ち立てられないでしょう。
しかし、日本と中国の間にはさまざまな民間レベルの交流があります。福島市にも留学生など多くの中国人が在住しており、わが支部は交流会、りんご狩り、中国語教室などを通して中国人との友好を図っています。支部の内外にも旅行や仕事で訪中する人も多くおります。
これらの草の根の友好交流を進めて行くことによって、わが協会の発足以来の趣旨である対等平等な「真の日中友好運動」が進展するものと考えられます。
本年も会員や中国語受講生のみなさんが、健康に留意されつつ、支部の多彩な活動に参加されることを期待いたします。
カレンダー普及へのご協力ありがとうございました
3年前、本部で初めて作成したカレンダー「中国悠久の旅」は2006年版もとりくまれました。おかげさまで、12月で190本の普及ができました。全国でも9千本を越えました。
売り上げの一部は本部を通して「残留孤児」国家賠償裁判の支援連絡会へ贈られます。
会員・役員のみなさまのご協力・ご支援を感謝いたします。
銀 世 界 で の り ん ご 狩 り と 交 流 会
中国語教室 安藤 斎
十二月四日(日)、福島市飯坂町の後藤りんご園で、福島支部りんご狩りが開催され、中国語教室の先生と生徒、福島大や福島医大の留学生など二〇数名が参加した。この日は朝から雪がちらつき、福島市のシンボル信夫山のトンネルを抜けると五センチ以上も積もっていて、銀世界でのりんご狩りとなったが、日中は風が無く、暖かい日差しの下で楽しむことができた。
まず、りんご園の主人である後藤さんから、おいしいりんごの見分け方と上手なもぎ方を教わり、大玉の「サンふじ」りんごを目がけて散っていった。それぞれこれはと思うりんごを慎重に選んでいたが、いっぱい詰めすぎてビニール袋が破けてしまった人も。そのうち、かわいい園児三人とイケメン留学生が雪合戦を始めた。園児には応援がどんどん増え、イケメン君は四面楚歌状態に。 すると「私は○○君の見方よ」とイケメン君に加勢する女子留学生も現れて、雪合戦の輪は広がっていった。日頃運動不足である私は、ちょっぴり汗をかき溜まったストレスを解消した。
そしていよいよ交流会。まず、後藤さんから日中友好協会との関わりの話があり、理事長からは、後藤さんの好意により開催できたこと、今年で二回目になること、が紹介された。そのうえ、後藤さんの奥さんと近所の友達が心を込めて作った豚汁も振る舞われた。なお、今回の留学生の参加費は無料とのこと。
りんごと豚汁でお腹が満たされてきたところで、自己紹介が始まった。交流の機会が増えたと後藤さんに感謝する支部関係者、去年後藤さんのりんごの味を知ってからは他のは食べられないという先生。またカタコトの日本語で自己紹介する医大の留学生もいれば、流暢な中国語で拍手を浴びるステップアップコース班の生徒も。さらに、「私の中国語うまいでしょ」と言い出す福島大の留学生(?) もいて笑いを誘った。その後は、豚汁をおかわりしたり、持ち寄った手料理をごちそうになったりしながら、話の輪がいくつもできていった。
その夜、おみやげのりんごを食べた母は「うまいうまい。うーんと甘いわ」とご満悦。私は嬉しくなり、参加して良かったと家に帰ってからも思った。
昨年の年末、上海のある大学の日本語学部の授業を見学した時のこと。急に雪が降り始め、窓の外が真っ白になって、学生の大半を占める女子学生は大喜び。すると学生の一人が黒板に「瑞雪兆豊年」(大雪は豊年の兆し)と大書して、意味を説明してくれた。雪があまり降らない上海地方では、年内の雪は特に縁起がいいと先生が解説を加えてくださった。
また来年、後藤りんご園で、豊年の果実を味わえますように。
2005年12月15日号 通算2051号
福島支部
雪 の 中 で り ん ご 狩 り
福島支部では12月5日、昨年につづいて「りんご狩り」を行いました。場所は福島市内飯坂町の会員・後藤孝一さんのりんご園です。前日の4日には初雪が降り、天候が心配されましたが、当日は快晴となりました。
各人にポリ袋一枚づつが渡され、真っ赤に熟れたりんごをその袋いっぱいになるまで採りました。子ども達は今年はじめて降った雪の中で歓声を上げながら雪合戦をしていました。今回は福島大学・福島医科大学に留学している中国人が12名が加わり小学生・幼稚園児も入れて総勢30名になりました。
昼食時には庭先にテーブルをセッティングされ、後藤さんの奥さんが熱々の豚汁を準備してくださりました。参加者は、採ったばかりのみずみずしいりんごや、みなが持ち寄った餃子、焼き鳥、花生米、漬物などを食べながら、楽しく歓談しました。「来年もぜひ実現して欲しい」との声が多く上がり、後藤さんも「大歓迎します」と答えていました。
中国人留学生・鄭楓君は「おいしいリンゴを頂いただけでなく、雪合戦もでき、楽しい一日でした。あまり運動をしていなかったので身体に良かっただけでなく、ストレス解消にもなりました」と話していました。
お礼
福島支部理事長 長尾光之
会員のみなさん。中国語教室受講生のみなさん。二〇〇五年は様ざまな面でたいへんお世話になりました。厚くお礼申し上げます。
日本と中国をめぐっては、直接的な交流がより深まるなかで、中国の対日抗議デモやそれを受けた日本の反中意識のたかまりなどの困難もありました。
わたくしたちは、中国語教室・平和のための戦争展・憲法九条の会などを通じて、草の根の日中友好運動を進めてきました。
みなさまが、健康に留意され、良いお年をお迎えになりますように。
2005年12月5日号 通算2050号
福 島 支 部 〇 六 年 度 総 会 ひ ら く
来 年 以 降 は 毎 年 六 月 に 支 部 総 会 を
十一月二十六日(土)午後二時から福島市民会館で〇六年度福島支部総会が開かれました。
議長には理事の大泉さんが選ばれました。はじめに支部規約に照らして委任状を含めて総会が成立していることが確認されました。つぎに、協会本部・東京都連・宮城県連・一関支部からのメッセージが披露されました。
長尾光之理事長が、延期された五四大会が大成功のうちに終了したことなどの協会をめぐる情勢について報告しました。また、中国語教室、りんご狩り、交流会、平和のための戦争展などの福島支部の活動報告をおこなうとともに、来年度も同様の行事をさらに質を高めておこなう、活動方針を提起しました。長尾文枝事務局長は決算案、予算案を提案しました。討議ののち、すべて原案どおり採択されました。
来年度から毎年全国大会後の六月に総会を行うことが提案され、それにともなって支部規約の会計年度を五月から四月に変更する規約改正提案も承認されました。
村上支部長が病気により辞任を申し出ておりますので、後任には北村寧氏を選出しました。村上みどり理事が辞任したほかは他の役員はすべて再選されました。
最後に長年支部の活動に貢献されてきた村上支部長と村上みどり理事に「表彰状」が贈られました。 終了後、茶話会が開かれ、残留孤児問題、中国旅行についてなど一時間にわたって歓談しました。
福島支部役員
支部長 北村 寧(新)
理事長 長尾光之(再)
理 事 大崎やま子(再)
同 深谷岩光(再)
同 比佐千鶴子(再)
同 大泉和久(再)
事務局長 長尾文枝(再)
会計監査 安藤勝夫(再)
同 手代木有児(再)
2005年11月25日号 通算2048号 付録
日中友好協会
第 五 四 回 大 会 に 参 加 し て
福島支部代議員・長尾文枝
中国の日本に対する抗議デモを口実とした右翼のいやがらせにより延期された全国大会が11月5(土)、6(日)の2日間、東京都新宿区で開催されました。私は福島支部選出の代議員として参加しました。
東京都連のみなさんのご努力による会場警備が行われ、さいわい右翼の妨害もなく無事終了しました。
大会では「中国人との対話を各地で行おう」という発言が相次ぎ、また、中国語・太極拳などの文化活動が全国で幅広く推し進められている様子がよく分かりました。「反日」の統計もありますが、日本にいる中国人は、親身な交流を望んでいることも理解できました。日本人も中国人とさらなる友好的な関係を望んでいますし、中国旅行の希望者も多くおります。
大会に参加することによって日中友好運動に自信を持つことができました。
大会最後の表彰式で福島支部は「優秀組織」として表彰されました。賞状を受け取り、たいへんうれしく思いました。
最後に大会派遣募金にご協力いただいたみなさまに感謝申し上げます。
福 島 支 部 総 会 1 1 月 2 6 日 に 開 催
福島支部の定期総会が11月26日(土)午後二時から福島市民会館202号室で開催されます。
当日は活動報告、決算、活動方針、予算、新役員について討議されます。 会員のみなさまは万障くりあわせてご参加ください。出席できない方は委任状をお忘れなく。
2005年度活動報告(案)
協会は自主的・民主的な立場に立って日本と中国の正常な関係を打ち立てることを目標にするとともに、日本の中国に対する侵略戦争への反省と適切な戦後処理を行うことを主張してきました。また、お互いの立場を尊重した日本人と中国人の交流やさまざまな文化活動を行ってきました。
福島支部でも前記の全国的な活動を行うとともに、支部独自の活動を行ってきました。
1.中国語教室第23期を開講しました。中国語検定2・3級合格と通訳力養成をめざす ステップアップコースを新設
し、受講生総数は52名となりました。以前から受けて いた福島市補助金が継続されるとともに、今期からうつくし
ま基金が助成されること になりました。
2.04年12月5日、会員・後藤さんの農園で「りんご狩り」を催し、中国人7人を含む22人が参加しました。
3.7月29日「日中友好交流会」を開き、中国人10人を含む31人が参加しました。
4.「平和のための戦争展」協賛団体となり、実行委員長を出すとともに、事務所を提供しました。同行事では7月2日
から5回にわたって平和講演会「私の見たイラク戦争」 「福島と戦争」「日の丸君が代問題と東京の教育、私の戦
争体験、日本の中国・アジ ア侵略」を開き、合計 人が来聴しました。7月31には「福島の戦跡めぐり・フィ ールド
ワーク」を開き、TVなどに報道されました。8月15日には展示会を開き、
約3000人が参観しました。10月23日に開 かれたアウシュビッツ生存者講演会に協賛しました。当日、ロビーでは福島、郡山の「平和のための戦争展」を展示
しました。
5.中国に関する情報を提供しました。協会事務所に寄せられた質問に答えたり、翻訳の支援などを行いました。
6.05年10月、福島支部ホームページを開設しました。
7.理事会を定期的に開きました。日中友好新聞福島支部版を全国版と同一回数発行しま した。11月5、6日に延期され、東京で開催された全国大会には代議員1名を派遣しました。
2006年度活動方針(案)
1.中国語教室第24期をより質の高い内容で開催します。昼初級コース、昼中級コース、
夜初級コース、夜中級コ ース、夜会話コース、夜ステップアップコースの6コースを
開設します。また、一日中国語教室を開催します。
2.福島市とその周辺に到来、居住している中国人との交流を行います。
3.中国との交流を希望する団体や個人に適切な助言をします。
4.太極拳、きりえ、中国語、中国文学、中国映画、囲碁などの中国文化についての情報を集め、希望者に提供しま
す。
5.06年にも平和のための戦争展と平和講演会、戦跡巡りフィールドワークを行います。平和をめぐる各種運動に協
賛します。「平和の波」に協賛します。
6.りんご狩りやピクニックなどの会員や留学生と親睦をはかる行事を実施します。
7.理事会を定期的に開き、方針を実行します。第55回大会に代議員を派遣します。
8.その他、会員や会外の人々の要望にもとづく本会の趣旨に沿った活動を行います。
2005年11月5日号 通算2048号 付録
福 島 支 部 総 会 十 一 月 二 六 日 に 開 催
福島支部の定期総会が11月二六日(土)午後二時から福島市民会館で開催されます。
当日は活動報告、決算、活動方針、予算、新役員について討議されます。
会員のみなさまは万障くりあわせてご参加ください。出席できない方は委任状をお忘れなく。
中 国 の 1 0 大 作 家 ・ 読 者 投 票
このほど、中国出版科学研究所と浙江省新聞出版局により、中国ではじめて「読者が選ぶ中国10大作家が発表されました。台湾の作家が3人入っていることが注目されます。
1.魯迅 6.老舎
2.金庸(香港の武侠小説家) 7.賈平凹
3.瓊搖(台湾の恋愛小説家) 8.古龍(台湾の武侠小説家)
4.巴金 9.三毛(台湾の作家)
5.謝氷 10. 王朔
巴 金 死 す
中国の著名な作家巴金氏が一〇月一七日に死去しました。 氏は一九〇四年、四川省成都生まれ。学生時代アナキズムに同調しました。中華人民共和国成立後、一九六〇年には全国文連副主席。文化大革命のときには迫害されてトイレ掃除をさせられていました。文革後は中国作家協会主席などを担当しました。『家』『寒夜』『第四病室』などで、日本人にも親しまれています。協会副会長で中国近現代文学研究家の丸山昇さんは「しんぶん赤旗」一〇月二八日付に「巴金の死に思う」を発表しました。